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パッション

パッションという映画をご存知ですか? イエスキリストの最後の12時間を描いたものなのですが…とにかくグロいです。 1度見ましたが話しが難しく分かりませんでした。そこで質問です。 ・なぜイエスは十字架にかけられたのですか? ・誰のために十字架にかけられたのですか? ・誰が、イエスを十字架にかけたのですか? パッションの映画から大体を抜粋して説明お願いします(>_<)

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noname#207138
noname#207138
回答No.1

何故十字架につけられたか 当時(今もですが)、イスラエルはユダヤ教によって統治される国でした。 イエスの教えはそのユダヤ教を完成させるものだったのですが、それは当時のユダヤ教のあり方を大きく覆す内容で、当時のユダヤ教の形に則ることによって権力を保持していた当時のユダヤ教権力者たちにとっては迷惑だったのです。 この時点で既に彼らは教えとは別の次元に住んでいる事になってしまっているのですが、彼らは既に権力の虜になっており、教えを追求する事よりも自分たちの権力を保持する事が大切になってしまっていたのです。 一方、イエスはそんな当時の権力者たちよりも国民の信頼などの人気を得て、権力者たちはイエスを亡き者にしようと働きかけました。 そこで色々な手を使うのですが、罪を犯していないイエスを死刑にする事ができずに居たのですが、裁判の最中にイエスが言った「私は神の子であり、自分と神とは一つである」と言った言葉を神に対する冒涜とし、それをもって死罪(十字架に磔)にしたのです。 誰の為に十字架につけられたのか。 イエスは、十字架に付けられる為に生まれてきました。 旧約聖書に既にイエスの運命は予言されていたのです。 なぜ、十字架に付けられなければならないのか。それは人類の罪を購うためです。 ユダヤ教には、誰かが罪を犯した際、その償い(購い)として羊などを生け贄として捧げる事によってその赦しを得るという法律があります。 この法律について説明すると長くなるので省きます(知りたかったらその旨改めて質問してください。知りたいかどうか解らないのに書くには話が長くなりすぎますから)が、とにかく、その法律の最上級版としてイエス(神の子)を生け贄として捧げる事によって人類の罪が購われたのでした。 誰がイエスを十字架につけたのか。 色々な読み方がありますが、最も単純な読み方としては「当時のユダヤ教権力者たち」。 しかし、実質的な意味に於いては「人類全員によって」です。映画パッションの中でイエスの手を十字架につけるために釘を打っているシーンがありますが、あの釘を打つ手は監督のメルギブソン本人です。彼は、クリスチャンとして自分の罪を自覚しており、罪を犯す自分の持っている性質がイエスを十字架につけたのだという事を理解している訳です。 人は罪を犯したくないと願っても罪を犯し続けるものです。 この場合の罪とはcrimeの事ではなくsinの事です。

noname#137466
質問者

お礼

ありがとうございます!!! 誰のためにって言うのは結局簡単に言えば誰なのでしょう? 十字架のため?そこだけが私の中であやふやですが、ほんとにありがとうございます♪

その他の回答 (2)

noname#207138
noname#207138
回答No.3

No1です。 すみません。具体的に書いていませんでした。 誰のため: 全人類の為です。 生け贄によって罪が赦されるというのは、例えて言えば罪を犯した事によって閉ざされてしまった道を生け贄によって開くという行為です。 道が開ければ当然そこには光が差し込んできますし、その気があれば開いた先の道に進む事もできます。 罪によって閉ざされて光が射さなくなり、暗くて何も見えない状態に長い間置かれると、知恵をはじめ全てが衰え、その先は死です。 ですから、罪=死と言います。※細かい事は今は置いておいて。 したがって、生け贄によって道が開ける→日光が差し込んでくる。知恵などの能力が衰えない。どころかその気があれば発達もできる。これを命ある状態と解します。 人類の究極の先祖であるアダムとイブの犯した罪によってその子孫である人類全体は罪を犯す傾向を持っています。 傾向を持っているというだけでなく、全員が例外なく罪を犯すのです。 その罪を購う生け贄は羊なんてものでは役不足甚だしいので、全人類の罪を購う生け贄として相応しい「罪の無い神の子」イエスが生け贄として捧げられました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

「自分は神の子だ」と言ったため、神を不敬するものだとして、手配され、ユダの通報により逮捕された。 神を不敬たという罪の問われ、鞭打ちの罰が与えられたのですが、人々は彼が死ぬことを望み、その当時のピラトは、ユダヤ人の暴動を恐れ、ユダヤ人が望むようにイエスを死刑にした。 イエスは自分が動物を殺すことにより罪が消えるように、自分を殺すことで人々の罪が救えると考えたので、人々のため。 イエスに死をとマズ言ったのがカイファで、それにより人々も「イエスを殺せ 殺せ 殺せ」となり、それにおののいたピラトが言われるがままにイエスに死を ただし イエスの死に私の席には無い と言ったんです。 聖書の中では。 ただし、実際のピラトは、ユダヤ人が大嫌いで、ユダヤ人を挑発していたので、ユダヤ人は暴動を起こしていた。 ピラトは逆らう疑いのあるというだけで捕まえて、裁判無しに処刑していた冷酷な人物。 あまりのひどさにユダヤ人は ローマ皇帝へピラトの暴君を訴えたため、ピラトは解任されたんです。 これは史実です。 聖書は人間が作った物語なので、史実ではありません。 りません。 私もこの映画を見ましたが、そのグロさに見ていた観客が心臓発作を起こし死亡しただけあって、超グロ作品です。 どうしてこのような映像になったのかというと、監督は自称敬虔なカトリック教徒だといっています。 カトリック教は、イエスが自分たちの罪を消したので、イエスの痛みを味わい許しを請うべきだと考え、罪悪を常に持ち 反省することを常に求めるので、一日の終わりに どんな罪を犯したかを振り返り 裸になり精一杯自分の体を鞭打つことを推奨しています。 ですから熱心なカトリック教徒であるほと、体中が出血しています、 そのような教化 要するに暴力を肯定する教育を受けてきた監督ですから、グロは甘美なものという価値観を持ち、美を映画にするため、グロ作品を作ったわけです。 映像の内容のようなシーンは、聖書には記載されていません。 監督が望んだグロ世界が映画で表現されています。 もっともっと グロを とグロさを美とする監督の趣味で、あんな殺人映画ができあがり、人が死んでしまいました。 バチカンは 内容は聖書の通りだといいましたが、映像のようなシーンは聖書には無い。 監督の妄想です。 自分を痛めつけるというのに快楽を感じた監督は、そのほかにもグロ作品に出て、グロな世界を希求しています。 この男の脳の中にはグロが快楽といなっているようです。

noname#137466
質問者

お礼

監督がそういう人柄だから、あんなにグロくなったのですね……亡くなる方も出たとは(>_<) 回答ありがとうございます!!

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