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この子の言う事はおかしい?
小学2年生のいとこが居ます。 学校で、ドリルを仕上げると、その度に、花や動物の描かれているシールを 貼ってもらえるそうなのですが、このシールが子供たちの間では人気 があるようです。 いとこは、春に配られたドリルを、もう半分以上終えてしまったそうです。 さて、このシールはおそらく、先生が学校の備品として買っているものだと思うのですが、 あるときたまたま机の引き出しを開けたところ、 普段は一枚ずつしか貼ってもらえないそのシールを、シートのまま見つけたそうです。 連絡簿の表紙にシールを貼るのが流行しているため、放課後に引き出しをこっそり開けて 先生のシールを次から次へと勝手に貼っていたところ 見つかって怒られたようです。 その時に先生が、「○○さんがそんなにシールが欲しいのなら、言ってくれれば先生は 全部とは言わないけど二、三枚はあげました。人の引き出しから勝手に取るとは何事ですか。」 と言ったようです。 すると、そのいとこは、「先生に言えば二、三枚しか貰えなかったかもしれないけれど、 自分は何十枚も貰えたので、やっぱり勝手にとって正解だった。」 と言ったらしい。 先生が「こんな子は初めてだ」と怒りを通り越して呆れ家庭訪問に来るそうです。 しかし僕はこの話を聞いた時、案外子供の言う事のほうに理があるような気がしてしまいました。 皆さんはどう思いますか。
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- amaguappa
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欲しいからと勝手に取らない、面と向かって交渉する。 交渉力で手に入れるべきでしょう。 先生は2,3枚ならやってもいいと思ったようですから、 その量を増やすには、一度に大量に手に入れようとすることは難しく、時間的な交渉も必要になる。 つまり期間を拡張したり、段階を踏んだ期限付きの条件を提案するというような形です。 子供の発想は、時間的な量が構築されにくいものです。 欲求を一度に大量に満たすということから、徐々に離れて、 予期・予定において時間的に量をコントロールしながら欲求や条件を満たすという方向へ、 人間の思考の成熟というものがあります。
スーパーのレジの店員 「もうしわけございません。奥様、本日タマゴはお一人様1パック限定となっております。」 主婦 「うちは飲食店やってるから、どうしても3パック欲しいのよ。前回は、旦那と子どもも一緒に買いに来たわ。そちらもレジが混むより良いでしょ?今なら誰も見てないわ。3パック買わせてよ。」 スーパーのレジの店員 「もうしわけございません。」 主婦 「どうしてもだめ?もう、やっぱり3人で来れば良かったわ。」 ということかなあ。と思いました。
- kusa-mura
- ベストアンサー率30% (7/23)
面白い質問ですね。道義的な問題は他の人が書いてしまったので、もう僕の出る幕はないでしょう。「理がある」と書いてバッシングを浴びていますが、こちらの方についてコメントしてみます。 僕は質問者さんが、理があると思った理由、何となくわからないでもないです。というのも、大人も形は違えど、不平等な報奨制度の中にいるからです。営業成績、業績、アンケートなど御褒美シールで管理されています。しかしこのシール制度は常に平等であるとは限らないのです。 すると、誰しも、いっそ強奪でもしないと自分はやっていけないのではないか――と自棄な気持ちになることがあるでしょう。管理者の引き出しを開けて、ご褒美シールを盗み出し、システムが崩壊するまでのことをしてみたらいっそ胸がすっきりするだろう、と思わないでもないわけです。2枚や3枚というせこい交渉をしてくる先生は憎い。そんな問題じゃなくて、そもそも御褒美シールを貼ることに意味がないまでの状態にしてしまえ。管理のルールを壊してしまえ。 でもこれは空想であって、本当にやるわけにはいかない。かといって自分の脳裏をちらっと掠めたことだから、子供のいたずらも意味があるのではないかと思ってしまう――そんなアナーキスト的な思想への共感が先だってあるからこそ、子供に共感してしまうのではないかと思えました。とはいえ、僕の深読みかもしれません。
- youre
- ベストアンサー率15% (13/83)
許可無く盗ること盗みという。盗みは犯罪です。 多くは許可の有無で犯罪になります。 レイプしといて、でも僕は気持ちよかったから正解だった。と云うのと同じ事です。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
