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人間の精神・意識を物質で説明できないですか?

人間の精神とか意識が何なのか将来的にはすべて物質によって説明可能だと私は考えています。 人間の生物的事象は物理および化学によって将来的には説明可能だと思っています。 もちろん現在の科学では不可能です。 いくら科学が発達しても人間の精神を物質的に説明できないとするとそれはどうしてですか? 原理的に不可能ということでしょうか?あるいは物質では説明できない未知の存在が何かあるのでしょうか? 人間の精神を物質では説明できない理由がもしあればお聞かせください。

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  • koosaka
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回答No.6

現代アメリカの「心の哲学」の流れにある哲学者チャーマーズは「意識する心」という本で、意識を心理的な意味の意識と、現象的な意味の意識に分け、心理的な意味の意識は「物理還元」してある程度解明することは可能だが、現象的な意味の意識は「物理還元」して解明するのは困難であると言って、前者の心理的な意味の意識を解明することを「ソフト・プロブレム」と言い、後者の現象的な意味の意識を解明するのを「ハード・プロブレム」と言っています。 現代は意識とか精神を「物理還元」して、脳科学・神経学・生理学・コンピューター科学で解明しようというのが流行していますが、意識とか精神というのは、主として哲学の問題です。 それを科学・物理学で解明しようというのは、文学で物理学を解明しようというのと同じで、「領海侵犯」です。 科学は科学の問題を解明すべきであり、哲学の問題まで、首を突っ込むべきではありません。 そもそも非・物質的な意識とか精神が、物質である脳から生じるというのは不可解です。 英国の哲学者コリン・マッギンは「意識の神秘は解明できるか」という本で、「人間の脳は意識が何であるか、解明できるようにプログラムされていない」と言って、認知的閉鎖・コグニクティヴ・クロージア説を唱えています。 こういう観点からすると、あなたの見解・考え方は典型的な「物理還元主義」です。 意識や精神を科学・物理学で解明しよう、という。 そして「還元」というのは、全体から部分に還元する、ということであって、部分から全体に還元するのではありません。 したがっていくら「物理還元」しても、意識とか精神の全体は解明できない、ということです。 そして現代アメリカの神経学・脳科学者のマイゲル・ガザニガは近著「<わたし>はどこにあるのか」という本で、「脳は並列分散処理をしていて、そこに主体とか精神があるわけではない、何があるかと言えば処理の規則であり、最終的な決定権を持つ、誰かがいるわけではない」と言っています。 これこそが「物理還元主義」の考え方の典型です。 「物理還元主義」で考えて行くと、人間は機械であり、ロボットであり、意識とか精神には行き着かないということです。 だからあなたが言うように「いくら科学が発達しても、人間の精神を物質的に説明できない」ということです。 そもそも意識とか精神は哲学の問題であり、科学・物理学とはジャンルが違うのですから。 