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死刑制度はいらない

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回答No.13

人間に、「欲」と「甘え」がなかったら、共産主義国は、今、地上の楽園に成っているでしょう。 綺麗な街のシンガポールでは、以前は、吐き捨て禁止でしたが、効果がなく、ガムの持ち込み禁止になっています。 綺麗な街を維持するには、それが必要な地域もありますが、日本の様に、皆の意識で、成し遂げられている所も有ります。 これは、日本が、単一民族で、意思疎通が速い事も有りますが、犯罪に対する意識がありました。 この意識ですが、悪い事と理解しての意識の人もありますが、悪い事と理解出来ない人も有り、その場合に、刑罰への恐れに依る意識があるでしょう。 皆の意識があった事は、太平の江戸時代300年が、あったからではないでしょうか、江戸時代は、宗教などの倫理観も、隅々まで浸透した事も有りますが、犯罪の対する刑罰が厳しかった事に、大きな原因が有ると思います。 江戸時代は、政情も安定して、法の運用も公平性が有った事も有り、犯罪が非常に少なく、治安が良い為、鍵が発達しなかった事にもうかがえます。 この辺の事は、明治維新政府以来の江戸観では無く、江戸時代を研究した本が多数出ていますので、是非参照にしてください。 厳しい刑罰にしても、安定した長い期間の継続がなければ、人間の、「欲」と「甘え」を、抑制する事は、困難でしょう。 日本で中国人の犯罪が多いのは、民族性も有りますが、自国ならば、直ぐに死刑となるものが、日本では、それ程厳しくない事から、起きるのではないでしょうか。 外国人が、多くなっている今、精神的な発展途上国からも、沢山来ています。彼等を、犯罪者にさせない為にも、メリハリの有る刑罰が、必要ではないでしょうか。 犯罪を考えない、行わない人々に、刑罰はあっても、無縁で、支障が有るはずが無いと思います。 死刑反対論者は、自分を「鏡」で観察してみた方が良いのではないでしょうか。

angel25gt
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。刑法の名で善悪を決定してもそれは普遍的なものではありません。ましてや宗教などといった幼稚な詐欺をもちいての、あなた的な平和社会、かなり酷い国家観ですね。刑罰と無縁な人って、それ人間ですか?

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