失敗を恐れず挑戦しよう!挑戦と成長の大切さを考える

このQ&Aのポイント
  • 挑戦して失敗したら原因を探って改善し、次はミスをしないように心がけよう。トライ&エラーのスタンスで日々を生きて行くことで、成長し充実した毎日を送れる。自信を持って前に進もう!
  • 過去のトラウマから失敗を恐れていたが、そんな脅迫観念は捨てよう。中学時代の嫌な思い出を引きずる必要はない。挑戦することで自己成長し、心地よい日々を過ごせるはずだ。
  • 自分の結論を信じて、自信を持って前に進もう。他人の意見に左右されず、自分自身の幸せを追求しよう。自己成長のための試行錯誤を楽しみながら、前に進んでいこう。
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失敗を恐れて挑戦できない・・・

何かをしようと思う時、失敗を恐れず挑戦する事が大事。 もし失敗したとしても、その失敗した原因を考えて次は失敗しないようにすればいい。 とにかく挑戦する事が大事。 やってみる事、行動に移す事が大事。 何もしなければ何も始まらないから。 この様な事をよく皆さんも耳にすると思いますし、自分もこの様な言葉は至極全うな意見だと思います。 あの発明家として有名なエジソンも何千回と失敗したでしょう。 しかし失敗する度原因を探り、また挑戦するという事を繰り返した結果歴史的な発明をする事が出来たのです。 あの日本が誇る打者イチローも、毎回ヒットが打てる訳じゃないわけです。 10回に5、6回は何も出来ずに終わってしまうのです。 でもその挑戦があるからヒットは生まれるのです。 だからとにかくやってみる事が大事。 挑戦して失敗したら原因を探って改善。 これを繰り返す事が成長する為に不可欠だと自分は強く感じます。 しかしながら、私は昔のトラウマがあり未だに失敗する事を異常恐れてしまっています。 それは中学の時、初心者で入部した球技系の団体クラブに入った事がきっかけです。 当時は初心者だった為、いくら頑張ってもやはりミスをしてしまっていました。 しかし、団体クラブだったためミスをする度同級生のそのスポーツ経験者達から酷い陰湿なイジメを受けました。 その経験者達の性格も異常に悪かったと今となっては思いますが、当時の自分はそれに怯える事しか出来ず、「次はこうしたらミスせずプレー出来るのではないか」と思っても、もし万が一ミスしたときのイジメの行為を考えるとどうしても積極的にプレーする事が出来なかったのです。  そしてだんだんと私は練習中ボールが来てもパスばかり。。。。 明らかにシュート出来る時もパスばかり。。。。 自分は性格まで消極的な人間になってしまいました。 よって中学時代は本当に何にもする事無く終わり、そのトラウマを抱えたまま今(22歳男)に至ります。 しかしながら、未だにそのトラウマを抱えている自分ですが、先ほど上述した言葉から考えるとこのトラウマは(トラウマというより「ミスをしたら酷い罰を受ける」という脅迫観念は)全く抱く必要が無いものだと今は非常に強く思います。 中学生のアホのガキがした行為を、未だに覚えていて苦しむ必要等無いと思うのです。 トライ&エラーのスタンスで何事にも挑戦し、エラーをした場合はその原因を探って改善し次はミスをしない様に心がける。 こういう態度で日々生きて行けば、自分を限りなく成長させ気持ちよく毎日を生きて行けると思うのです。 そこで皆様に質問です。 この最後で述べた結論を持って自分はこれから生きて行っても大丈夫ですよね? 本来は第三者に聞くべき事ではないと思うのですが、長年抱えていた悩みなだけにどうしても他の方に答えを頂きたくて今回質問させて頂きました。 それでは回答の方お待ちしております。

noname#196148
noname#196148

質問者が選んだベストアンサー

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noname#183245
noname#183245
回答No.5

2つあります。 ひとつは本当にやりたいことだけをやる。 そりゃあ、続きますよね。 やりたいことなのですから。 もうひとつは、やらざるを得ない状況に追い込むということです。 やらないと死ぬぐらいに感じれば、(ちゃんと実感すれば) いくらでもやるでしょう。

その他の回答 (4)

