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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:国は近い将来、羽田空港を国際空港にしたい方針だそうですが)

近い将来、羽田空港が国際空港になる可能性はあるのか?

このQ&Aのポイント
  • 国は近い将来、羽田空港を国際空港にする方針を持っているようですが、その理由や背景について疑問を持っています。
  • 成田空港が開港するまでは、羽田が国内線と国際線を兼ねていたそうですが、なぜ羽田を拡張して国際空港にしなかったのでしょうか?
  • 成田空港の建設には大きな反対運動がありましたが、なぜ今になって羽田を国際空港にしようというのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.3

成田空港は1960年代の初頭にすでに計画が立案されて実行に移されています。新空港の場所が成田に決まったのは御料牧場があり比較的まとまった土地が最初から確保できることと、都心までギリギリのアクセスが出来るからでした。 当時の羽田は軟弱な海の地盤で埋め立て工事(拡張工事)が出来ないことと、東京港や横浜港など港湾関係と調整がつかないこと、当時はすぐ住宅地がありまたプロペラ機からジェット機に移行する時期だったため騒音問題などで発着回数を増やせない、ということもありました。 特に騒音問題については関空を作る理由も同じでした。 また成田空港の土地収用に対して非常に過激な反対運動がありましたが、ひとつには政府がきちんと説明するのを怠ったこと、もうひとつは70年安保闘争が日米安保の延長ということで行き場を失い、過激派が活動場所を求めていたことがあげられます。このため成田空港は現在でも当初の予定の規模まで拡大することができず、本来ならジャンボジェットが使用できる滑走路が2本あるはずが、いまだに本滑走路1本と並行する暫定滑走路が1本の不便な使用状況が続いています。 この間、1978年には成田空港(当時は新東京国際空港)が開港するのですが、当時はジャンボジェット全盛だったことと、国内の乗り継ぎをしてまで外国にいくニーズが少なかったことからしばらくの間は羽田と共存関係を続けていました。 流れが変わったのが1993年の羽田空港の拡張とジェット機の小型化・ハブ空港化です。1960年代に比べて大幅に進歩した埋め立て・土壌改良工事で羽田沖合いを埋め立てて拡張し、滑走路も新しく作り直しました。これにより羽田空港のキャパシティが大幅に改良されたのです。また1990年代からジャンボジェットに変わる新世代の航空機が登場し、その特徴はジャンボの8割程度の乗客をジャンボの7割弱の燃料費で運行でき、パイロットも1人(航空機関士)も減らせる、というものでした。 そのため各国で航空運賃が下がり、航空会社は生き残りを掛けてハブ&スポーク化を推進することになったのです(ハブ&スポーク:航空会社の拠点空港、大韓航空なら仁川空港、に各地からの短距離線を集めて、そこから長距離路線を飛ばす集客方法)ところが日本の大動脈である東京は国内線は羽田、国際線は成田なのでハブ&スポークにすることができません(羽田に集まった国内客を成田に輸送するのにコストと時間がかかりすぎるため)またハブ化を目指した関空(24時間空港)も建設費がかかりすぎ、着陸料が高すぎて思うようにハブ化できませんでした。 さらにはアジアの経済力が上がってきて、韓国・中国など近隣諸国とのアクセスに対する不満が高まり(成田まで2時間かかり、しかも搭乗2時間前に着かなければならないのに、成田から韓国・上海などは3時間程度、つまり成田までの移動時間より飛行機に乗ってからの時間のほうが短い)羽田に近距離国際線を誘致するようになったこと(拡張で受け入れる余裕もあった)が羽田の再国際化の後押しになったのです。そのため、羽田空港はさらに沖合いにD滑走路を作り、ほぼ唯一国内でハブ化できる空港になったのです。 成田が出来た頃は、こんなに早く、そしてこれほどまでに飛行機が身近になるとは誰も予想していませんでした。ジャンボジェットでさえ「こんな大きな飛行機を満席に出来るのか?」と航空機製造メーカーでさえ疑ったぐらいです。それがアジアの経済成長と共に、ニーズが急速に変化したのが日本の空港環境にとってとても不幸なことでした。 ちなみに羽田空港でさえ、当初はD滑走路を予定していなかったために、この滑走路に合わせて今までより背の高い、遠いD滑走路まで見渡せる管制塔を新築しています。管制塔のような比較的短時間で完成できる建物はよいのですが、空港自体を作るとなると長い時間がかかります。周りの環境の変化の速さを考えれば「もっと考えて作ればいいのに・・・」とはなかなかいえないものです。 羽田空港は「世界の忙しい空港ランキング」で第4位に位置しています。国内線が主体なのに、離発着も利用客数も世界有数なのです。ですから羽田ができたからと言って成田の重要性がそれほど下がるわけではないのです。両方が連携してうまく機能するようになれば、日本の経済も立ち直るのかもしれません。

katanakizu
質問者

お礼

ものすごく詳しい説明でよくわかりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • RTO
  • ベストアンサー率21% (1650/7787)
回答No.2

ずっと昔から羽田空港の正式名称は東京国際空港です。 成田が出来る前も、成田が出来た後も。 何を今更?

  • naoki1484
  • ベストアンサー率75% (9/12)
回答No.1

 羽田を拡張、整備するのは当時の技術ではできなかったようです。今は技術が進歩したので拡張、整備し国際線を誘致しています(第四滑走路がいい例です。普天間基地で検討されたくい打ち桟橋方式なんて70年代にはできませんから)。(千葉や茨城の方以外は)成田に行くより羽田の方が便利でしょ?  でも、羽田を拡張してもまだ足りないので成田はまだまだ必要になりそうです。  参考になりましたか。

katanakizu
質問者

お礼

やはり拡張、整備の技術面の問題だったのですね。 ありがとうございました。

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