• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:唯物主義に生きがいはありますか?)

唯物主義に生きがいはあるのか?

来生 自然(@k_jinen)の回答

回答No.20

No.4 and 13です >>> No.13 お礼欄 >「こころ」はもっと広く大きなものです。 というような表現がされますが、そもそも心など存在しないというのが私の立場です。 <<< そのように「決定」されたのが、貴方御自身の「こころ」(の意志の領域)だということです。 その「決定」が御自身で為されたものではなく、「受動的」に為されたものであるなら、「こころがある」といった「決定」(判断)もまた「受動的」になされるということでしょうし、もし「能動性」がなければ周囲の見解によって、一方から他方へと変わりうるはずです。 そうは思いませんか? 「こころ」は「無」から「無限」まで「こころ」の持ち方次第で自由に境界が動きうるものです。 「ゲーデルの不完全性定理」を理解し、「ラプラスの悪魔」が古典的だといったことができるようになった現代、「こころ」という概念が「ピンポン球がぶつかり合うような」といった程度の比喩で説明できると考えることが、如何に貧弱な思想であるかが分かることと思います。 ゲーデルの不完全性定理:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%80%A7%E5%AE%9A%E7%90%86 ラプラスの悪魔:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94 あと、参考になるかどうか不明ですが、私がmixiに2008年04月01日に書き込んだ内容を引用しておきます >>> 多義図形での「曖昧さ」と「決定」といった概念について、よく考えることがあるんですが、そもそも人間の脳が「一つの事象に対して、A か B」といった拮抗する概念(二者択一概念)に対して、一つのみを選択しようとする(統合しようとする)方向性(力)は、意志とは無関係に無生物的に(たとえば脳構造レベル的に)決定されているんだろうか? といった疑問を抱くことがあります。 要するに、あたかも、「下位レベルからの信号を処理する“ひとかたまりの”機械として(論理的に)安定する“ため”に(分裂しないように)、拮抗する二つ以上の概念から一つのみを選択しようとする(脳機能上、設計されている)」として捉えれば、納得できるかもしれないと、ふと、思ったりするんです。 しかし、そう思ったとたんに、即座に、「いやいや、“AかBか”といった概念に対して、そのままでは“矛盾”しうる“AもBもあり”だと思い続けることができる」ので、脳機能上、多数の分裂した状態を保持し続ける(=思い悩み苦しみ続ける)ことも可能な訳です。 でも、よくよく考えてみると、拮抗する二つ(以上)概念を、そのまま保持し続けるのではなく、「拮抗する・二者択一的」といった概念と「共存する・並列する」といった概念の二種類のどちらかを選択しているんですよね。すなわち、さらなる「二者択一的概念」にて処理している(はずです)。 さらに、上記の二者択一概念ですら、並列的に扱おうと思えば、扱いうるんですけれど。。。 さて、脳機能として説明できるにしても、できないにしても、「二者択一問題を“両方ともあり”だと認識しようとする力(=「意志」といっていいだろう)は、どこから生じるのだろうか?」 を考えたりしています。 量子力学でのエンタングルメントの類の並列性(どちらもあり)は、いわゆる「マクロ」レベルで選択・決定される(どちらか一つ)のですが、高次脳機能レベルでは、再び並列性(どちらもあり)の(非決定論的な)選択も可能になっているわけです。 量子力学と無関係である「はず」なのに、似ている状態を選択可能だからこそ、量子力学を「理解しようとする」ことも可能なんだろうと思っています。 そういう観点自身、量子効果が(ひょっこり)顔を出しているのかもしれないと、ふと、思ったりしています(笑)。 <<<

sisi91sisi
質問者

お礼

(先に20番目の回答者さんにお礼を書きますが、全ての回答に対するお礼は必ずします。) 回答ありがとうございます >そのように「決定」されたのが、貴方御自身の「こころ」(の意志の領域)だということです。 >その「決定」が御自身で為されたものではなく、「受動的」に為されたものであるなら、 >「こころがある」といった「決定」(判断)もまた「受動的」になされるということでしょうし、 >もし「能動性」がなければ周囲の見解によって、一方から他方へと変わりうるはずです。 出力が決定されたのは、関数(数学は苦手なのであってるか不安)でいう、 経験と遺伝により定数項が決まり、外部からの刺激がxに代入され算出されたことによるものです。 決定したのではなく、自動的に決定されたということです。 「ゲーデルの不完全性定理」については私には難しいようなので、これを理解し返信するのはかなり時間がかかりそうなので、とりあえず先に書き込んでおきます。 (ラプラスの悪魔は多分わかります) 以前、mixiに書かれていた文章ですが、これも受動意識仮説についての本の中で ある程度分かってるふうなことが書いてありました。し、私もそう思います。 拮抗する二つの選択肢の決定についてもおそらく算出された脳内出力(肉体がアクションを起こす前段階の信号の強さ・・・のつもりで勝手に書いてます)により自動的にきまると思います >量子力学でのエンタングルメントの類の並列性(どちらもあり)は、 >いわゆる「マクロ」レベルで選択・決定される(どちらか一つ)のですが、 >高次脳機能レベルでは、再び並列性(どちらもあり)の(非決定論的な)選択 >も可能になっているわけです。 >量子力学と無関係である「はず」なのに、似ている状態を選択可能だからこそ、 >量子力学を「理解しようとする」ことも可能なんだろうと思っています。 少し難しいので保留させてください

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