  • han-pen
  • ベストアンサー率35% (56/157)
回答No.4

僕にも似たような経験があります。 大人になって仕事をしているその人達が脅迫タイプの人間でした。 自分らしさが出せずに、顔色をうかがってやっていた時期がありました。 そんな状態では挑戦と言われても出来ないし、仕事もミスばかりしていました。 「なんであんたみたいなダメな人間が出来たのかがわからない。」 みたいなひどい言葉を浴びせられていました。 結局はその人達との関わりをなくすということで解決しましたが、それは正解だったと思います。 それ以降は自分らしく徐々になれて行きましたね。 と僕のことはさておきですが… たしかに中学生時代のことを今となれば小さなことだと思いたい、忘れたいという前向きな思いは素晴らしいですが、 やはりその体験がトラウマになったことは事実ですし向き合ったほうが良いと思います。 今のあなたの場合は「見ないようにする」という感じが、ともすれば何も感じないようにしていくと別の意味で危険だと思います。そのようなニュアンスが感じられます。 ただ、もう苦しむ必要はありません。もう十分に苦しみました。 本当ならスポーツを楽しみたかったけど、きっと楽しいと思ったことがないのではないでしょうか。 それならば何か心から楽しめるものをみつけましょう。 人生に左右しない失敗も軽く流すようにしましょう。 失敗が怖いなら、失敗しないための策を十分に考えることです。 失敗というのが頭に思う浮かぶ限り失敗は必ずします。 ちなみにエジソンは失敗したといっても、「電気を通さない何万もの物質を見つけた」といっています。

noname#246942
noname#246942
回答No.3

>この最後で述べた結論を持って自分はこれから生きて行っても大丈夫ですよね? その回答をする前に、一つだけ、君に言っておきたい事がある。 >トライ&エラーのスタンスで何事にも挑戦し、エラーをした場合はその原因を探って改善し次はミスをしない様に心がける。 確かにその考えは、限りなく自分を成長させ、気持ちよく毎日を生きて行ける原点になる事だとは思う。 ただ、勘違いしてはいけないのは、それらは決して「結論などではない」と言う事だ。 意味分かる? 失敗も、成功も、挑戦する事も、トラウマを抱えて立ち止まる事も、生きている限り、どれも「過程」にしか過ぎない事なんだよ。 決して「結論」なんかじゃない。 エジソンも、イチローも、別に「失敗を恐れない」精神の持ち主だったから、後の大成功を収める事が出来た訳でもないと思うんだよ。 彼らには「失敗する事より大事なものがあっただけ」の話だろう? 自分の思う「大事なもの」の前に、「失敗」なんてものはそれ程重要な事じゃないよ。 「虐められない為に」と思う気持ちが一番大切だったのなら、そりゃ失敗を恐れるのは当然の事。 でも、「シュートを打ちたい」「シュートを決めたい」と思う気持ちの方が大切だったのなら、きっとその後の事なんて考えていなかったと思うんだよ。 失敗を恐れずに進もうと思う気持ちも大事だが、「今の自分に出来る事」を大事にする事も、同じくらい勇気のいる大事な事なんだと自分は思う。 「自分の人生」の中では、「進む事」も「止まる事」も、「成功する事」も「失敗する事」も、その全てが「自分の責任」だ。 だったら、君は、どうあり続ける事で納得するだろう? それは、意外と簡単に導き出せることなのかも知れない。 一つだけと言った割には偉い長文になってしまったが、何となくでも自分の言いたかった事が伝わってくれていればありがたい。 頑張ってね。

noname#209756
noname#209756
回答No.2

悲観的すぎるのでは。失敗を並べても始まりません。 日本人って不安を感じる遺伝子があると言いますから。 楽観的であれば成功率が高い 悲観的は問題点を発見するのに適している といわれるので。

