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源氏物語の和歌について
いくつかの現代語訳を少し読んでみたのですが、和歌が少しずつ異なってるような気がするのです。古い和歌は和歌集などに載る際、選者によって少し編集されてしまうこともあると聞きました。これと同じことでしょうか?与謝野晶子の現代語訳を読みましたが作中の和歌の細かいところが気になるので…。 詳しい方いらっしゃったらお願いします。
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お礼
ご回答有り難うございます。 おお、何か頼もしい先達に出逢ったような気分です!1年かけてコツコツと比較なさったのは流石に大変だったのでは。でもだからこそ違いが浮き彫りになってくるのでしょうね。やるだけの価値はあると思います。 また、ご紹介下さった和歌も参考になりました。同じ言葉でも、表記が漢字か仮名かの違い。どちらも同じとは言っても、日本人としてはちょっと違うんだという、こだわりというか何というか…。英語には無いんだろうなぁと思ったりします。 仕方のない事でしょうが、間違いのない本来のままの文章はどんなだったのだろうと思ってしまいます。 ちなみに私は学校で習った以外、まだ原文には触れておりません。それはまだ先のことになるだろうとは思いますが、楽しみながら学んでいきたいと思ってます。