• 締切済み

アリストテレスの四原因説について

old_shoの回答

  • old_sho
  • ベストアンサー率38% (20/52)
回答No.1

アリストテレスの使う「原因」は、原語のより精確な表現というというレベルまでは知りませんが、「現象の原因」ということではないだろう、と前の似た質問に書きました。そこでも引用したコトバンクでは、 動力因:現実に作用し、事物の生成・変化・運動がそれによって引き起こされるもの。始動因。作用因。 つまりあなたの言われる「始動因」は他に、「動力因」とか「作用因」とも訳されているのですね。このようにニュアンスの異なる語に訳されるということは、使われている訳語にとらわれては、足下をすくわれるということでしょう。 ご存知であろうと思いますが、アリストテレスの話としては、例題として青銅像を持ち出すものありますね。「現象」の説明ではなく、「在るモノ」についての説明なのです。 ソクラテスの像が在ったとします。青銅=質料、ソクラテス顔=形相である訳ですが、それが在るには、制作者=作用因=動力因=始動因が居て、ソクラテスを再現しようという=目的因があった。後の二つの因は、質料は変えないで「形」にのみ関わっている、ということでしょう。 アリストテレスの論じて居るのはこのような単純なケースだけではないだろうと思いますが、軽い概論としてはそんなところではないでしょうか。

関連するQ&A

  • 質料と質料因、形相と形相因は違うものなんですか?

    質料と質料因、形相と形相因は違うものなんですか? また、四原因説では、世界に生起する現象には4つの原因がある、と言っていますが、たとえばWikipediaでは「やきそば」の質料因は・・・などと説明していますが、「やきそば」って物体であって現象ではないですよね? 逆に、たとえば「犬がほえる」というのは現象ですが、現象というのはこの例のように質料因を考えようがないものが多くありますよね? 私の理解の仕方がおかしいんでしょうか?

  • アリストテレスの「不動の動者」

    アリストテレス哲学に「不動の動者」という概念がありますね。 目的論的自然観の頂点に位置する純粋形相、完全な現実態のことです。 ところが、八木雄二『神を哲学した中世』という本を読むと、 「アリストテレスの形相質料論が新プラトン主義と結びついて、純粋な形相や、上位の形相と下位の質料という考え方が生まれた」 と書かれています。 つまり、「不動の動者」という考え方は新プラトン主義の産物とのことです。 しかし、私の記憶では、「不動の動者」「上位の形相と下位の質料」という考え方は、『形而上学』において示されていたはずです。 つまり、アリストテレスの自然観は新プラトン主義の産物ではなく、アリストテレス自身の思想だと思うのですが、どうでしょうか? あるいは、「不動の動者」の箇所はアリストテレス自身が書いたのではなく、後世に加筆されたのでしょうか。

  • コギトと アリストテレスの真理の対応説

     真理とは何か? これを《対象とその認識とが対応すること》と説いたのは アリストテレスであると言われます。  これは いわゆる経験合理性としての妥当性というような意味において 事実認識が《信憑性を持つ ないし 真実である》ということを言おうとしているようです。  ヰキぺの《真理》なる主題のもとには アリストテレスについての解説が 《経験事実についての真実》だけではなく 《経験世界を超えた場としての真理》についても触れていますので その項目を全部引いたあと問いをかかげます。(5)を問います。  ▲(ヰキぺ:真理) ~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86#.E3.82.A2.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.88.E3.83.86.E3.83.AC.E3.82.B9_.E5.AF.BE.E5.BF.9C.E8.AA.AC.E3.80.80  § 2 歴史   § 2.1 古代  § 2.1.3. アリストテレス 対応説   (1) アリストテレス(紀元前384年 - 紀元前322年)は、プラトンと同じく真理を永遠普遍なものとしながらも、プラトンがイデアが個物から離れて実在するとしたことを否定して批判的に承継し、真理を認識する体系的構造を整備し、後に「真理の対応説」と呼ばれる真理論を展開し、後世に大きな影響力をもった。    (2) まず、彼は、学問体系の整備を始め、「論理学」は確実な知識を手に入れるという目的のための「道具」(organon)であるとする。論理学においては、「Pは○か○でないかのいずれかである(○であり、かつ○でない、ということはない)」という形をした文は○の内容に関係なく正しい。真理に到達するためには知識は確実なものでなければならないが、そのための道具の性能をまず問題にしたのである。彼のこのような着眼点は現代真理論における記号論理学の発展を準備したものともいえる。  (3) ついで、彼は、学問を、「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分した上で、理論学を「自然学」と「形而上学」、実践学を「政治学」と「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。  (4) そして、その著書『形而上学』において、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知であるとし、「PはQである」という命題は真か偽かのどちらかであり、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとした。  (5) そこでは、存在者の「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えている。判断は真であることによって知識となるのであるから、そこでは、真理とは思惟と実在の一致と定義され、真理論と認識論と存在論がロゴスにおいて一体不可分のものとして語られていたのである。  (6) そして、彼は、プラトンのイデアと区別してエイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念をとなえ、その上で、世界に生起する現象には「形相因」と「質量因」があるとして、これを分け、前者をさらに「動力因」、「目的因」に分け、都合4つの原因(アイティアaitia)があるとした(『形而上学』Α巻・『自然学』第2巻第3章等)。これを四原因説という。  (7) 例えば、家という存在者の形相因は家の形そのものであり、質量因は木・鉄等の材料であり、動力因は大工であり、目的因は住むことである。その上で、存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが素材としての可能態であり、それとすでに生成したもので思考が具体化した現実態とを区別した。  (8) 例えば、家を作るため大工が木を切り倒して切り出して材木を作っても、家はまだ完成していないのであるから、それは可能態であって現実態ではない。壁や瓦などの材料と組み合わさって家になって初めて現実態となるのである。  (9) 彼は、すべての存在者が可能態から現実態への生成のうちにあり、すべて現象に四つの原因があるという。すべての現象の目的をたどっていくともうこれ以上遡ることができない究極の目的が存在するはずである。それは、すべての存在の動力因であるが、自らは動く必要がなく、自らのことだけを思惟すればよく、他のものを思惟しない質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたもの(不動の動者)があるはずである。これを彼は「神」と呼んだ。  (10) アリストレスの学問体系は、その後、中世のスコラ学に引き継がれ、近代認識論が成立するまでは長らく支持されていたが、その後も現代にいたるまで唯物論的見地から主張された模写説(素朴実在論)・反映説(マルクス主義)や観念論的見地から主張された構成説など様々なバリエーションの対応説が主張された。バートランド・ラッセル、前期ウィトゲンシュタインも言語論の研究成果を受けて修正されているものの、対応説の一つに数えることができる。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  質問( a ) ▲ (5) ・・・判断は真であることによって知識となるのであるから、そこでは、真理とは思惟と実在の一致と定義され・・・  ☆ この《真理の対応説》についてですが 《思惟と実在の一致》の当否を問います。これは 事実についての認識が その事実としての《実在》に言葉による表現として対応しているということを言っているのではないですか?  ( b ) すなわち 《事実についての認識》について 《真であるかどうかが問われる判断》を経て来ているとは言っていますが それは要するに事実認識の妥当性が問われているということであるのではないか?  ( c ) 妥当な事実認識は その対象とされた事実(つまりヰキぺの解説では 実在)とその認識内容ないしその説明内容や規定内容と過不足なく対応している。つまり マチガイなく事実(実在あるいは存在)を 合理的に説明しているという意味ではないか? つまり 《真理の対応説》がです。  ( d ) つまり (5)では 《思惟と実在との一致》というふうに《一致》という表現を用いていますが これは何も《思考(考える・つまりコギト)》が《存在(有る・つまり スム)》とひとしいと言っているのではない。  これを問います。どうでしょう。  なお (9)項における《神》の定義について ご見解がある場合 あるいはその他その他の論点についてもそうである場合には そのお考えを述べてください。互いに問い求めます。