  • fuefue12
  • ベストアンサー率38% (457/1192)
回答No.1

基本その考えを持っている事はとても良い事だと思いますし 質問主さん也に色々前向きにならねば!と言う気持ちとても伝わります。 なのであえて「他の方面から」の意見を書かせていただきます。 質問主さんは最初に「失敗が恐ろしい、失敗が怖い!」と書いています。 それは過去の経験でとても辛い目にあったからです。 失敗が引き起こし回りから厳しい態度に出られてしまった これはなかなか悲しい経験です。 失敗が怖くなって当たり前です。 ただ、失敗にも色々あります。 例えばコンビニで小銭を出そうとしたら小銭をぶちまけてしまう失敗 どこかにでかけようとして財布を忘れると言う失敗 友人関係での失敗 仕事場での失敗 家族や恋人にしてしまう失敗… それぞれ「程度」が違うんですよね。 コンビニやお財布レベルなら質問主さんもあると思います。 でも多分「やっちゃった~」ぐらいでそこあまで気にもとめないとも思うのです。 怖いのは「仕事」や「恋人」といった 「未知の状況のときの失敗」です。 これは怖い 怖いのに「飛び込め」というのは正直なかなか厳しい意見でもあったりします(でもそれも1つの答えです) 大事なのは「何故相手はそういう態度に出たか?」を知って学ぶ事 です。 それが失敗から学ぶ事と言う意味なのですよね。 例えば部活の時の一件ですが 質問主さんもスポーツをしてたなら分かると思いますが 自分にパスがきた場合(消極的な気持ちでも) 次に誰にパスを回すか といったら 実力のある強い人に回したいですよね。ザックリ言えば 加えて状況的にその人に回すのが得策かそうじゃないか等の判断も必要です。 質問主さんが当時陥った状況は そういった判断に「意地悪」が加わっていたかもしれませんが スポーツ上のルールにのっていた部分もあると思います。 この状況で「失敗から学ぶ」と言う事は 「この状況で自分がミスをした事が原因でパスを回されなくなってしまった、実際試合中にミスが多いヤツに回そうと言う人は少ないと思う。じゃあ自分はどうするべきか」って事なんですよね。 スポーツでの試合は「相手が好きか嫌いか」なんて関係無いと思います。…無いですよね?本気の試合だったら。 そういう当たり前の情報を下に 自分が次にどうでるべきかというのが「失敗から学ぶ事」だと私は思います。

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    だいぶ昔の話になるのですが、中学時代部活内でミスをした結果陰湿なイジメや罵倒を散々されてとても辛い思いをした事があります。 部活内の人間の質もかなり悪かった記憶があるのですが、それ以来挑戦してミスをしてしまうかもしれないならもう挑戦自体するのをやめよう。と思う様になってしまいました。 もちろん理由はミスをした結果陰湿なイジメや罵倒をされるのを恐れた為です。 しかしそれ以来6年程が経つのですが、このままのスタンスで行けば自分は何一つ挑戦出来ず、やりたい事を出来ずに人生を終わらしてしまうのではないかという不安が最近強くなって来ました。 なので自分なりにこの様な結論を出しました。 「これからは周りに何人もの人と一緒に何か物事をする会社やスポーツ等の環境において、考えた結果いけると思ったらどんどんと挑戦し自分の可能性を広げていこう。もしミスをしても、何故ミスをしたのかをよく考え次ぎまた挑戦する時に同じ過ちを犯さないようにすればいい。当時は異常なまでに陰湿な行為をしてくる輩がいたがそれはそれ。精神年齢が低かった輩が沢山いた環境にいてしまった自分の選択のミスが招いた事で、当時の事をトラウマとして心に留めておくのは止めよう。常に挑戦しようという心構えで前向きに生きて行こう」 というものです。 この意見に対しての皆様の意見をお聞きしたいと思い今回質問させて頂きました。 回答お待ちしております。

