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正誤問題

(1)ポルトガルやイスパニアが来航し、キリスト教の布教活動と貿易は分離する形で行われた。 (2)日本に来航したのは主にポルトガルであり、中国の上海を拠点に来航した。 (3)ポルトガルが中継貿易という形で中国産の生糸をもたらしたことから琉球王国の中継貿易は衰退していった。 (4)布教活動を許可した戦国大名がキリシタン大名となるのであるが、そのような大名の多くは九州に存在した。 この中で正しいものが2つあります。 違っているものはどこが違っているのでしょうか?

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回答No.1

あまり自信はないのですが… (1)スペイン・ポルトガルの場合、キリスト教の布教と貿易は一体的に行われました。分離していたのはオランダで、だからこそ鎖国中も貿易を認められたのです。 (2)×上海→○マカオじゃないかな? マカオは1999年までポルトガル領でした。 一方、上海が貿易拠点として発展するようになったのは19世紀、アヘン戦争のあとです。 (4)は正しいと思いますが、(3)はどうなのかなーという気がします。

piyosuko
質問者

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