  • 信仰でない無神論というのは あるのでしょうか?

    信仰でない無神論というのは あるのでしょうか?  ないと考えるのですが ご見解をお寄せください。  有神論と同じ条件においてひとしく非思考の場で成り立つものだと考えるから 無いという現在の結論です。  ちょうど この非思考の領域において 唯心論と唯物論とが けっきょくのところ互いに同等の原理論であるというのと同じことだとも理解しています。  原理論という意味は 先験的に――あるいは 超越論的にというのでしょうか――そうであるという捉え方をする場合のことです。つまり 非思考の場のことです。  もし経験思考の世界においてでしたら 唯心論は 一般に精神世界すなわち心ないし観念の現象に対応するでしょうし 唯物論は 一般に質料(マタ―・もの)論としての世界認識に対応するのだと思います。  ・・・・・経験世界・・・・(経験思考)・・・・・・/ 非思考(超経験世界)  _____________________________________  モノ:内容(コンテンツ)・質料(マタ―・ヒュレ)・/第一質料=物質(マタ―)  心 :形式(フォルム)・・形相(フォルム・エイドス)/第一形相=世界精神  ☆ つまりは 物質というのと無神と言うのとは 同じことだと考えますし その唯物論=無神論は けっきょく対極の唯心論ないし観念哲学としての世界観と 非思考の場において兄弟のようなものだと見ます。どうでしょう?

  • アリストテレスの自然観

    アリストテレスは自然とは原因のひとつであり、現象を説明するための根拠といっていますが、これは環境問題や生命操作が進行する時代にいかなる意味を持っているのでしょうか・・。

  • 文の構造のご説明をお願いいたします

     日本語を勉強中の中国人です。フロイトについての内容なのですが、「心理現象の動因に、主として性欲とその抑圧によって無意識層に沈んだ深層心理と意識とのあつれきによっておこるヒステリー症を研究した」という文がありました。この文の仕組みを教えていただけないでしょうか。文が長すぎて意味はよくわかりません。特に、「心理現象の動因に」の「に」の役割、「主として」はどこまでかかるのか、「その抑圧によって」の「によって」の役割、「あつれきによって」の「によって」の役割をそれぞれ説明していただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 干ばつの原因は何なのでしょうか?

    干ばつの原因は何なのでしょうか? 調べると、エルニーニョ現象という言葉が出てきたんですが、よく意味が分りません 地球温暖化と関係があるとも書いてあったんですが本当なんでしょうか? 誰か教えてください お願いします

  • アリストテレス(天動説)コペルニクス(地動説)について

    アリストテレスやコペルニクスは天動説、地動説をそれぞれ提唱しましたが、この呼び方には間違いがあると聞きます。天動説、地動説という呼び方にどのような間違いがあるのでしょうか?

  • 四原因説について教えて下さい

    哲学用語図鑑ってのを買って4原因説を見て、ああこれはなるほど正しいかも。 と思ったのですが、wikipediaを見たらそれが一元化されてると見ました。 これは果たしてどういう意味なのだろうかと疑問に思っています。 ご存知の方教えて下さい。

  • 【パスタが乳化する原因】パスタが乳化するとはどうい

    【パスタが乳化する原因】パスタが乳化するとはどういうことですか? パスタの乳化現象の意味を教えて下さい。その乳化を抑える科学的な方法も教えて下さい。