コペルニクスの言葉とは?外国人にも分かりやすく解説します!

このQ&Aのポイント
  • コペルニクスの言葉は、他人の判断に左右されず、自分の意見を持ち続けることが重要とされています。
  • 哲学者の仕事は真理を追求することであり、愚かな意見に従うべきではないと考えられています。
  • コペルニクスの著書『天体の回転について』は、当時のローマ法王に対して書かれたものであり、彼の考え方について説明しています。
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コペルニクスの言葉ですが;;;

(さような意見をいだいている私は、直ちに罰せられなければならないと言って騒ぎ出すであろうことを、私はよく存じております。けれども私の意見は、他人の判断を考慮してしないという点で私の満足しているものではありません。) また哲学者の仕事は、神が人間の理性に許したもうた範囲において、あらゆる事物について真理を探究することであるから、その思想は愚人の判断に従うべきではないと思いますけれども、正義と真理に全く反する意見は避けるべきであると信じます。 以上はコペルニクスが 著書(天体の回転について)の冒頭で、ときのローマ法王に宛てて書いたものですが さっぱり意味が分かりません;;; 外国人なのでなるべく分かりやすく説明していたたけないでしょうか?! 特に(さような~ものではありません)が理解できません;;; お願いします!!

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Knotopolog
  • ベストアンサー率50% (564/1107)
回答No.2

質問者さんの句読点に従って解説します.# 印が私の解説です. >(さような意見をいだいている私は、 #(そのような意見をもっている私は, > 直ちに罰せられなければならないと言って騒ぎ出すであろうことを、 # 直ぐに罰しなければならない,と言って,騒ぎ出すであろう,ということを, > 私はよく存じております。 # 私はよく分かっています. > けれども私の意見は、 # しかし,私の意見は, > 他人の判断を考慮してしないという点で私の満足しているものではありません。) # 他人の判断を考慮したいけれども,考慮できないという点で,私は満足していません.) > また哲学者の仕事は、神が人間の理性に許したもうた範囲において、 # また哲学者の仕事は,神が人間の理性に許した範囲で, > あらゆる事物について真理を探究することであるから、 # あらゆる事物について,真理を探究することですから, > その思想は愚人の判断に従うべきではないと思いますけれども、 # その哲学者の思想は,愚人の判断に従う必要はないと思うけれども, > 正義と真理に全く反する意見は避けるべきであると信じます。 # 正義と真理に全く反する意見は避けなければならないと信じます。 なお, ~ 考慮してしないという点 ~  は入力ミスでしょう. ~ 考慮してないという点 ~   か,または, ~ 考慮していないという点 ~   ではないでしょうか?

yikataro
質問者

お礼

本当にありがとうございます!! おかげさまでやっと意味が分かったような気がします。 ご親切に答えてくれまして再びお礼を申し上げます。日本語がよく分からない人にとっては小さな間違いや昔っぽい言葉って 本当に難しいです;;;

その他の回答 (1)

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.1

まず断っておかなければならないのですが、 ここはカテゴリーが数学です。 数式の理解なら分かりますが、言葉の理解は数学屋さんの仕事とはちょっと違います。 「そのような意見を言うものは直ちに罰したほうがいい!と、周りが言うことはよく分かります。 (コペルニクスは、天動説の時代に地動説を唱えましたからね) 以下略。 国語か何かに廻してください。

yikataro
質問者

お礼

すみません、カテゴリを何にすればいいか迷いましたけど,やっぱり間違えってたみたいです;;; でも答えてくれまして本当にありがとうございました。

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