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神は存在しますか?

神は存在しないと考えますが。。間違っていますか? 人生を半世紀も過ごした男の素朴な質問です。

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  • okmoka
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回答No.11

私も、「神」は存在しないと考えているので、間違ってはいないと思います。 「神=絶対的なもの」なら、そんなものはありえません。 神様、助けて下さい、幸せにして下さいとか・・・・ 仏教用語かもしれませんが、他力本願です。 両親に助けを求めるとか、結婚相手に幸せを求めるとかなら、理解できますが、 なぜに神様に祈る(頼む?)の?って思います。 神様、呪いを解いて下さい、厄を払って下さいとか・・・・ ここまでくると、私の理解の範疇を超える為、意味不明です。 そもそも論で、「神」って何?って話をおいておけば 世の中一般的に言われている神なんて存在しないと思うのは普通の事だと思います。

oyajitokushima
質問者

お礼

ありがとうございました。

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noname#143604
noname#143604
回答No.13

東洋人なら汎神論のはずなのに、頭も身のまわりも神さまだらけのはずですが、ひとつも神をかんじない、それでも間違えてないと思います。新しい東洋人あるいは頭ん中がイルミナティ西洋文明に染まっているんだと思います。東洋人が汎神論を生きてた時代は過ぎて八百万の神々はアスファルトのすみで被曝して死んでいくんでしょうね 西洋に神ありましたが神の上に人がいて、人というか人の理性が神だそうで。理性って詩やくしゃみ以外の言葉で知への溺愛で、東洋的な言葉を幾枚も薄く着せて冬はいよいよ身にしみ、西洋哲学の言葉は乾いてて。東洋哲学の言葉はぐしゃぐしゃに湿ってて。 ぼんやりしてる日本人の場合 道端に草はえてますでしょ。それ神様です。子供のころ川で魚釣りましたでしょ。あの魚かみさまだったですよ。東洋のとくに日本人の感覚からいくとそうなるそうです汎神論。ひげ一本一本も神様だと思います。剃ります。神様あえなく剃られ血がながれ、かみそり負けになります。ひりひりした痛みも神です。神経による少しの痛み。痛点。ちらばる星。冬の夜空。ほそいあご。赤くかじかむあご。はな息が見える。 神は細部に宿るものといいます。それは西洋の非言語芸術家のことば?この世に存在するものすべて神であることを免れませんとりわけ自然なものは神の集まりです。自然とよばれる存在はみな神それが日本人の感じ方なんですって。たしかにじぶんも自然は神のかたまりだと思います。けものも魚も虫もそう感じてると思いますでもあいつらそう言いません自然と不自然の区別してません。自然と不自然とに分けて支配したがるのが人間らしさとしての理性病で?自然はどうしようもない美で。ことばはちがいます自然からずれてます。自然への憧れがやまと言葉。シャワーは自然じゃないもののいいせんいってますあたたかい雨、シャワー大好き。 その汎神論的自然感覚を何千年来も忘れているのが西洋人ユダヤ教イルミナティ300人委員会西洋哲学や西洋宗教や西洋文明らしいですやつら風土がらかわいてます。自然の細やかやつつましさつまり日本人にとっての神を、表現しあったりするためにはアルファベットという貧しい記号じゃ無理という噂があります。きのう読んだサイトにありました。うけうりです漢字には世界>人間という思想があるがアルファベットにはそれがないとかたががはずれている英語にも。 西洋人は言葉が貧しくほとんど種的・民族的終身感覚としての精神性に機能してこないようなろくでもない言語セットしかこころに入れていないけもの。けものが不満を外界自然に投影し破壊し、ロダンは自然といいせんいってそうですがおよその西洋人とくにヒエラルヒゲの人々は内部展開する言葉と意識がもうだめで、外在生物に神聖も仏性もみないけもので、手に余る自然の圧倒的な美をおそれ内的自然をふくむ自然を悪魔よばわりし、自然を神とみなす日本人を悪魔教よばわりし、理性を神とみなしもっとも理性的なひとびとつまり最も自然を壊せる人を神様以上の存在とみなしているらしいです。言葉が貧しい民はわたしもですが少ない指標しかなく、マネーやパワーにばかり頼ってしまう幼稚さをもちます。日本人なら、禅やら詩やら孤独やら引きこもりやらによって、自分=自然の関係ができる。等価か、やや自然の勝ちで、自然や文化や弱さによって、個対自然の場でどうしようもなく自分で自然のうごめきを読む時間ができるはずなのでしたが。四季とかあるし、忙しいのですよねビジネスではなく暮らしの通年変化。土着は人々の精神性のとくに理性にとっての修身でトルストイバカロシアは神と自然の下にまだ人がいることができて、人間なんて落語の長屋の阿呆らだという雑なつつしみ。 汎神論も太陽信仰も理性教もなんか幼稚ですが。東洋汎神の極と西洋感覚の極致は似てて、個が圧倒的な内外界のうごめきと対峙する図で、そこからすぐ負けほんろうされ融和するのが日本人で、外界を破壊し勝ちたがるのが西洋とか。おどれ自然とはおどれ。自分がいかに優勢か落伍かでしか自己イメージを持てない他者依存オギラルキー?な西洋あるいはアリストテレス現代人 自然に神を見いださないならそれは自然と隔たった生活習慣から童心を忘れたか、日本人なのに引きこもり期間や禅ぎょうを経ず、へずじまいで、外的自然(だいしぜん)や、内的自然(こころ)とさしで向き合わず、感覚や言葉を自然界ていどの複雑さにまで精緻化しなかったからだと思います。またはあるいは牧畜や農業などによる過度な自然支配を? しつづけるうちに自然という神にときめく気分が麻痺したんだと思います。日本人一丸となってこころの乾燥肌。

