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エネルギーの強い自分に変える方法はありますか?

エネルギーがあり、ストレスにも強い人がいる。 自分の場合は、ストレスに弱くすぐに凹んでうちひしがれてしまう。 ストレスに強く、活動エネルギーが大きいというのは先天性なのでしょうか? 小さい時の環境で決まってしまう物であるというものなのでしょうか? 後天的には、本人の持つエネルギーを増大させ、ストレスの強い自分に変えることは出来ないのでしょうか? 自由な意見をお待ちしています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.6

この質問は上の「(自立的な)心は、本当に存在しますか?」とリンクしていますね。 ・・・してない? 自立的な心が存在しないのに心が凹むとはこれいかに。 自我(私)はあらゆるものと一体化をしたがります。 私は日本人、私は部長、私の家族、私の車、私のお金、私は資本主義者・・・・などなど その過程で自分という存在を確認し大きくしていくわけです。 実際には所有権と帰属先の数が増えていくだけですが。 心が凹む理由は、一体化によって自我が作り上げた自分のイメージと現実のギャップが生じるからではないでしょうか。傷ついたのは心ではなくイメージです、そのイメージと一体化しているから自分も傷ついたと感じるのではないでしょうか。 イメージはあらゆるものとの一体化によって形成されていくと思われます。 kunobouさんの言うところのエネルギーとはイメージの修復作業に使われるものではないですか。 ゆえに、あらゆる一体化をやめ、イメージ作りをやめれば傷つくことも凹むこともないと思われます。 修復のためのエネルギーもいらないですね。

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回答No.11

 鈍感論とアース論もいいですね。  まぁ超越というか、自己にあまり重きをおかずに、ブラジェンさんがいう能天気っていう側面は大事ですね。  自分の事を余り中心や大事に考えない。まぁ世のため人のために心を砕いていると自分はどうでもよくなっていきます。  そういう自分であればいいのではないでしょうか?お二方(鈍感論とアース論)の仰せの内容は。  私は世のため人のためより、烏賊ゲソや貝さし、大きくない魚類の刺身のはらわたで地酒の昼酌しか頭になくて。  ご参考までに。  

回答No.10

 こんにちは。  もし凹むことがあるなら そのぶんエネルギがあったということでしょうね。  問題は 人間はひとりだけで生きていないので 人との関係があるということです。  人と人とが交通すれば そこにどういうわけかおのづからと見られるほどに 互いのまなざしも交差します。ときに互いにぶつかります。  一般に事実問題としては この社会にあってそこでは社会力学がはたらくようで まなざしも一方が上から目線になり他方はこれを下にあって受けるというかたちになるようです。  まなざしをそそぐ側とそそがれる側とに別れれば やはりあたかもおのづからと見られるほどに 時には前者の側からその持ち余した感情をつい発散しておのが意識の排泄をおこなうという事態が起きます。  たいていは この意識の排泄を まなざしをそそがれる側は 受けます。言わばゴミ処理です。このゴミ処理役のことをわたしは《アース役》と言っています。上から目線をそそぐ者の《意識の排泄》電波をアース(接地)するからです。  ただしアース役に任じている者も ほかの者に対しては電波を放出する側に立つこともあります。かくして この社会は まなざしをそそぐアマテラス側とそそがれるスサノヲ側との連関が 重層的に到るところで――目に見えないながら――現実に繰り広げられています。  ひとは その持てるちからに応じてこの《アース役はつらいよ》現象をその身に引き受けています。知らず知らずにもこれをになって社会を作り上げています。  心が凹まないという場合は おそらくアース役を引き受けることが もともと生まれの関係からなかったか(これは けっきょくは依存人生です) それともうまい具合いにこれを回避しているか(これは 人とのまじわりを意識的に避けるつめたい人生です) あるいはほんとうに鈍感であるのかだと考えられます。(まぁ かく言うわたくしは これを引き受け知っていますが 脳天気であって ゴミ処理は全部ただちに終えてしまいます。その原因を究明しその思惟やおこないのマチガイを批判することによって 最後にのこったゴミを内的に棄てます)。  で 要はまづは 社会が《アース役はつらいよ》と寅さんのようになって言っていけばよいのではないでしょうか? わたしたちはバカではありません。何とか知恵をはたらかせて このアマテラス電波の放散を・いや核放射能を出さなくて済むように また当面は出してもこれをすみやかに難なく処理できるように いい案を互いに考え合って出して行くのがよいと思います。どうでしょう?  * 日本人はどういうわけか 修行が足りんとか言って自己修行やそういったただ独りだけとしての精神力の問題と見なしがちです。つまりません。《哲学》がお好きのようです。くだりません。せめて《社会哲学》へと拓いていただきたいものです。  精神修行なら 釈迦のころからもうニ千年余もやって来ています。いいものが見つかったのなら 一考にあたいするのでしょうが。そうではないでしょうか?