ジャンルが違う科学・物理学で意識とか精神を解明しようというのは、すでに申し上げたように「領海侵犯」です。 科学の問題は科学に任せ、哲学の問題は哲学に任せるべきです。 そして付け加えますと、現代の哲学では、意識とか精神は存在しないという説も唱えられています。 日本の哲学者・永井均は「なぜ意識が実在しないか」という本で、意識が実在しないのは自明であると言っています。 つまり意識とか精神など、存在しないのは、当たり前である、と言っています。 また・現代アメリカのネオ・プラグマティズムのローティーは、ポスト・モダンのモニメンタルな著作の「哲学と自然の鏡」という本で、意識とか、精神はもはや存在しない、と言っています。 これを受け継いだアメリカの哲学者たちは、もう自我・意識・主観(主体)などという言葉を使っていません。 また、20世紀の偉大な哲学者、ハイデガーは自我・意識・精神・主観・客観、自己意識という言葉を一切使っていません。 また、同じく、ウィトゲンシュタインが、自我とか意識とか主観(主体)という言葉をほとんど使っていませんし、使ったとしても批判的な意味で使っているだけです。 このように現代哲学で、意識とか精神という言葉と、その考え方は消滅しつつあります。 なぜ意識とか精神という言葉が使われたかというと、17世紀にデカルトが、心の「内」と、「外」とを分離し、「内」には、自我・意識・精神・などの「心的」なものがあり、「外」には物体(物資)からなる世界がある、と言って「二元論・二世界論」を唱えたことにあります。 でも、それが現代で否定されたのです。 人間には「内」もなければ「外」もない、と言って。 ポスト・モダンは、あえて言えば、すべては「外にある」と言っています。 人間に「内」なんかない、というのがポスト・モダンです。 もし、意識とか精神があるとしたら、人間の「外」になければならない、と。 まあ、こんなことを言っても、にわかには信じられないかも知れませんが、それを知りたかったら、ローティーの「哲学と自然の鏡」を読むか、現代のネオ・プラグマティズムの哲学者、クワイン、デイヴィドソン、パットナム、クリプキ、ブランダム、セラーズ、ドレイファス、テイラー、マクダウエル、そしてプラグマティズムの創始者パースを読んでみてください。 たぶん、それを読んだなら、今までのあなたの常識がすべて崩壊するのを覚えるでしょう。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなりましてすみません。 意識は物質では説明できないという論点に関していろいろ説明くださいまして参考になりました。 私の考えを申しますと意識を自然科学で解明するのは「領海侵犯」とは思いません。 人類の歴史は哲学がその学問分野を自然科学などの他の学問に明け渡してきた歴史でもあります。現在は哲学で考える領域かもしれませんが、やがで生理学や分子生物学などが意識を解明するのではないかと思っています。 私は人間というのは自然発生した機械でありロボットと思っています。 また、やがて人間は意識を持ったロボットを開発するだろうと思います。 人間には内も外もないというのは聞いたことがなく、大変興味深いお話しだと思っています。言われるとおりにわかには信じられない話です。参考図書を紹介していただいてありがとうございます。

