• 締切済み

百人一首の中に星の歌が一首だけしかないのは何故?

月は19首詠まれているのに、ズバリ星を歌った歌は一首もありません。 隠喩として「かささぎの 渡せる橋に置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」だけが天の川を霜に置き換えて詠んでいるという説があるくらいです。 星にあまり関心を待たなかった理由は何でしょうか? 「月をこそ 眺めなれしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる」 建礼門院 「天の海に 雲の波たち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」 柿本人麻呂 など名歌として決して引けを取らない格調高い歌もあるのに、なぜか百人一首には採られてないんですよね。残念と言うか、単に選者の美意識に合わなかっただけなのでしょうか? 農耕民族なので一般の人は早く家に帰って寝てたとしても歌を詠む貴族たちは夜更かしもしていたようなのに…文字通り月の陰に霞んでしまったのはなぜでしょうか? 教えてください。

みんなの回答

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.5

「百人一首の秘密」 http://www8.plala.or.jp/naomichi/ http://www8.plala.or.jp/naomichi/hyakushu/tegakiezu.html http://www8.plala.or.jp/naomichi/minase/minasenosato.html 後鳥羽上皇が、隠岐に流されるとき、当然、見送るはずの藤原定家の姿がみえません。 百人一首の、暗号が、鎌倉幕府にばれたら、定家が、殺されるだけではすみません。 鎌倉幕府の、田舎侍が、解けるものなら、解いてみろ、と、命がけの喧嘩をしかけたのです。 傾いたものです。 一族が全員抹殺される、その危険を犯して、後世の人々に、定家のなぞを解いてほしかったのでしょう。 そして、なぞは解かれました。 歴史は、勝者が、書かせるものです。敗者には、言い訳もなにもありません。 義民伝承、民間伝承にたよるのみです。 今夜は、満月でしょうか? 願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃 西行法師

lapislazri
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 暗号が含まれているという説は聞いたことがありますが、何かの意図で選んだのは 間違いないかもしれませんね。 平凡だったり、平板だったり、格調が感じられなかったりの歌が半分近くありますし。 とても秀歌だけを選んだとは思えないのはそれが原因かもと思います。 現に西行法師も百人一首にある歌「嘆けとて月やはものを思はせるかこち顔なる我が涙かな」 より上の句の方が数倍すばらしいのになぁと思います。 星の歌を選んでないのと、誰が見ても秀歌と言えないものを選んでいるのは百人一首のなぞの一つですね。

回答No.4

百人一首には面白い説があるんです。 百人一首には名歌も多く採用されているのですが、中には首をかしげるような平凡な歌ものせられています。 身内のものが不思議に思って定家に尋ねると、 「疑問に思うのも仕方がない。だが、あれは私なりの考えをもとに選んだのだ。」というようなことを言っていたそうです。 実は百人一首は、歌のキーワードをもとにパズルのように組み合わせると一枚の絵が出来上がるのだそうです。 この説の出典が御煎餅のパンフレットにかいてあるものなので、その絵をお見せすることができないのですが、確か星は絵にかいてなかったと思います。 ですから、星に関する歌は採用されなかったのでは。 また、月に関する歌が19首あるとのことでしたが、それも定家は月に焦点をあてていなかったのかもしれません。

lapislazri
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 私もそっくり同じ感想と言うか疑問を持っていましたので、やっぱり昔の人も同じことを 思っていたんだと親しみがわきました。 でもやはり定家の選択眼には疑問を持ちます。 どんな意図を込めたかったにせよ、歌人としての高い意識を捨てるべきではなく、後世に残して 悔いのない秀歌のみを選ぶべきだったと思います。 たまたま好みで選んだのが秀歌ではないのならまだいいけど、それをわかっていながら、あえて 自分の意図のために、歌のレベルに目をつぶったのなら歌人としての自負に疑問です。 でもこれだけ長い間多くの人に親しまれてきたということは、内容的に優れているかどうかを 超えて何らかの魅力を見出して選んだ歌だったからともいえるのかもしれませんね。

回答No.3

「星」と「和歌」で過去3回質問回答が有りましたので、検索してみてください。 Yahoo!の知恵袋にもいくつかありました。 和歌では、星合、彦星と七夕関連は、万葉集が多くありますが、柿本人麻呂以外でも 北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて 巻第二 持統天皇 を始めとして夕星は長歌で二首あります。 古今和歌集では、彦星を入れてわずかに三首 久方の雲の上にて見る菊は天つ星とぞあやまたれける 藤原敏行 我のみぞ悲しかりける彦星も逢はですぐせる年しなければ 凡河内躬恒 あひ見まく星は数なく有りながら人に月なみ惑ひこそすれ 紀有朋 何故無いのかというのは、かなり難しい質問かと存じます。 私の知っている数少ない漢詩に、七夕以外で星というものの記憶がございません。 中国であろうが日本であろうが星は見えますが、漢詩の影響を受けているのでは?と思う次第です。 月落烏啼霜満天くらいでしょうか?

