過剰な累進課税は間違っていると思う

このQ&Aのポイント
  • 自由主義、競争、規制緩和、構造改革、自己責任、機会の平等が、最も公平で優れた活力ある社会だと思います。
  • 高所得者を叩き落とすのは社会主義であり、競争から生まれる格差は受け入れるべきですが、生活できない人を助けるのは必要です。
  • 非効率な企業や業界を血税で保護するのは既得権益であり、税制は妬みの累進税制ではなく公平な消費税を増税するべきです。
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過剰な累進課税にして、結果平等の共産主義にするのは

間違っていると思いますね。 僕は、高所得者や成功者を寝たんでバッシングして、搾取して、引き摺り下ろすのはおかしいと思う。 自由主義、競争、規制緩和、構造改革、自己責任、機会の平等が、最も公平で優れた活力ある社会だと思います。 高所得者をねたんで、怠け者と同じ水準になるまで叩くのは、社会主義だと思います。 ただし、自由主義と競争の結果、運悪く負けてしまい、どうしても生活できない人を助けるのは良いと思います。 ただ、競争するまえから金をばら撒いたり、ムダな公務員や公共事業でムダな怠け者を養うのは反対です。 基本的には、自由な市場で稼ぐべきだと考えます。 だから、非効率な企業な業界はムダなので、血税で保護するのは、既得権益です。やめるべきです。 『格差社会のどこが悪い!経済効率を達成するには有能で頑張る人が経済的に大きく報われる制度がよいとし、そうでない人は有能で頑張る人を怨んではならない』 妬みの累進税制を廃止いて、国民みんなで公平な消費税を増税するのが、責任ある市民の政治だと思います。 『俺は税金払いたくない。俺より高所得な奴が払え。でも福祉はくれ!』というような、”乞食の思想”では、社会は衰退するだけです。 諸君はどう思う?

質問者が選んだベストアンサー

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  • wiz0009
  • ベストアンサー率22% (107/474)
回答No.1

概ね同意です。 もちろんある程度低所得者を救済することは よりいっそうの競争社会を生み出すので大事なことですが、 努力して稼げば稼ぐほどたくさん徴収するというのは馬鹿げた市場原理です。 努力とは関係の無い部分の相続税率をアップするとか、 最低賃金を上げたり労働環境を改善することで低所得者の競争力を煽るなど 怠け者を生み出さない社会作りが大切だと思います。

その他の回答 (2)

noname#143988
noname#143988
回答No.3

社会主義がいいとは言わんが、 財産を一代で作った。 その後はどうすんの? 金持ちの子供は金持ちでしょう? 教育も財産も受けたい放題 使いたい放題? これで機会が平等? 頭悪い考え方です。 二百年以上前に、コレじゃ駄目って事になって、民主主義や社会主義の思想が産まれたのを忘れてませんか? 新自由主義か何か知らんが、累進課税が機会均等を産む。 相続税が平等の根元です。 一度富めば何代も世襲で富むシステムは、平等と機会均等とは無縁でしょう。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.2

社会保障は、臨床的に国家や行政の補助を要する人に対しては必要。 それ以外の人に対して必要なのは自立支援。 労働無き対価を支給すれば、それは自立阻害となる。 対策は簡単な話しで、生活保護等の不正受給に対しては、厳罰を科せば良い。 5ヶ年程度、刑務所で労働と職業訓練を受ければ良い。 授産施設,更生施設,収容施設として、刑務所ほど適した施設は無い。 希望者には、囚人と区別し通勤形式で、就労や職業訓練を施しても良かろう。 且つ、年金制度を改革し、年金が生活保護等に対し、遥かに得となる制度化すれば良い。 誰もが競って加入したい様な仕組みにすれば、年金問題など簡単に解決する。 何も支給額を増やす必要も無く、例えば消費税減免等を併用すれば、救出財源問題は緩和する。 逆に言えば、年金加入すれば損と言う現状は、事実上、制度が破綻していると言うだけ。 制度破綻を消費税増税で補っても、年金が得とはならないので、問題は何も解決しない。 魅力ある年金制度の構築が出来ないなら、制度を廃止した方がマシ。

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