oyajitokushima
質問者

お礼

有難うございました。

oyajitokushima
質問者

補足

「八百万の神々」ってタコが出来るくらい聞いてます。人が理解出来ない意味で神の仕業とか、この世は神が想像したと言ってるだけでは。分からいことに恐れを抱いてはいけません。蓋をしてもダメですね。。

回答No.12

 こんにちは。  神はいます。そして 無い神もいます。  あるいは別の言い方では:  神は存在すると人間が考え言っても 神は存在しないと人間が考え言っても 神(そして無い神)は 痛くも痒くもないでしょう。  神は生きていると人間が言っても 神は死んだと人間が言っても 世界は何ら変わりません。よしんば世界が変わったとしても 神は変わりません。  《かみ》と《信じる》ということばがこの世からなくなったしても おそらく人間にとって きよらかなおそれ(もしくは  いつくしみ)の気持ちと思いのなかには かみと呼ぶべき存在(つまり 人間にとっては分かり得ないから 非存在)(もしくはむしろ ちから ないし はたらき)はあるということになりましょう。  そういう思いを持たない人びとは そのままそうしていればよいわけですから。(信教・良心の自由という公理です)。  ★ 神は存在しないと考えますが。。間違っていますか?  ☆ 信じるのはもちろんのこと 思うのも言うのも自由だというのが 答えです。  たぶん《考えます》というのは 厳密に言えば まちがいです。神は 人間が《想像したり考えたりして どうにかなるものではない》からです。  しかも人間の言葉は 便利なもので 信長は自分が神であると言ったそうですし 人びとは《かの人は神であった》と言いふらしてもいます。表現の自由(同じく公理です)は これらのことをも ゆるしています。  もっと言えば《わたしは これこれこういう神を造った》と人間が言ってみたりすることも――それが どういう意味を持つかを別にして―― ゆるされています。  おそらく《かみ》は ヒトの思い通りに想い描かれ得るようです。また その範囲は 玄関もなければ裏庭といった区切りもないのでしょう。いつまでも どこまでも その思う人それぞれに それぞれの仕方で付き添って来てくれるのでしょう。むろん 否定しまくって突き放す人がいれば それをも受け容れてくれていましょう。  とは言うものの こう述べたとしてもそれらはすべて ひとりの人間が思っていることにしか過ぎないということのようです。

oyajitokushima
質問者

お礼

ありがとうございます。

oyajitokushima
質問者

補足

神は、共同幻想での産物ですか?