うんとですね。 所有に関して教えなければ。 先生がもしアイデアで自腹でシールを買っていたら、そのシールは先生の所有物です。 その所有物を誰にあげるかは、所有者の先生が決めることであって、他人が奪ったらドロボーになります。 もし先生が、学校から授業のやる気と褒章の関係から、学校の経費で買った備品のシールを使っていいと許可してもらっていたら、先生は備品を持ち出すとき、ノートに記入することになります。 (学校次第ですが、一応在庫管理表ってあると思う) 先生が授業用に購入されたその備品を、自分のノートに貼って使っていたら先生がドロボーです。 厳密には横領になります。 先生の机は学校の所有物ですが、学校から使っていいと借りていた場合、それは限定的に先生の所有物になります。 他の先生が学校の経費で買ったものだからと、勝手に先生の机を空けて「学校の経費で買ったシールだから」ととることはドロボーです。 子供であっても、人の机を勝手に空けてさらにとる行為はいけません。 が、監督の役割を持つ主任教師が、正当な理由があった場合、他の先生の立会いのもの、その先生の机を空けさせて中身をチェックするのは違法とはいえません。 犯罪を防止するための措置であれば、ただし立会いのもとにやらないと、疑いをかけられてしまいます。 子供の机は子供の例え親や学校が買ったものでも、使用者はその子供ですから、勝手に机を空けてはいけません。 しかし、保護者や担任の先生は、子供の保護の役割から、時には持ち物検査のために空けることは許される。 持ってきてはいけない品物が机の中に入っていたら、預かる権限はある。 しかし、返さないで自分のものにしてしまう権限は無い。 お年玉は子供にあげたら、それは子供のもの。 「私が働いて稼いだお金だから、かえしてもらう」と机の盗ることはだめ。 なぜなら所有権が親から子供に移ったから。 食事を作って配膳したあと、「この食べ物は私の働いたお金で買って、私が作ったから、私が食べたければ勝手にあなたの皿から取っていいでしょ」は通じない。 いったん提供したら、その食べ物の所有権は子供に移る。 しかし、子供が弟がウインナーが大好きだからと、自分の皿から弟に「やるよ」と渡した場合、所有者の兄は弟のウインナーの所有権を譲渡したことになるので、問題は無い。 ここまでオッケーですよね。 親の財布から「今月おこづかいをまだもらっていなから」と勝手にお金を取ることは? だめですよね? どうして? 合意が無いからですよね。 子供だから何をやって許されると思っているのではなく、所有権というものがよくわかっていないから、できてしまったのだと思う。 店の棚にある食べ物を勝手に取って食べないということはできても、とても欲しいシールに関しては、だめだあまりブレーキがかからなかったのは、所有権うんぬんよりも 欲望が強すぎて超自我が働かなかったのだと思う。 超自我が働いて欲しいという抑えさせるためには、どうすればいいのか。 無理に正当化する屁理屈だと子供はわかっているはず。 バレなければいいやと 他にもやっていると思う。 さあ しつけますか? 自分がとられたときの悲しさを体験してもらえばいいわけです。 先生はたくさん持っているから、少しぐらい減っても悲しまないだろう じゃあなくて、先生は10枚盗られても不自由はしないが、子供に盗まれたという悲しみが発生するということを知ってもらう。 自分の子供が泥棒をしたということにショックを覚えないですか? どうせ 学校の備品だから どれだけでもあるし という教育を子供にしてきたんですか? だから、子供が罪悪感が無くできてしまったのではないんでしょうか? どれだけショックか 子供に言ってきかせたくてもできない? あなたがショックを受けていないからできない? 私なら怒鳴りつけますよ 子供のため 泣いて怒りますよ。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
100円を持っていくとりんご1個と交換してくれる。 ある日、万引きしてたくさんりんごをバッグに入れた。 しかし見つかって「そんなにりんごが欲しければ、10個買うたび1個おまけしたのに」といわれた。 だけど10個買わないと1個もらえないより、万引すれば欲しいだけりんごが手に入るのだから、これからも人のものを勝手に許可無く奪っていいんだ お徳だ と思った。 とその子はいったわけですよね。 ご飯のときに、お皿のものを全部奪えばいいと思う。 「いえばウインナー一個くらいやるよ」といわれたら、「全部欲しい、全部くれないでしょ? だったら 黙って奪えば全部手に入るから黙って全部もらう あんたのやったことはそういうことでしょ。人のものは相手が許可してもらうもの。あんたは相手の合意無しに奪う泥棒。あんたは泥棒がいいと言った、。だから 私もあんたのものは泥棒していいってことよね」って言ってみたら? 「人のものは俺のもの という人は 自分が奪われても文句言わないもんでしょ。自分は失うのは嫌だが人のものは泥棒するは通じない」って身を持って体験してもらい、所有 と譲渡のルールを教えれば?
