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「17条の憲法」は本当に聖徳太子が作ったのですか?

honnoriの回答

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  • honnori
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回答No.5

 聖徳太子って謎の部分が多い人なので、いろいろな説が生まれてきます。「<聖徳太子>の誕生」と言う本は(大山 誠一著)は、聖徳太子不在論争のきっかけとなった本で、聖徳太子の存在を否定するものは幾つかあります。だからといって 十七条の憲法冠位十二階を「蘇我氏など他の大臣たちが制定したものじゃありませんか?」と言うことにはなりません。#2さんの言うとおりです。もし、聖徳太子という人物がいなかったとしても、そのモデルとなる、蘇我氏に抵抗するあるいは対等以上の立場をとろうとする皇族がいたことは間違いないと思います。  そこで、聖徳太子をもしもう少し調べてみてもいいようなら、実在していることを前提にしっかり書かれていながら、信仰としての聖徳太子についてもしっかり書かれている、岩波新書の「聖徳太子」(吉村 武彦著)がおすすめです。  マンガでは私は、「日出処の天子」(山岸涼子)(白泉社)をおすすめします。日本の古代研究の第一人者梅原猛先生のお墨付きももらっているマンガです。聖徳太子が超能力者的に描かれていてウソの話が多すぎると言う意見もあるが、彼の伝説にそういう話は結構あって、その他当然つくられた話の部分もありますが、その当時の時代の雰囲気がつかめるおもしろい作品です。池田理代子さんの作品もいいですよ。 話がそれてしまいました。聖徳太子ってとてもおもしろい存在です。

参考URL:
http://homepage1.nifty.com/umayado/who/book/books.htm
epkakpe
質問者

お礼

ありがとうございます。 「聖徳太子」(吉村 武彦著)読んでみます。不在論まであるとは、おもしろそうですね。 >聖徳太子という人物がいなかったとしても、そのモデルとなる、蘇我氏に抵抗するあるいは対等以上の立場をとろうとする皇族がいたことは間違いないと思います。  聖徳太子と蘇我氏は対立していたのですか。蘇我氏の後ろ盾があっての聖徳太子だと思っていました。

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