その他の回答 (13)

  • sunabo
  • ベストアンサー率35% (24/67)
回答No.14

人間の精神・意識が、ない。 人間の精神・意識が、ある。 の2通り。 ない場合。 #6 哲学 永井均 意識とか精神は存在しないという説、意識が実在しない。意識とか精神など、存在しない。 リチャード・ローティー 意識とか、精神はもはや存在しない 科学 「物理還元主義」 マイゲル・ガザニガ 「脳は並列分散処理をしていて、そこに主体とか精神があるわけではない、何があるかと言えば処理の規則であり、最終的な決定権を持つ、誰かがいるわけではない」 #14 仏教 大乗起信論 (岩波文庫) 作者: 宇井伯寿,高崎直道 https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E8%B5%B7%E4%BF%A1%E8%AB%96-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%87%E4%BA%95-%E4%BC%AF%E5%AF%BF/dp/4003330811 ----引用しますp207---- 一切の現象(一切法、心の対象となるもの)はみな心からおこるもの、すなわち(真実を知らないで)心が妄りにはたくことから生ずるものである。したがって、すべての判断というものは、自分の心を(2つにわけて)自分で判断しているに過ぎない。もし、自分の心が自分の心を見ることをやめれば(心不見心)、そこにはいかなる相のとらえられるものとてないからである。 ----引用おわり---- ある場合(質問者様が興味があるのはこちら。) #6 哲学 ディビド・チャーマーズ 意識を心理的な意味の意識と、現象的な意味の意識に分け、心理的な意味の意識は「物理還元」してある程度解明することは可能だが、現象的な意味の意識は「物理還元」して解明するのは困難である 意識のハード・プロブレム https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0 意識のハード・プロブレムと、イージー・プロブレムに分けるのがよさげ。 コリン・マッギン 「意識の神秘は解明できるか」で、「人間の脳は意識が何であるか、解明できるようにプログラムされていない」。認知的閉鎖・コグニクティヴ・クロージア説。と#11 #7 意識は、脳組織が作動させる良くできたプログラム。意識は物理的存在ではない。意識は自己モニター機能を持つ。この機能は自然発生したもの。個体発生の過程の中で自動的に起動される。遺伝情報の中には起動するトリガー情報がある。「自己モニター」という「物理的現象」を脳科学・神経学・生理学・コンピューター科学で説明できても、それを「意識と呼ぶべき理由」は、科学からは出ない。(ハード、イージー・プロブレムどちらの話か分からない。オートポイエーシスっぽい。下記の研究が近い) http://www.comp.sd.tmu.ac.jp/kubota-lab/hp/research/research_jp.htm -------引用します---- 予測誤差や学習誤差をモニタリングする役割を果 たす「自己意識」の機能から構成される方法論を提案してきました。 -------引用おわり---- #10 物質で精神は説明できません。精神で物質は説明できます。意識の内に宇宙は存します。(おそらくハード・プロブレムの話だろう。観測問題。唯心論物理学。下記の書物が近い) http://www.kaimeisha.com/index.php?%E5%94%AF%E5%BF%83%E8%AB%96%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F 唯心論物理学の誕生 - 海鳴社 #14 理解を超えます。引用で答えます。人間の精神を(ハード・プロブレムの)意識に置き換えました。 意識を物質では説明できない理由 参考URLより下記に引用します。 ----ゾンビ論法(zombie argument)を引用します--- 1.我々の世界には意識体験がある。 意識、クオリア、経験、感覚など様々な名前で呼ばれるものが、「ある」という主張である。ここは基本的に素朴な主張である。 2.物理的には我々の世界と同一でありながら、我々の世界の意識に関する肯定的な事実が成り立たない、論理的に可能な世界が存在する。 現在の物理学では、意識、クオリア、経験、感覚を全く欠いた世界が想像可能であることを主張する。この哲学的ゾンビだけがいる世界を、ゾンビワールドと言う。 3.したがって意識に関する事実は、物理的事実とはまた別の、われわれの世界に関する更なる事実である。 ゾンビワールドに欠けているが、私達の現実世界には、意識、クオリア、経験、感覚が備わっているという事実がある。それは、現在の物理法則には含まれていない。 4.ゆえに唯物論は偽である。 以上の点から現在の物理法則・物理量ですべての説明ができるという考えは間違っている。 ----引用おわり--- 意識のイージー・プロブレムの限界が知りたい質問の可能性があります。そうすると、物理学のカテゴリへの投稿が正しいことになるかもしれません。そうすると、哲学カテゴリが正しくないかもしれません。そうすると、#6で、哲学は哲学の問題。ハードプロブレムをやる。物理学は物理学の問題。イージープロブレムをやる。領域をはみ出してはならない。と指摘のあることが納得できます。ただし、チャーマーズは領域をはみ出してはならない。と思って無くて、物理学にハード・プロブレムも扱えるように拡張して欲しいと思ってるみたい。

参考URL:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなりすみませんでした。 意識に関するいろいろな論点をまとめてくださいまして大変勉強になりました。知識不足のまま質問していたことを感じました。