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    以下の文を読んで、スポーツに対して出来たトラウマを払拭する為の方法・考え方についてアドバイスありませんでしょうか? 自分は中学の頃、初心者でバスケ部に入りました。 がしかし、そこにいた数名の同級生の経験者の部員に陰湿ないじめをされ、しかも長期間されてそれが原因で全くバスケが出来ない体になってしまいました。 その内容というのは ・体がそいつらにあたると「触んな」「キショイ」 ・意図的に私にパスをしない ・私がシュートを打つともの凄く切れてまたキショイ等の罵倒をする ・シュートを売って外そうもんなら罵倒の嵐 当時何か私にしゃくに触る事があったかもしれないですが、この様な事をされる程そいつらに対して何かをしたというのは断じてありませんでした。 これらの他にもまだまだありましたが、こういうのを何度もされたため、私は積極的にプレー等出来ない体になってしまいました。 「こいつにディフェンスつくとまたキモいとか言ってくるかな」 「いまシュート打てるけど、もし打ったらまたキショイとか死ねとか言ってくるかな・・・」 こんな事考えてたら思い切って挑戦してシュートを打つ事すら、ドリブルでディフェンスを割ろうとする事すら出来ません。 スポーツというのは、特に始めはトライして思い切って挑戦して、失敗しながらもその失敗から学んで上手くなるものだと思いますが、その「トライ」すら出来なかった為、私はスポーツを何も楽しむ事が出来ず、ただただトラウマが残るという悲惨な結果に終わってしまいました。 そのトラウマを22歳になる今まで引きずってしまっています。 スポーツ以外の色々な場、例えばビジネスでも「失敗を恐れずやってみる事が大切」という事を聞きますが、私は当時のトラウマがある為に「でも俺は失敗を恐れずやってみたらいじめが待ってたもんな・・・」とそう言う事を聞く度に思ってしまいます。 本当にこの記憶さえ消せればこんな事は思わないのですが・・・。 どんな団体のスポーツ(野球、サッカー、バスケ、バレー等)でもいいのですが、皆さんが初心者で初めてそのスポーツを始めた時に、私みたいな事をされていたら必ずトラウマが出来てしまっていたように思えるのですが、それについてどう思われますか? もうこのトラウマを引きずりたく無い。。。。 皆様のアドバイス、切望しております。