回答No.9

ストレスに弱く、すぐに凹むというのは、それだけ敏感な感性をお持ちなのだと思います。敏感だからこそ、ストレス源の与える違和感に気づきやすく、それが不快と受け止められるとストレスとなるのだろうと思います。 だから、時に鈍感であることも必要なことなのかもしれませんね。 違和感を覚えそうなことにはあえて鈍感に対処しようと意識することも有効なんじゃないでしょうか。 常にストレスから自分を守ろうとするのではなく、ストレスを与えそうなものに注目せず、関心を払わず、気づかないふりしてやり過ごすことを意識的に行ってみてはどうでしょうか?そうすることで、ストレス源を客観視でき、ストレスになる前に我が身から切り離して捉えることもできるようになるんじゃないかと思います。 敏感な感性は先天的といえるかもしれませんが、後天的に感性の感度をコントロールすることもできるのではないかと思います。 そして、ストレスを与える相手に対してはこちらも鈍感に接して、神経が疲弊するのを防ぐことも大事かもしれません。要するに、失礼な相手にはこちらも失礼で返して、背負うべきストレスをプラスマイナスゼロにしておくということです(笑) おそらく繊細な質問者さんは失礼な相手にも礼を尽くして接しているのではないかと思います。でも、それをしていては自分が立ち直る際には常に自力更生を要求されます。自分を自分で癒しつつ、相手にも礼を尽くすのでは疲弊して当然です。多少鈍感になって、嫌なことは嫌だとそのまま相手に打ち返しても罰は当たらないと思います。

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.8

簡単です。こころ強化法を使えば良いのです。ストレスに弱いのは心が弱いからです。心を強く強化すればいいだけのことです。 エネルギーなら栄養をしっかり取れば良いのです。こころなら鍛えれば良いのです。簡単なことです。

回答No.7

 一体化、期待、イメージ紡ぎ、そしてそれとの離間と齟齬。  このご回答は素晴らしいと存じました。コピペしました。  自我に自己を任せない、というのはしかしどれほどか難しいことです。  外的何かに一体化しない、所有に自己依存しない。  どうすればそういうことが出来るのか。  自己を存在させているものへの、論理や言語ないしは科学ではない実践的な手法で、一体化していくようにすることではないかと、私は思います。  そこでの、自己の価値理念性と当為的見方で生きていくことが大変有効だと存じます。  NO.6さんの下駄を履いて、ちょいと庭に下りて花がさいているよ。というような形に為りましたがお許し下さい。久しぶりの2007さんの素晴らしい文章でした。  ちなみにちょいと40年ほどそうやってうまくやっていることは、以下の団体の哲理です。  http://www.yogananda-srf.org/  http://www.srf-tokyo.org/tokyo_group.php (日本のグループです)  でも英語のレッスンを取り、バガヴァッドギータを読むことをお奨めします。  ギータもたくさんあるが、ヨガナンダグルジのが一番、本来のヒンドゥ哲理をやさしく、深く語っていると存じます。直接本部とのcontactをしていくことは同時に大切です。

回答No.5

回答の(1)(2)(3)(4)ともに賛成です。 特に(2)(3)のことは賛成です。   別の側面での回答を考えてみます。 ストレスに強い、ストレスに弱い について考えてはいかがでしょうか。   例えば、人前できちんとやろうとすると強いストレスを感じてしまうとします。 この時、やろうとしていることに習熟している/まだ自信がないという場合で、ストレスに差がないでしょうか。自信がない場合にはストレスは大きくなります。 二日に一度人前で行動する状態/ほとんど家の中から出たことがない状態では、家の中から出たことがない場合にはストレスが大きくなります。 試験でいつも良い成績を出していて今回の試験問題の範囲や難易度がいつもの試験程度と予想される場合/今回初めて試験を受ける場合では、今回初めて試験を受ける場合のストレスが大きくなります。 失敗をしたり叱責を受ける場合/普通にやれるし叱責を受けない場合では、失敗をしたり叱責を受ける場合にストレスが大きくなります。   ストレスに弱くすぐに凹んでうちひしがれてしまう人でも、ストレスが少なければ落ち込んだりうちひしがれることは少ないと思います。 落ち込んだりうちひしがれる場合/平常状態であり自信がある場合では、落ち込んだりうちひしがれる場合には活動エネルギーは出にくいです。   自信がない場合、やった経験が乏しい場合、失敗したり叱責を受けた経験が浮かんでくる状況では、エネルギーが出にくくなります。 やらなければならないと思うだけでも、ストレスは強くなり、落ち込んで逃げ出したくなる気になります。   対策は ストレスが小さくなるように、実力を高めのこと、経験を増やすことだと思います。(回答者(1)(2)(3)(4)の提言も良い方法だと思います。 これにプラスの方法です) 数学が強くなるだけでも、結構気分は良くなります。数学以外に体育も良くなれば、さらに良くなります。 話をすると緊張する場合でも、普段から自分の中で要領よく考えをまとめたり、良いココミュニケーションのイメージトレーニングを重ねていると、実際に他人との輪に入っているときのストレスが違って来ます。   「自分の場合はストレスに弱く」という、ストレスを感じる場面や内容がわかりませんが、そこのストレスを小さくするには、そこでうまくやれる力を学習や経験を重ねることが良いと思います。 「不得手だ・ストレスを感じてしまう」と避けていると、他の人々は慣れてどんどん力をつけるのに、自分はどんどんと後退していることになり、ギャップがますます大きくなります。 そうすると、将来、もっと困る事態に陥る危険がとても強くなります。   その事柄をうまくやれる能力を高めることが一番良い方法だと思います。 ストレスに弱いという人の多くは、ストレスに感じることをできるだけ避けてしまうために力をつけ損なったり、経験が少なくなったりしているように思います。 生得的な面が皆無だとは思いませんが、ほとんど、後天的な習熟の不足がストレスを大きくし落ち込む回数を増やしているのだと思います。   ストレスそれ自体に立ち向かうのではなくて、ストレスを強く感じなくて済むように、普段の学習やイメージトレーニング、経験数を増やすようにしてはいかがでしょうか。