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.13

メールに私の回答に対する返信があり、それで私の回答に対する返信が、この欄にあるのかと思ったら、無いことを知りましたので、おぼろ気ですが、(というのも、その返信内容を削除してしまったからですが)、この欄を借りて回答します。 あなたは自分は「あえてカントの時代に戻りたい」といって、いろいろカントの哲学について質問されましたが、私の場合は、カントの時代に戻りたくないので、現在はアメリカのネオ・プラグマティズムの哲学者たちの本を読んでいます。 哲学は19世紀のドイツ観念論から、あるいは現象学から、20世紀初頭の英国の分析哲学へ、さらにフランスの構造主義からポスト構造主義へと目まぐるしく交替を繰り返し、現代はその哲学の舞台がアメリカに移っています。 何も流行を追いかけているわけではありませんが、ネオ・プラグマティズムの哲学が、それ以前の哲学を批判し、それを乗り越えようとしているのに興味があり、それで読んでいます。 ネオ・プラグマティズムの説明をしてゆくことは、この狭いスペースでは不可能ですが、私なりに大雑把にその特色を説明すると・・・・・・ (1)反・デカルト、反・カント (2)反・表象主義 (3)反・基礎づけ主義 (4)真理の多元主義 (5)人間の「内と外」の区別の廃棄 ・・・・・・ということができると思っています。 そしてカント哲学に関して言えば・・・・・・ (1)カントは盛んに直観という言葉を使いましたが、パースは「直観主義批判」で、ブランダムも「推論主義」で、いずれもカントの直観を否定しています。 カントは時間・空間を直観の「形式」と言って、純粋直観によって知られると言い、また感覚を感性的直観と言いましたが、パースもブランダムもそれを批判しています。 (2)カントは自我を先天的・アプリオリと言い、ヒュームの自我の懐疑論を批判、克服したと言いましたが、クワインにしろ、それを受け継ぐ哲学者たちは、カントのいう先天的、アプリオリをそんなものはないと言って、批判します。 ヒュームの懐疑論を評価します。 (2)カントは分析判断と総合判断を区別したうえで、数学を先天的総合判断と言いましたが、クワインは「経験主義の第二のドグマ」で、分析的と総合的は区分できない、緩やかにつながっていると言います。その上で、先天的総合判断を否定します。そんなものはない、と。 (3)カントの「コペルニクス的転回」を批判し、それを否定します。 カントは経験的認識の成立の可能性の条件を遡行し、「コペルニクス的転回」で、超越論的認識に至り、現象と物自体を区別しましたが、そのカントの超越論的観念論を否定し、実在論を唱えます。 (4)人間の「内」と「外」の区別の廃棄。 デイヴィドソンは「経験主義の第三のドグマ」で、近代哲学の、デカルトから続く、人間の「内」と「外」の区別に基づく「二元論」をドグマに過ぎないと言って、それを切って捨てます。 カントにも、フッサールにも、この人間の「内」と「外」の区別というデカルトの「二元論」が引き継がれており、そこから「内から外」を眺めることが認識であり、表象であるという考えが出てきて、カントの主観・客観の区別が出てきますが、そうした考えを一切、放棄します。 (5)真理の正当化理論。 プラトン以来、真・善・美と「イデア」があり、そして真理は時代がどうあれ、外がどうあれ、真理は一つという考えが唱えられてきましたが、この真理観を転換し、真理とは正当化条件次第で、いくらでも変化し、またいろいろと言い、真理の多元主義を唱えます。 以上がだいたい私が理解しているネオ・プラグマティズムの特徴です。 ポスト・モダンというと、リオタールの「大きな物語の終焉」と言われますが、彼のいう「大きな物語」とは、ネオ・プラグマティズムのいう近代哲学のものの考え方を指し、それをすべて否定することにほかならない、と思っています。 特にデイヴィドソンが「経験主義の第三のドグマ」でいう、人間の「内」と「外」を区別するデカルト以来の「二元論」が最大のドグマです。 そこから私たちは、心は私の「内」にあり、そして物体は私の「外」にあるという「先入観」が持たれることにつながります。 もしかして、あなたも、そう思っていませんか? そしてそれは「ドグマ」なのです。 人間には、「内」もなければ、「外」もない、「内面」もない。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 ただ私はkoosakaさんのメールアドレスも知りませんし、メールを送った記憶もありません。またお答えいただいたことを質問した記憶もありません。 しかしながらお答えの内容は大変興味深く読ませていただきました。 特に私が関心を持っているのは人間には内面がないという話です。 紹介していただいた哲学書はまだ読んでおりませんが、なぜ内面がないのか大変興味深く思っております。

回答No.12

感情、意思、こうした動的な本人の確信は、脳の働きだ。 すなわち動態をもって自己を証明する脳とは筋肉の塊だ。 精神を崇高なものに高めるには、脳を筋肉トレーニングする必要がある。 その結果、脳を反映する意思行為も崇高な行いになる。 そして君は人間を捨て、スーパーサイヤ人の高みに上るのだ。 おめでとう君は選ばれた。 この哲学を実践する私が、君を弟子だと認めよう。 テレビに登場する仮面ライダーたちが私の弟子であるのと等しく、君をスーパーサイヤ人、すなわち偉大なるサルと認めよう。 今後も励みたまえ。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 しかし質問と関係ない答えですね。

