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お茶屋さんて

百 楽天(@100rakuten)の回答

回答No.5

 こんな「茶屋」もありました。  画像の左。 竪川に架かる一之橋の右上を見てください。  竪川の川岸で、ここのところだけに建造物があったのです。  で、この場所で蕎麦(そば)を食べた人たちがいました。  三百余年前。元赤穂浅野家の家来、足軽の寺坂吉衛門信行(てらさか・きちえもん・のぶゆき)が書いた 「寺坂信行自記」(国立国会図書館蔵) には、次のようにあります。  ――忠左衛門、惣右衛門、沢右衛門其外六七人ハ両国橋向川岸町亀田屋と申茶屋に立寄候 そは切なと申付緩々と休息いたし八ツ前より安兵衛宅江参内蔵助父子一所に装束致し候――  忠左衛門は、吉田忠左衛門兼亮 (よしだ・ちゅうざえもん・かねすけ) 足軽頭  寺坂吉衛門は吉田忠左衛門組下にいました。  惣右衛門は、原惣右衛門元辰 (はら・そううえもん・もととき) 足軽頭  http://www.kyoto-wel.com/yomoyama/yomoyama10/015/015.htm  沢右衛門は、吉田沢右衛門兼貞 (よしだ・さわうえもん・かねさだ) 吉田忠左衛門の三男   江戸絵図を参照しながら寺坂吉衛門の自記に読むと――  元禄十五年十二月十四日の夜中に、吉田忠左衛門らは、両国橋の西の(上の画像では大川の上)「米沢町」 にある堀部弥兵衛宅を出て両国橋を渡り、広場をぬけて右折(上の画像では左)した。  一之橋を渡ってり竪川を越え、南側の川岸を東に向かって歩いて、林町五丁目の堀部安兵衛宅に行った。  さて、この道筋から 「両国橋向川岸町」 を探してみましょう。  両国橋の東(画像では下側)の広場の右手(画像では左)に 「尾上町」 があります。  元禄の頃、ここは「御石置場」でした。  尾上町と 「元町」 の間を抜けた突き当たり。竪川の川岸では、そこだけ町場になっているのがわかりますね。  画像は安政二年の切絵図で、吉田忠左衛門らの行動から百数十年を経ている。   しかし、元禄時代から同じ場所に町場があったことが、幕府普請方作成の資料に見えます。  亀田屋という茶屋を出た忠左衛門らは、「八ツ前」 に林町五丁目の堀部安兵衛名義で借りていた長屋に入った。  元禄十五年十二月十五日で計算すると、「八ツ」は、午前1時48分となる。  こんな時間まで営業してる店といったら、今でいう 「風俗営業の店」 しかない。公認の吉原と違って、モグリでの営業。のちに「岡場所」と称されたところです。  風俗営業の茶屋「亀田屋」 に入ったら、セットで 「そば切」 がでてきたということです。  茹でた蕎麦(そば)を笊にとり、上から熱湯をかけて蓋をして蒸らす。  それを椀に入れ、大根おろしの絞り汁を入れた 「垂味噌」(たれみそ) とともに供した。  これは、腹を満たすためのものではなく、酒の肴です。  異性との最後の宴でした。

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