回答No.4

子犬でも先天的な性格や素質があるみたいなので、人間にもあると思います。 ただし、先天的にストレスに弱いのか、後天的にストレスに弱くなったのかの 判断は難しいでしょうね。 いずれにせよ、エネルギーがありストレスにも強くても、間違った方向へ進めば失敗し 弱くても適切な方向へ進めば成果を得られます。 まあ、適切な方向というが難しいからパワーで補おうとするのでしょうが・・・

noname#142902
noname#142902
回答No.3

 エネルギーが強い人は『欲が強い』人とは思いませんか? 例えば金持ちの人はエネルギーが弱くて覇気に欠ける傾向があります。それは金持ちの人は恵まれているので欲が『満たされている』からです。しかし貧乏人は欲が『満たされずに残っている』傾向にあります。だからこそ貧乏人は欲深くてエネルギーが多いのです。ボクシング選手で大富豪の人はひとりもいませんよね? エネルギーは満たされない人の方が、もっと言えば大きな恨みを抱えた人が一番強いものです。そういう意味で不幸な人生を送った人は非常に得です。  ストレスに強い弱いは生物的には殆ど変わりません。強い人も弱い人も身体の構造自体は同じです。どちらも心臓がありますし、腎臓もあります。身長も大して変わりません。恐らく考え方の違いです。 エネルギーを増大させるのは『悔しい』体験をすれば叶うかと思います。ハングリー精神を養ってください。  そして『考え方』も大事です。貧乏人は意外とストレスに強いです。それは現状に『満足するのが』上手だからです。例えば私達がアフリカに行ったとします。毎日食料にありつけるかも分かりません。そうすればストレスは非常に大きいです。しかし現地の人は慣れています。つまり『慣れ』も大事なのです。『慣れ』はポジティブシンキングもあります。恐らくあなたは成人かと思います。しかし知っていますか? たった100年前には成人する前に人間は3割近くが死んでいったのです。(参考:ルービン病理学)そうしたらあなたは凄く恵まれていませんか? 当時の人からしたら幸せものです。私はそのように考えて毎日新しい物事に挑戦し続けています。  あなたが男性でしたら『はじめの一歩』を読んで見て下さい。私も『はじめの一歩』でストレスに非常に強くなりました。漫画と侮ってはいけません。ボクシング選手という非常に厳しい境遇の人々だからこそ言える名言にあふれています。ひとつ引用させてください。  『努力した者が全て報われるとは限らん しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!』 引用:はじめの一歩42巻、156ページ  熱いボクシング漫画を読むと不思議とハングリーになります。お勧めです。  ちなみに私は元々弱い人間でしたが日々の弛まぬ努力によって強い人間になりました。

回答No.2

マラソンや登山、サイクリングなど、超長時間(少なくとも数時間) の意志的肉体労働を、長期間(数ヶ月以上)くり返し行えば、 脳内におけるアドレナリン(能動~過多になると攻撃性)の制御 された持続的の分泌が可能になる。 こちらが能動的である場合、障害はストレスよりも克服する喜び になる。 特に登山は、通常の生活環境から距離を置くことで、自我意識に 浸透していた環境情報(=他人による評価)を分離し、客観視する ことが可能になり、環境による自己評価に左右されず(相手の 評価能力の指標になる)、ストレスにならなくなる。

noname#194289
noname#194289
回答No.1

少しずれるかもしれませんが、なるべく本当に好きなことを多くやっていくというように心がけられないでしょうか。もちろん程度の問題もありますが、つらいことや苦手なことも引き受けてしまうという傾向はないのでしょうか。逆に少々冷たいと思われても自分の限界を意識して限界を超えないようにできないだろうかということです。消極的なようですが、あるいは現実的な対処法になるかもしれません。

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