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スーパーフラットの関係性と浅田彰の評価
heart_mindの回答
- heart_mind
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何かを認識する時に、鏡のように素朴に同化しようとしたり、 あるいは科学的な目で本質を探るように見たりするのだと思い ますが。 現代は、人間に対して前者が欠けていて。 物に対して後者が欠けている気がしてなりません。 自然を見る目も本当は、両者の目が大事な気がするのです。 心を和ませてくれる機能であり、だから資産価値があるし、 環境汚染は人間に害を及ぼすからよくないのだ、とか時には そういう風に考えてみる必要がありますよね。 ですが短期的な経済性にしか着目できずに、人間に関して前者 の認識方法があまりにも欠けていると、思わぬ大きな社会的コスト を払わなければならなくなります。 ペットよりも人間が大事であるというのは倫理に反しないと思うし テーマパークの着ぐるみの中に入っている人は、どれくらいの体力 を要するのだろうかとかは、普通に気になることだと思うのですが。 しかし、少子化問題を子供さえぽんぽん生まれれば経済的をささえる 機能をはたせるなんていう発想は、人間をあまりにも「もの」としか 考えていないんじゃないかと思えてなりません。 人間として生まれてくる子供の心を育む環境は、人手だけの問題なの でしょうか。 何か最近、本当に変ですよね。
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ご回答をありがとうございます。だいじょうぶですか。投稿しつづけても? 世界をどう認識するか? あるいはそこからどう世界を変えるのか? この問題は おっしゃるようにその情況や現場にみづからが立つことも必要でしょうし そうして片や思弁的にでも理論的な認識へと展開して行くことも 大事でしょう。 問題はつまりさらに重要なことはそのとき 互いの見解をぶつけ合うことにもあるかと考えます。コミュニケーションであり 互いの自由な批判という作業過程です。 この自由な批判という意味での《けんか》が あまり見かけられなくなり 物分かりがよくなったのであろうし 人びとはおとなしくなったのだろうと思われます。 発信 というより送信 はするが受信はしないという半鎖国状態で言論活動のようなことをしている人もいますからね。 こんなのを見つけました。ポストモダンの探求に属しましょう。 ○ 【 吉本隆明さんの「世界視線」 】2003-10-07 ~~~~~~ http://www.fsinet.or.jp/~eureka/bookish/bksh_0310a.htm ■ 大澤真幸〔おおさわ・まさち〕「〈ポストモダニスト〉吉本隆明」,『現代詩手帖』2003-10月号 ▼ 理論社会学の大澤真幸さんは,この論考で,いわゆる「ポストモダニスト」と区別された〈ポストモダニスト〉として「吉本隆明」を捉えかえしています.その議論の主軸は,じっさいに文章をよんでいただくとして,ここでは,「世界視線」について大澤さんが出した新しい見解に注目しておきたい. ▼ かつて,文芸評論家の吉本隆明さんは,『ハイ・イメージ論』で,「世界視線」という概念をだしました.無限に上方にあって俯瞰する視線のことで,そこからみれば,この世界のなかにあるどんなものともひとしく距離がとれる,そういう視座とされます.この世界視線は,モダニズムに固有の態度ほかならない.というのは,こうです: •古くからある共同体が(貨幣経済の浸透で)解体され,そこからひとびとが放り出されたとき,もはやかつての伝統ではやっていけなくなる(「ウチではこうするって決まってたもん」「アンタんトコのやり方なんか知らないよ」); •どの伝統も他のひとをナットクさせられない以上,そうした伝統の局所性をこえてつうじる考えが必要になる; •そこで,時と場所をえらばず,すべてのひとがそれにうなづくことができるような普遍性,これをモダニズムはめざす; •いいかえると,そこでは,ローカルな共同体の規範や価値づけは,ぜんぶ相対的なものだと認識されている. ──すべてのローカリティから離脱してそれらとひとしく距離をとる,これはまさに「世界視線」のありかたそのものです. ▼ 「世界視線」についての以上のような理解は,これまでのいろんな論者とほぼ共通しています.あたらしいのは,そこではありません.さて,大澤さんのだしたあたらしい読み方は,こうです: 吉本の議論の重心は,「世界視線」という概念を用いて,現代社会を描写するところにあるわけではない.彼の中心的な論点は,世界視線がたどるはずの運命を描くことである.すなわち,世界視線が,その徹底の果てに内破してしまう,ということを示すことである. (p.132) ▼ つまり,吉本さんは,「世界視線」に到達することをいったのじゃなくて,その不可能をいった.この論点は,たとえば映画『ブレードランナー』についての議論に読み取れるんだ,と大澤さんは言います. 未来のロサンジェルスを描いていると考えられる,その映像には,確かに,世界視線が関与している.