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
社会とは、分業化することで助け合うために集まったものです。 貨幣とは、そこにおいて生産者に助けてもらった証に、「この人は 社会の役に立つので助けてあげて下さい」という、需給をつなぐ 感謝の情報なのです。 ところが実際は、便利な製品をもらって助けられた方ではなく、 手垢に汚れた紙切れをもらった方が、「ありがとうございます」と 感謝するのが現代社会です。 その、尻を拭くのもはばかられる汚い紙に、価値を感じている (本来、その向こうで働いている人々が「価値」の実体なのに)。 社会生命として自覚し、自律的に(愛によって)社会行動をとる のではなく、お金や地位といった「馬車馬の目の前のニンジン」 によって操られることで社会性のコースを走らされる=結果的に (非自覚的に)助け合っているのです(意識は弱肉強食の擬似 ジャングル)。 その子は確かに、目に見えるものを得たかもしれませんが、 目に見えない(しかも大きな)ものを失いました。 生きることの目的が、物質的豊かさなのか、目に見えない精神的 幸福感なのか、それを教える、非常に有効な教訓でしょう。 いっても、助け合いだと自覚して労働している人など誰もおらず、 お金という虚構の価値をもらうためにイヤイヤ働いている人ばかり の社会では、この教訓が正しく理解されないでしょうけど。
お礼
ありがとうございます。仰る事は尤もで僕自身大変面白く読ませていただきました。 質問しておいて何ですが僕はpsytexさんの意見が正しいと思いますが 子供にそれが分かるとは思いません 小学二年生だと、社会のルールを守る事は、愛による自律であるとか、共生の考えなどは 湧かないかもしれません。子供というのはエゴイストであり生得的に仰るような考えを 持っている子は余程愛情に恵まれて育ったなど人間関係の価値を知っている子でしょう しかしそれでは生きていけなくなる時が生育過程で 自然とやって来るように思い、僕は今すぐとはいいませんが もっといとこが大人になったら気づくかもしれないと思っており それほど心配は実はしていませんが 「自分だけが特別じゃないんだよ。」と言ってみたいと思います いとこは他の子たちよりはるかにお勉強が出来るので ドストエフスキーのラスコーリニコフの様な 周囲のバカと自分は違うから自分だけ特別で ルールを破っても良いと思っていると思います 勉強が出来てもとても不幸な大人に なるかもしれません。 他にも、他の子たちが掃除をしていても途中で帰ってしまい、理由は「やりたくない」からだと答えるなどがありました。先生が「なぜ自分だけ掃除をしなくても良いと思うのか?」と聞いたら、 「みんなはやりたいからやってるんじゃないの。自分はしたくないのでしないだけだ」と 答えた という事件(?)がありました なんとか子供にわかる言葉と方法を考えてpsytexさんの書かれたことを 伝えてみるのが一番かもしれないと思いました。ありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>この子の言う事はおかしい? 小学2年生の屁理屈ならおかしくもないが、「案外子供の言う事のほうに理があるような気がして」しまう大人は完全におかしいです。
- atomonados
- ベストアンサー率31% (55/174)
