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明治の農業の農民

明治維新では農民が自由に作物を作ることができるようになり、お金を稼ぐ方法も増え生産性が上がりました。しかし、地租改正によって明治時代では税が金納で定額になったために、貧しい農民は払えなくなり土地を売って小作に没落した人も多いと聞きました。 これをトータルで見たときに明治維新(地租改正)は農業にとってプラスかマイナスかどちらだったのですか?

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回答No.1

各地で地租改正反対の一揆がおこり、政府は1877年に地租を地価の3%から2.5%に引きさげ、これにより、江戸時代に比べ平均2割程度の減税となったことを考えると、個々の農民が地元の米商人などに直接米を換金してその代金を地租として納め、地元の米商人が全国市場に米を売却するようになるなど、商業や流通に対する影響も大きかったのでプラスになったといえます。

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  • gunsin
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回答No.2

1884年(明治17年)の秩父事件を調べたら当時の様子が 解ります。 秩父事件は秩父郡の農民が起こした百姓一揆です、上州や信州に 波及し不満士族も加わり大規模な一大騒動になりました。 農民は猟師を兼業していた者もいたので、銃を持っての武装蜂起 となりました。 富国強兵の名を元に税収アップを図り、主に農民から搾り取った からです。 政府が報道を抑えたので島原乱以来の農民が起こした大騒動なのに 余り語り継がれていません。

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