lapislazri
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。。 一つ質問させてくださいますか? 持統天皇の「久方の雲の上にて見る菊は 天つ星とぞあやまたれける」 とありますが、雲の上にて見る菊ってどんな意味なのでしょうか? もしかしたら「雲の上にて見る月は」なのかなとも思ったのですが、どんな菊なのか お教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.2

この百人一首には、定番の春の鶯や秋の雁がどうして出て来ないのだろうか。 「鶯の初音は聞かず小倉山」 「一声は月が鳴いたか時鳥」 また、その選や順が気になりだすと、 「七十九男で二十一女」 「雷も天狗もまじる百人首」 「来ぬ人を入れ百人に都合する」 「百人へ有明たった四つ入れ」 こんな風に江戸川柳を交えて軽妙に語る池田弥三郎「百人一首故事物語」(河出文庫)には、この大江千里の和歌について、次のような解説が付け加えられています。 「王朝の生活では、月を見ることはむしろ、避けるべきこととしていたし、月光が赤児の寝顔にさしているのを、不吉だとしている。実は月ばかりではなく、星などはもっとこわいものと思っていたとみえて、ほとんど歌にもなっていない、。「建礼門院右京太夫集」にひとかたまりの星の歌があることは全く珍しいこととされているほどだ。」

lapislazri
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 ご紹介の池田弥三郎氏の「百人一首故事物語」に興味を惹かれて早速本屋に行ったら どこにもなくて、図書館に行ったらさすがにありました! 星を不吉と思う説は聞いたことがありましたが、月までもそうだったとは意外でした。 でも歌を読む人たちには月は大変愛されたのですよね。 そこが少し不思議なのですが、こうこうと照る満月の光を見ていると神々しくて 引き込まれてしまいますし、もし歌心があれば、何か詠まずに入られない魅力があるなと 思います。西洋の歌の世界でも月光価千金とかムーンライトセレナーデなどやはり月の魅力を歌ったものが 多いですね。まあ、スターダストという名曲もありますけど。 日本人が圧倒的に月に魅了されるのは日本人のメンタリティに訴えかける力が月には あるということなのでしょうね。満ち欠けをすることで無常を感じさせられますし。

noname#204885
noname#204885
回答No.1

平安貴族にとって、星の運行は陰陽道と非常に強い関係がありました。 月は愛でる対象ですが、明らかに星は畏れの対象として扱っている面があります。 定家自身も、星自体には並々ならぬ関心を示しており、有名なカニ星雲の元となった超新星の出現記録もつけていますが、やはり気味悪さが先に立っていると言うか、あまり親密な対象とは見ていなかったように思います。 http://homepage3.nifty.com/silver-moon/teika/teika.htm (余談ですが、この時の超新星の観察記録は不思議に欧州には残って居らず、天文学的にも貴重な記録となっています。欧州の天文学者達は、「この時は欧州はきっと曇天の日が続いていたに違いない」と悔しがっていますが、日本人の星への興味は決してヨーロッパに負けていなかったと言う良い証拠になっています。) もちろん全く星の歌が無いと言うことではなく、定家の歌にも下のような星を詠んだ歌が残っています。 風のうへに星の光は冴えながらわざとも降らぬ霰をぞ聞く (風の吹く空の上に星の光は冴えていながら、時々思い出したように降る霰(あられ)の音を聞く) が、質問者様が挙げられた歌も含めて、扱い的には極めて客観的と言うか、神秘的な対象として捕らえており、月のように自分の心に引き寄せて歌うと言う感じではないように思います。 (人麻呂の歌は、さすがに時代が古いためか、平安の歌人よりはもう少し親密な気持ちで星を歌っているようですが。) その辺の事情もあって、百人一首にも星の歌はあまり取り上げなかったのではないでしょうか。

lapislazri
質問者

お礼

早速貴重なご意見ありがとうございました。 現代はむしろ、「星に願いを」「星影の~」「星は何でも知っている」などなど歌のタイトルにも多く見られるように、星に対して怖れなどは感じられず、より身近に親しみを感じる対象となっている気がします。谷村新司の「昴」中島みゆきの「地上の星」など大ヒットした曲も多いですし。 月は愛でる対象、星は畏れの対象だったというのは納得です。 それと星は変わらずそこで瞬いているような印象があるけど(本当は季節によって巡っているのですが)月は満ち欠けをしますから、仏教の無常感とも合致して、その当時の日本人の心により深く入っていったともいえるのではないでしょうか。 アポロが飛び、月面着陸をし、月が科学になってから神秘性が失われ、むしろ影が薄くなり、今では星のほうにまだ神秘なものを感じるということで歌の対象などになってきたのかもしれません。 まさに歌は世につれが当てはまります。 陰陽道に関係していたことと、現代の星占いもどこかでつながっているのでしょうか? 数は多くなくとも、ひっそりとでも星がいろいろと歌われていたことが分かっただけでも良かったです。 ありがとうございました。

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