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    以前に「ミス・間違いをすることはいいことか」に関する質問した者です。 その際に回答して下さった方々、本当にありがとうございました。 ただ私の質問内容、仕方がよくなかった為に回答者様の誤解を招いてしまう部分があったので、もう一度聞きたかった事を整理するという意味をこめて、前回の質問の回答も参考に、ミス・間違いに関する結論出しました。 その結論を皆様はどう思うかお聞きしたいために今回は質問させて頂きます。 「まずミス・間違いは根本的にはよくない事である。 全く間違わずに成功すればこれほど素晴らしい事はない。 車の運転も事故するよりしない方がもちろんいいし、テストで答えが書けないより書けた方がいい。スポーツもシュートを決めないより決めるほうがいい。新入社員もノーミスでポンポン与えられた仕事をこなせる方がいい。 しかし、始めからノーミスで成功するのは不可能に近い。 車の運転も始めは全然上手く出来ないですし、テストも答えが分からない時がある。シュートも始めは何度も外す。 新入社員もミスをします。 だからあれこれ試行錯誤して出来るようになるまで努力する。 しかしこの「出来るようになるまでに努力する」間にもミスしてしまう事だってある。 この時確かに周りにはそれなりに迷惑がかかる。 しかし、だからと言って注意・アドバイスの意味を込めた叱責はしていいとしても、 「罵倒」「虐め」と言った様な事は絶対にすべきではない。 陰険なイジメのような事をして「その人の失敗」をネタのようにふるまうのは絶対に駄目で、 その人が一生懸命にやって起きてしまった失敗ならば、改善点やこういう点が良かった。 という反省などを言ってあげるのが上司やその人を取り巻く周りの人たちの役割である。 「この人が先にある正解に辿り着く為には、ちょっと時間がかかる」と思い、協力してあげるのが基本である。 もちろんミスした側も、叱責は潔く受け入れなければならない。 しかし、ある一定のレベルに達した人の「不注意なミス。しでかしたミス」は絶対に避けなければならず、したとしても1回までだ。特に会社での同僚上司、顧客すべてに関わるミス等は絶対にしてはいけない。」 以上です。 どうでしょうか? わざわざここまでする理由は、どうしても間違う事へのトラウマを拭いさりたいのです。 前回の質問でも言ったように、中学の部活でまだまだ思うようにプレー出来ない初心者の時に虐め・罵倒を何度もされて何事にも挑戦出来ない性格になってしまいました。 せっかく一人で練習して実際の皆との練習で磨いた技を出そうと思っても、前回にミスして虐め・罵倒された事がトラウマとなりどうしても積極的になれずに、結局自分では何もしないという選択をせずにはいられなかった。 結果、萎縮ばかりしていたのでいつまでたっても上手くなる事はなく、そもそも「挑戦」していないので「成功」するものも成功しなかった。 このままいけば自分は何一つとして挑戦出来ない、つまらない人生を過ごしてしまうのではないか・・・。 それが本当に怖かったのです。 例えば、資格試験、大学受験、その他個人のスポーツ等においては自分がした行為の責任は自分自身にかえってきて、失敗の「損害」の対象は自分なので能力向上のために何度も失敗してもいいと思います。 しかし不特定多数の人に「損害」が出る様なことであれば、何度も失敗してはいけない。 例え、凄い成果を残そうと努力しているのであっても「限度」をわきまえなくてはいけない。 と思います。 でもだからといって私がしていたチームスポーツのような場合はミスをしたら周りの人達に影響は出ますが、シュートミス、ドリブルミス、パスミスと言った様なものはつきものですし、当時の私の経験値を考慮するとミスは至極普通の事だったと思います。 そもそも学生ということ自体が、大人になる練習期間であるのですから学校やクラブ、部活は言わば「間違いを繰り返してもいい場所」なはずです。 「間違えて」それを「改善するチャンス」が与えられている場だと思います。 そして「自分の思うプレーをする→成功しなかった→周りに影響が出る」という このプロセスはスポーツでは当たり前で、この「挑戦」→「失敗」のプロセスを通して学び、改善していいプレーをするのがスポーツだと思います。 (例えばサッカーの試合中攻撃の場面で自分がボールをもっていて、相手ディフェンスを抜いてゴールへ向かおうとする。しかし上手くいかず相手に取られた。となると味方達は次は守りに入るべく走り回らないといけません。つまり周りに影響がでる。でもこのプロセスはチームスポーツにおいて当たり前の事実) イチローだって無名時代打ったら逆転勝利の場面で打てなかった事があるでしょう。 サッカーの中田だってまだ上手くない時ベストタイミングで決めるべきシュートを外した事があるでしょう。 しかし彼らはそこから学び次に繋げようとした。 私もそれをしようとした。 しかし、私の場合「罵倒」「虐め」等でその失敗を非難された結果、 「挑戦」→「失敗」→「問題点の改善」→「また挑戦」 の「また挑戦」の部分がそのトラウマの為に出来ずにいたのです。 つまりは「成功体験」を一度として感じる事無く過ごさなければならなかった。 それがとても辛かったのです。 なのでどうしてもこのトラウマをとりたい。 このトラウマをとって自分の行動の結果周りに影響が出る状況でも、自由に挑戦して自分を成長させたい。 (もちろんその挑戦はただ適当にする挑戦ではなく自分の力を最大限に出した挑戦で、ミスしたら改善できるよう努力するという前提があります) そう思って来ました。 今21になり、中学卒業からこの問題を抱えて6年が経ちました。 6年たってようやく、上で述べたような答えが出ました。 答えに至るまでかなり長い年月を要しましたが私的にはこの答えが、失敗・間違うという事の意味するところなのではないかと思います かなり長文になり申し訳ありません。 ここで述べた私の考えをどう感じるか、具体的な理由とともに教えて頂けたらと思います。 (もし「誤り」ならこれから先私はどう生きていけばいいかわかりませんが・・・。) では回答お待ちしております。 (「長い、もっと短くまとめろ」等の回答は今回は無しでお願いします。まとめようとはしたのですがこれ以上短くする事は出来ませんでした。「私の考え」をどう感じるか、そしてその理由のみの回答お願いします。質問している立場でこの様な条件を出してしまい申し訳ありません。)

  • こんな経験、忘れたらいいですよね?

