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障害者という言葉の意味について考える
liar_adanの回答
目の見えないことがその人の特徴であることはその通りだと思います。 とはいえ、「目が見えない」よりは、「目が見える」方が便利だ、ということは、 否定できない事実です。 その中で「目が見える」方が大多数であれば、 社会は「目の見える」方を基準にして施設を作ります。 これは善悪の問題ではありません。 便利の上での問題です。 そして、社会の中には、「便利でない」人々がいます。 その「便利でない」人々のことを、考える必要があります。 「便利でない」人々について、「障害者」という分類をすることは、 私は、悪いことだとは思いません。 問題は二つに分けられると思います。 (1)「便利でない」人々に名前を付けるべきか? (2)それを「障害者」と言って良いのか? 第一の問題は、私は「名前を付けるべき」と考えます。 名前を付けなければ、その存在は意識から忘れ去られてしまいます。 それは、「意識しないことによって問題を無いことにしよう」という、 もっとも情けない解決法だと思います。 第二の問題は、これは第一の問題よりは自信がないのですが、 「障害者」と言ってよいと考えます。 「障害」が「便利でない」「不自由する」という意味に通じることは、 あまり不自然ではないと思うからです。 なにか別の言葉をひねくり回して、新しく名前を付けることは、 問題を見えにくくするだけだと考えます。 逆に言えば、なぜ「『障害者』と言って悪い?」という疑問がおきます。 障害という現象は、現実に存在します。 現実に存在する現象を呼ぶことは悪いとは思えません。 それは、現象の記述がいつのまにか倫理的な判断になってしまったのだと思います。 「障害者」と「健常者」が、倫理的な差ではなく、現象の違いだと思えば、 「『障害者』と呼ぶことは失礼だ」という発想は出てこないと思います。
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