それは,空中カーからの映像を通じても,また空中カーをさらに上空から捉える映像を通じても描写される.しかし,その映像には,林立する高層ビル群は映っても,決して背景にある空が映らない.本来,無限遠の上空にある世界視線は,空をも同時に見通すことができるような高さに視点を定めていなくてはならない.ところが,どこまで行っても空を見通すことができず,したがって都市空間をその外部と区別することができるような場所に身をおくことができないとき,世界視線は,視点を定位することができず,結果として,それを都市空間のどことも特定できない場所へと拡散させていくことになる.このような視点の不安定な拡散は,『ブレードランナー』の室内空間の映像の中でさらに強調して示される.吉本は,室内の映像にあっては,内部の家具や装飾品などの配置によって遠近法が異化され,狭い空間であるはずなのに,その中で動く人物などがまるで広場の中で動きまわっているかのような印象が与えられる,と論じている.本来,空間を超越的な外部から捉える視点が,逆に,その空間に内在せしめられ,空間の「どこでもある場所」に拡散していくのである. (Ibid.) ▼ 以上のように,『ブレードランナー』は,ここで,世界視線の達成を示すのではなくて,その挫折を示すものだった,と読まれている.世界視線を志向する,そのことはモダニズムだけど,それはつきつめようとしても結局は挫折してしまう.モダニズムの破産──その自覚と主張は,ポスト・モダニズムとよばれる.こう整理すると,モダンとポストモダンはひとつながりのものだとわかる.けれど,吉本さんは,そういう単なるモダニズム-ポスト・モダニズムともちがうことを言いえていた,と大澤さんは書く.それを〈ポスト・モダン〉と表記し,さらに「真の」という形容詞を冠しています.そして,これは,モダニズムが目指し,ポストモダニズムがしりぞけた〈普遍性〉に到る経路をみいだしている,といいます. ■ さて,途中の議論の組立てをはしょって大澤さんの結論だけを引くと,その「真の〈ポスト・モダン〉」の条件,〈普遍性〉に到る経路は,こういうものだとされます: すなわち,それは,(超越的な)他者が,その他者としての具体的な生々しさにおいて現れることである (p.134) 単に,一般性の水準を上昇させていくということ〔モダニズム〕 によっては,思想の普遍的な妥当性には到達できない〔ポストモダニズム〕. 現れとしての他者に,他者の他者性に,具体的に直面することの内にしか,〈普遍性〉はありえないのだ. (Ibid.) ▼ 以上のような「真の〈ポスト・モダン〉」は,近年,大澤さんが出してきたポイントです[*1].というより,この論考(2002年の12月に口頭で発表したものをふまえる)は,これまでの議論の達成を,あらためて「吉本隆明」の読解にあてはめた応用編とみるべきなのだと思います. ¶ 【関連づけ】文芸評論家・編集者の仲俣暁生〔なかまた・あきお〕さんは,「極西文学論序説~Westway to the World」(『群像』連載中)で,おなじく「世界視線」をとりあげています.そこでは,戦争中の爆撃にさらされた吉本さんの体験に言及しつつ,受動的に焼かれる一方の「地上」<能動的な「爆撃機」<それをみおろしうる「世界視線」,という上下図式がだされる.いま手元に仲俣さんの文章がないので,立ち入って参照できないのですが,大澤さんの言ってることをふまえて,もう一度読み返してみたい. ¶ [*1] おもに,つぎの一連の著述があげられます: •「〈自由〉の条件」(講談社『群像』全24回連載,1999-1月号から2000年12月号まで.) •『共同取材 見たくない思想的現実を見る』(岩波書店,2002.共著=金子勝.⇒bk1) •「〈公共性〉の条件」(岩波書店『思想』全4回連載,2002-10月号,12月号,および,2003-2月号,4月号.) •『文明の内なる衝突』(日本放送出版協会,2003.⇒bk1) 以上のうち,「〈公共性〉の条件」については,藤田伊吹さんによるレジュメが下記ページで利用できます: http://www4.ocn.ne.jp/~quadrant/report/public.html ¶ 【2003-10-11追記】上で言及した仲俣暁生さんが,ちょうど「世界視線」について書かれています. 「ハイ・イメージ」批判〔2003-10-10,12:29〕 url: http://d.hatena.ne.jp/solar/20031010#1065756556 ¶ 【2003-12-05追記】藤田伊吹さんのサイト移転に伴い,上記「〈公共性〉の条件」レジュメのアドレスが変更になりました.下のとおりに訂正します.また,12月5日現在で,旧ページ↑も利用出来ますので,いちおう,そちらも残しておきます. http://xt.fc2web.com/ise/report/public.html トップページは: http://xt.fc2web.com/ (藤田さん,ご連絡ありがとうございました.) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ コミュニケーションを永遠に取り続ければよい。これが ひとつの答えではないか。