先生がおかしい。 いとこに味方します。 「ドリルをしたらシールをあげる」とせんせいがいった。 がんばってたくさんした。 「たくさんしてるけど,一まいしかないからね」とせんせいはいった。 だけど,せんせいのひきだしにシールがいっぱいあった。だいはっけんだ。 せんせいうそついたな。まーいいや。 「たくさんしているけど,一まいだけね」 「でもひきだしにいっぱいあったよ」 「いちどにたくさんははれないの。みんなのぶんはらないといけないから」 せんせいのしごとをたすけてあげようとおもった。 じぶんでじぶんのぶんをはった。 なのにせんせいにしかられた。 「○○さんがそんなにシールが欲しいのなら、言ってくれれば先生は 全部とは言わないけど二、三枚はあげました。人の引き出しから勝手に取るとは何事ですか」 びっくりした。 でも,せんせいのしごとはすんだのでせいかいだ。 せんせいがだったら二、三まいしかしごとがすすまない。 せんせいは,せんせい一年生だ。 クラスをうけもつのははじめてだといっていた。 ※着眼点 (1)「全部とは言わないけど二、三枚」 この全部は,クラスの分全部。引き出しにある分全部。ドリルを仕上げた分全部,のどの意味か。最後のを採った。 先生はシールを与えることに否定的でない。ドリルを仕上げた分以上をあげようというなら,それはルール違反で,他の人も言っているように問題だ。 (2)「人の引き出しから勝手に取るとは何事ですか」 先生は人の引き出しから勝手に取ることを怒っている。 勝手に取られることは不快なことで理解できる。しかし子供のしたこと許容せねば大人でない。 先生としては,児童との信頼関係をたもちつつ, 「相手にいやな思いをさせないように,してよいか聞いてからするとよい」と教え,なぜそうしたか理解してやればよい。 (3)「こんな子は初めてだ」と呆れる ベテラン教師がいったのか,中堅か,新任か。最後のを採った。 経験あれば,生徒に対して寛容になれる。かえってその行為は面白いとさえ思う。 その子の行為がその子を理解する助けになり,長所を見抜いて,育てることができる。 (4)「○○さんがそんなにシールが欲しいのなら、言ってくれれば」 大人に対しての発言のよう。子供をよく観察すれば,シールを欲しがっていることは分かるだろうに。 そもそも,子供は褒めてもらいたいと思うものだという前提でのシステムではないのか。そのシンボルがシールなら欲しがって当然。 子供の言葉を表面的に受け止めるのではなく,子供が感じていることを理解するのが大切だと思う。子供の日記のようなものを,ぼくは書いた。事実はこれとは違って,ほんとに盗んだといえる事をしたかもしれない。 だが,その場合でも,子どもには罪はない。そういう子の短所を大目に見てやり,善導するのが教師の役目と思う。また,害も問題とするほどのものでない。先生の感情と立場が害されたとして,報復としてその子にレッテル(シールじゃなく)を貼るようなことがなされるとしたら,そのほうが害があるのではないかと心配する。先生が素直に自分の至らない点に気付いてくれることを祈るばかりだ。
子供なんて、おかしなことを一人前の顔をしてしゃべるのが”仕事”なのです。 「人のものを盗んではいけませんよ。わかりましたか。」と、先生がその場でしっかり目を見て諭してあげればよろしいわけで、延々と理屈をこねたり後日の家庭訪問など不要だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。ウィンナーを奪うアイディア面白いですね。 先生のほうが立場的に上なので甘えがあるんだと思います。大人は子供に優しくするもの~みたいな。 同級生からは何も盗まないでしょうから。 といってもそれだと先生がシールをまるで家宝にしているようですね。 多分先生は大人なのでそのシールに特に興味はなく、授業用に買わされているだけでしかも先生自身のカネではないので、取っても悪くないし普段あれだけ生徒に配っているんだから執着もないだろう という事を考えているのかもしれません、僕の想像ですが。 ウィンナーを奪ってみたら彼女はどう返すのか今から楽しみです。