    23歳です。 僕は中学時代、バスケ部で陰湿ないじめに遭いました。 僕は初心者でバスケを始めたのですが、1ヶ月が経つ頃から僕とは別の小学校から来たバスケ経験者の同級生数名に陰湿なイジメをされ始めたんです。 いじめの理由は恐らく「なんとなく嫌だ、むかつく」こんな理由だったと思います。 僕は大学まで出ましたが、大学卒業するまでその中学の部活以外で、バイト等も含めいじめの行為に遭ったことがありません。 今思い返しても、当時いじめを受けたのは、 いじめをして来た人間の性格が腐っていたからだと断言できます。 部活では、 ・シュートを打つと「お前が打つな」と言って、尋常じゃなくキレられる ・「下手クソはシュート打つな」といった様な罵倒をされる ・僕が出したパスをもの凄く嫌そうに取る ・ミスしたら必要以上に責めて馬鹿にして攻撃して来る こういったことをされました。 明らかにシュートチャンスでシュート打てる時や、自分でカットインしてシュートに持って行きたい時、外したら何を言われるか分からないし、決めても嫌な顔をされるかもしれない・・・ 大人でも始めたての仕事で、罵倒やいじめを繰り返されたらさすがに心を痛めます。 そんなことをまだ13歳14歳の思春期にされたら、ダメージは相当。 こんなことを延々と繰り返された僕は、 徐々に挑戦というものをしなくなって行きました。 まだ数ヶ月の初心者。 どれだけ意識していてもミスはあります。 でも、ミスすると罵倒される状態だったらもう怖くて挑戦できないですよね。 「思い切って挑戦する」→「失敗するかもしれない」→「失敗したらそこから何かを学んで次に繋げる」 このプロセスが、何かを上達させるには不可欠です。 しかし、僕はこの第一段階である「挑戦する」っていう行動を取れなかったんです。 もうボールを持ったらパスをして、自分では攻めない。 こういう状況に追いやられていました。 そして他にも、 「下手クソはシュート打つな」 「下手クソは○○するな」 こういった発言をされていたと述べましたが、僕は下手だから練習しようとしたんです。 下手だからシュート打って練習しますし、 下手だからドリブルとか果敢に責めたりして、上達しようとしていたんです。 でも「下手だからするな」と言われたら、一生上手くなることができません。 家でいくら1人で練習しようが、実際の練習で上述したようないじめの行為をされていたらその成果を発揮できません。 「下手だから○○するな」と言われない為には、上手くなってから始めないといけなくなります。 しかし上手くなるには、実際に部活で皆と一緒に練習しないといけない。 でもその練習にちゃんと参加できないようにさせられていたので、もう上手くなりようがない。 こんな負のサイクルに追いやられていました。 中学の部活でこの様な経験をした僕は、2つの"誤った"理論を頭に刷り込まれてしまいました。 1つめが、「思い切って何かに挑戦すると、いじめみたいな酷い目に遭う」 2つめが、「何を始めるにも"完璧になってから"始めないと、酷い目に遭う」 この2つの理論です。 何かに挑戦すると、勿論"失敗"するという可能性が出てくる。 それは誰しもそうだと思います。 普通にスポーツでもそうですし、 仕事でもそう。 趣味でもそう。 何でもそうです。 何かに挑戦するということは、成功することも勿論ありますが、失敗もつきまといます。 しかし、失敗をするともの凄く酷い目に遭わされるという状況だったら、さすがにもう行動ができない。 僕は当時そういう状態を2年以上も経験したので、 それが"真理"であるという勘違いをしてしまってるんです。 もしそれが真理なら、みんな誰も何も始めようとしないですよね。 2つめに関しても同じ。 「できるようになってからはじめる」じゃ、いつまでたっても何も始められません。 スポーツでも、仕事でも、語学でも、 「ちゃんとリフティングができるようになってから始める」 「ちゃんと仕事の内容を完璧に覚えてから始める」 こんなことやっていたら、いつまでたってもやるべきことができませんよね。 何でも「やりながら」できるようにしていくのが普通な訳です。 完璧になってから始めよう!だと、そのやりたいことを始められる日は来ないです。 よって、上の2つの理論は間違っているんです。 成功者の方達もそうですし、色んな本やメディアでも 「失敗を恐れず、挑戦する事が大事」 「初めの一歩を踏み出そう。転びながら学ぶんだ」 このような事が言われていることからも、 僕の2つの理論は誤っているんです。 だから僕は、この2つの理論は、 「いじめを受けていたという、ある種の"特殊"な環境にいたからこそ生まれた誤った理屈である」 ということを認識して、もう忘れてこれからはどんどんと思い切って一歩踏み出し、積極的に挑戦していきたいんですよね。 そこで皆さんに質問です。 僕はこれから、いじめの経験から導き出されたこの2つ理論などもう忘れて、 世の中で言われているように、どんどんと色々な事に挑戦して行って、成功体験を積んでもいいですよね? こうやって確認を取るのもおかしいと思いますが、 自分でいくら考えても不安なので今回質問させて頂きました。