回答No.10

 半世紀を更に25年以上でたら年齢に触れるのも意味が出てくる人もいるのでしょうね。  50や60は現役でまだ若者ですよ。  神って神社の神はいるから祀っているとおもいます。あちこちのたくさんの宗教の神様もいるから、そして信じなければならないから信仰していると存じます。つまり居るんです。  そして私は仏教徒であり、ヒンドゥの哲理の精進、勉強をしていますが、天祖神社の会員です。  ヒンドゥの哲理のいう意識存在は厳存しています。  それが故に仏陀も知り、お札の神もおり、天祖神社もあり、いろんな宗教の神仏も存在し、森羅万象があり、万人、万物、生けとし生けるものがおります。  そういうことで、存在ということをどう意味するか、受け取るかです。  もの自体と現象を分けることもおかしなことですし、自分と宇宙、その存在をどう見るか。どう受け取るかでかでしょう。  万物を神する自己存在意識もあり、そうでなく思う意識もあるんでしょう。

oyajitokushima
質問者

お礼

有難うございました。

回答No.9

まちがってるです。 だって、「トイレの神様」というのが大ヒットしたじゃないですか。 この国には八百万の神様がおるんじゃけね。 50も過ぎたらそんくらい理解せんといかんよ。 サンタクロースもBeing, Seinですよ。スオミの国の村だよ。

oyajitokushima
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • coco1701
  • ベストアンサー率51% (5323/10244)
回答No.8

・神=キリスト教の神(GOD、主)の前提で 個人的には、旧約聖書の原型になった書物に書かれている、神、神々(実際は別の名称で呼んでいたようですが)と呼ばれた存在は実在していたと思っています・・・実在していた知的生命体(何かわからないので当初は別の名称で呼んでいたが、後に神と呼ぶようになった) 新約聖書の神は人の創った(教会が創った)概念だと思っています・・・実態として存在していないが概念として存在する事になっている・・信じる人に取っては存在するし、信じない人に取っては存在しない ・神=神道の神(カミ)なら(キリスト教の神とは意味が違うので)、存在する  神道では万物に神が宿るのですから(八百万の神)・・・存在するものは神ですから・・特別な存在ではないので意識はしていませんけど

oyajitokushima
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#150036
noname#150036
回答No.7

神は金星人で 御仏は土星人です。

oyajitokushima
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.6

神として奉られている菅原道真、織田信長、徳川家康などは実在してましたよね。 ・・・バカ回答すんません。

oyajitokushima
質問者

お礼

いえいえ、貴重なご意見有難う御座いました。

回答No.5

「神が存在しない」と言う前に、 『存在』自体が存在しないなら、 その問いにどれ程の意味があろう。

oyajitokushima
質問者

お礼

痛烈なお言葉、有難うございます。他の愚問にもご丁寧に回答頂き大変有難うございます。

回答No.4

神様かぁ…、いたらいいなとは思いますけど、実際は信じきれないですね。 神様ってのは一種のイメージなのだと思います。 心の中に神様をイメージできる空間があるかないかで決まるのかな、と。 各々の心の中に存在する、というか…。だからその神様の居場所ってのをイメージできない人には 神様なんてあり得ない存在ですし、逆に心の1画にそのスペースを持ってる人の仲には 実在(?)してるのではないでしょうか。 人により信じる信じないは自由だとは思いますが、例えば自分の大切な人を失ったりした人に 神を信じますか?ときいてもNOと答えるでしょうし、全く同じ人物が別の未来をたどって何1つ不自由なく 暮らせていた場合に同じ質問をしたらYESで返ってくるでしょうし。 心にゆとりがないということは神様の住むスペースが心にないということ、 そう考えてる自分は存在しないに1票ですw

oyajitokushima
質問者

お礼

ありがとう。

回答No.3

神を信じない人にとって神と言う概念は全く意味を成さない無用なものだと思います。 神を信じる人にとって神と言う概念は絶対的なもので、その人の行動なり思考なりを規定する大きな要因になっていると思います。 質問者さんが神を信じないことを間違っていると言える人はいません。 それは質問者さんご自身が決めることだと思います。 因みに私は神も仏もその実在を信じていませんが、神社に参拝し、仏像やお地蔵様を見ると手を合わせ、お守りをいつも財布に入れています。こういう点に関しては自分の思考と行動が矛盾しており、何をやっているのか自分でもさっぱり分りません。 信じていないと思っていながら、実は心の奥底では信じている、または依存しているのかもしれません。

oyajitokushima
質問者

お礼

誰しもそうですよね。ありがとうございました。

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