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農業政策について研究しています。

rczdの回答

  • rczd
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回答No.4

ご質問とかけ離れたコメントですが…。近世土地制度の始まりは太閤検地といわれています。 平安期に成立した荘園は、長い年月を経て、またその間の争乱を経て、乱れに乱れていきます。 この結果、太閤検地以前は一つの土地に様々な権利の所有者が存在していました。たとえば…本家・領家・名主・下司・作人・下作人…など。中には権利(職)が相当重なり合っている土地もあれば、簡単な職の構造の土地もあります。その土地、土地の歴史によってまちまちです。 これを原則、一地一作人一領主へ整理したのが太閤検地です。もちろん例外はありますが、これをもって荘園は終焉を迎えます。 秀吉の土地制度が基本的に江戸時代も引き継がれていきます。

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