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困った最高裁判例

kawakawakawa13の回答

回答No.2

「外国の戦没者追悼施設」って検索をかけたら、官邸ホームページの資料が出てきました。 これを確認すると、「宗教性は無い」と言うことにはなっておりますが、実際は 宗教性について(アーリントン墓地の例) 政教分離の観点から無宗教施設と説明されることがあるものの、正確にはあらゆる宗教・宗派、宗旨による埋葬を許容しており、特定の宗教形式を押し付けず、信仰の自由を保障することで宗教性を排している。事実、専属契約する聖職者の大半はプロテスタント系であるものの、カトリックの司祭やユダヤ教のラビなどとも提携関係、また埋葬者の希望に応じてあらゆる宗教形式が選択できる。 ちなみに、アーリントン国立墓地に建てられた墓石には、故人の信仰を表す宗教的シンボルマーク(Authorized emblems)が刻まれている。公式Webサイトによれば、施設公認のシンボルマークは41個存在しており、その中には仏教やイスラムの他にも、日本の新興宗教である天理教、金光教、創価学会、更には無神論者を示すものまである(ウィキペディアより引用) とあり、日本のような幼稚な政教分離の結果、というより個人の宗教の自由を尊重したものといえるでしょう。 他の国も、宗教性があっても、一律「宗教性無し」と断じているだけで、実際にはプロテスタント、カトリック等の関与があります。 はっきり言って、靖国合祀拒否裁判は、靖国神社を軍国主義の象徴として捉え、それを平和運動の一環として行っているだけのものとしか理解できません。 日本人は、年の初めに神社・仏閣に初詣に行き、結婚式は神式若しくは洋式で行い、クリスマスを祝う。 世界中の国々の中で、複数のの宗教が混在している国なんて、日本だけです。 田舎に行けば、お寺の墓場の中に、キリスト教式の納骨堂が建ててあったりします。 靖国神社自体は、西南戦争で犠牲となった官軍兵士を慰霊する施設として設立されています。 その設立の趣旨から言えば、戦死者の霊を祭るのは、極当然のことです。 古い神社・仏閣等には、由緒正しい、戦前からあるところならば、出征兵士を讃え、戦死者を祭る石碑や書付等が残っています。 へんな平和主義こそ、否定されるべきと思います。 日本の千鳥ヶ淵墓苑なんて、引き取り手の無い、あるいは身元不明な遺骨の保管施設でしかありません。 主体的な自己の確立すら教えない日本の教育制度の下での、あるいはそれを容認する現代日本において、国立追悼施設なんて、必要無いと断言できます。

tengenseki
質問者

お礼

ご回答有難うございます。少々気になる個所があります。 16カ国の中のインドネシアもご指摘のアーリントン同様、 埋葬者の希望に応じていろんな宗教形式が選択できます。 従って遺族にとって問題とすべき宗教性はありませんから、 「宗教性は無い」と言っていいでしょう。 >その設立の趣旨から言えば、戦死者の霊を祭るのは、極当然 >のことです。 >はっきり言って、靖国合祀拒否裁判は、靖国神社を軍国主義 >の象徴として捉え、それを平和運動の一環として行っている >だけのものとしか理解できません。 >へんな平和主義こそ、否定されるべきと思います。 昨日、沖縄戦遺族らの靖国合祀取り消し訴訟が沖縄地裁で 却下されました。理由は1988年最高裁判例を踏襲したものです。 原告の親やきょうだい計10人中5人は軍人又は軍属で当時1歳 男児を含む5人は一般住民だった。原告側は、沖縄住民は 旧日本軍により避難壕から追い出されたり、集団自決を強制 されたりした被害者だとし、「合祀により戦争被害者を加害者で ある日本軍に取り込むことは死者に対する冒涜。無断合祀により 原告らの人格に深刻な侵害が加えられている」との主張です。 この心情を、「へんな平和主義」とバッサリ片づけるのですか。

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