英語学習について (長文です)
英語学習について (長文です)
長年英語学習をしているのですが、やればやるほど深みにはまってしまって、本当に勉強する意味あるのかなぁ・・・・。と希望が見えてない状況にいます。
いくつか例をあげると
・類語の多さと、そのコロケーション、意味の強弱、ニュアンスに嫌気がさす・・・。
・形容詞の豊富さ、またそれらが文脈によって見事に意味変化することにうんざりしてくる
・英単語そのものがもつ感覚、雰囲気を捉えることができない
英語と日本語は構造的に最も遠い部類の言語であるので、それぞれの母語話者が互いの言語を学習する際に構造が近い言語に比べてより困難さがあると、言語学の立場から客観データなどに基づいても日本人が英語を学習するのが容易ではないと示されているようです。
私が実体験として’はぁー、やっぱり無理だわ・・・’と根をあげてしまうのは文法構造上の違いというよりも、英語と日本語の文化的な違いです。日本語学習をしている外国人に日本語のどこが難しいかと聞くと’ハナっていったときに、花なのか、鼻なのか、華なのかわからない’と。いわれてなるほどと思いました。日本人は無意識にどの意味のハナなのか判断しているのですが。
英語母語話者は文章になるとなるべく同じ単語や表現が繰り返されないように考慮しているのか、新単語がいっぱいあると思って辞書で調べても意味がほとんど一緒・・・’同じでええやん!’と一人で悲しく突っ込んでいます。FaceBookなどので友達のコメントをみていると毎回新しい単語の発見です。
今一番悩んでいるのは、自然らしさ、逆に言えば’うーん、英語ではその言い方ちょっと変かな・・・’といった感覚って一生得ることができないのかなという点です。日本語を勉強している人がイチゴシェイクを見て’僕も吸いたい’と言いました。恐らくそれはストローをつかって吸うという情景から来ていると思うのですが、日本語ではイチゴシェイクは’飲む’ものですよね。同じように私が英語を話していている時、仲のいいネイティブはささーっと’それおかしい’って訂正してくれます。(まあ彼らにいわせればそのミスはかわいいという表現で捉えれているのですが・・・)
第二に悩んでいるのが、文章を読んでいるいても意味的には完全に理解できても心に入ってこないということです。ペーパーブックなどを読んでいて意味は理解できているのですが、なにか、どうしてもアルファベットの羅列だと心に残らない・・・・。この感覚って多読を繰り返せばいつかは
日本語を読むみたいに感情もついてくるのでしょうか。今はコンピューターがプログラムを解釈するように、機械的にしか頭に入らないのです。
第三は単語のもつ雰囲気です。あるネイティブに'Quest'という言葉をいったら、'oh, I love the sound of that word'と。これは日本語で'旅行’と’旅’とでは雰囲気が違うのと同じようなことだと思うのですが、この感覚ってやっぱり一生わからないのかなーと。
ContemplateとConsiderと発言したときに、感じさせれらる雰囲気の違いみたいな・・・・。
第四は、英語で面白い人になれるのか?ということです。自分で言うのもなんですが、日本語だとある程度人を楽しませる会話をできると思っているのですが、そこには単語の選別から声の虚弱やら色んな要素が複合的に絡んで’人を笑わせる’とうなかなか高度なことが達成されるのですが、英語になったときに、ネイティブの面白い話方や話題にこっちが笑わさせてもらうことはあっても、こっちが同じように相手を会話のリズムで笑わせることっていつの日か来るんでしょうか。(そんな状態になっている学習者の方っていますか?)
私は結構長いこと英語を勉強しています。(留学経験も短いながらあります。)
スピーキングが他のスキルに比べると得意で、ネイティブからもネイティブだと思ったといわれるのですが、それは会話の最初だけで、話せば話すほど化けの皮が剥がれていきます・・・。特にネイティブの若者と何人かでいると、会話を怖くてできなかったりします。
とても曖昧な質問文になって申し訳ありません。
長年英語を勉強されている方でそれぞれのエピソード的なお話を聞かせて頂けたらと思います。