  • foomufoomu
  • ベストアンサー率36% (1018/2761)
回答No.11

>私がお尋ねしたかったのはその仕組みを構成するものはすべて物質かどうかという点です。 つまり、 >人間の精神とか意識が何なのか将来的にはすべて「物理現象」として説明可能か という事が言いたいのですね。 物理現象であることは、たぶん、間違いないのですが、「説明可能」かとなると、微妙なところです。 「システムはそれ自体を理解することはできない」という法則(まだ証明されていない)により、「人間の脳は人間の脳の働きを完全理解することはできない」かもしれないからです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 脳は脳のことを理解できないという話を最初に聞いたときは私もなるほどと思いました。 最近は人口知能の研究も進んできて、知的であることが何か特別なことじゃないと思っています。そしてその脳が脳を理解できないという話も、別にそんなことないだろうと考えています。

回答No.10

物質で精神は説明できませんが、 精神で物質は説明できます。 物質主義によれば、精神はどこに存するか分からないが、 宇宙は意識の内にのみ存するとすれば明らかだ。 なぜなら、不確定性原理に基づく確率的な存在が、 有限な実体を生じるのは、認識される事によるから。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、 無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、 無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限 の闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の 運動 (時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮= 宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、 認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、 自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識 するのです。 超弦(量子定常波)において光速に還元される本質を、 仮説的に階層現象を表面的に(いい加減に)捉える事 によって、潜在的認識可能性(現在)から、自我仮説 (記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説(予測 =空間の広がり=未来=光速下)に相補分化する。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 認識によって宇宙が存在するとしたら人間が滅亡したら宇宙は消えてしまうのでしょうか?そんなことあるのでしょうか?不思議です。

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (180/320)
回答No.9

 ざっくりと脳科学と言っておきますか。脳科学が生理学などの「物理還元主義」とは違う路線を模索し出して、既に一世紀くらい経ってるのは事実です。模索の先駆けとなったのは、今では死語ですが、サイバネティックスと呼ばれた分野と概念(方向性)です。  現状では「意識は、物質では説明できない未知の存在に依存してはいない」が、一般的な考えだと思います。それが本当かどうかは、現状で誰にも検証できません。そうだと仮定してどこまで説明できるかを、現在進行形でやっているというところでしょう。  「意識は物質で説明できる」が「物理還元主義」ではないとはどういう事かと言うと、多くの回答者の方々が仰っているように、要はソフトウェアに注目した、という事です。意識は、脳組織という物質的ハードウェアが作動させる良くできたプログラムだ、という立場です。  その意味で意識は物理的存在はありませんが、実在はします。この状況はPC上で動くソフトウェアでも同じです。ソフトウェアは物理的存在ではありませんが、どんなPCにインストールしても同じように動きます。その意味でソフトウェアは、PCというハードウェアら独立した実在だと言えます(値段も付きますしね(^^;))。  少なくともプログラマーは、ソフトウェアを物理的な存在物であるかのように扱います。何故ならそれは、彼らが手塩にかけて育てモニター(デバック)したものだからです。同様に自己が存在すると思えるのは、たやすく病気になれるくらいに発達した(^^;)、意識の自己モニター機能に由来すると自分は思っています。  ここでのポイントは、「意識」=「自己モニター機能」です。さらにこの機能(ソフトウェア)は、もちろん誰かが意図的にプログラムしたものではなく、自然発生したもので、しかも個体発生の過程の中で自動的にブートされる(起動される)と考える訳です。これは、遺伝情報の中にはそういうブートを可能にするトリガー情報が隠されているとする、仮定でもあります(明文化はほとんどされませんが)。  ただし#6さんの仰るように、自己モニター機能に「意識という意味を付与する」のはあなたであり、それは究極的にはやはり哲学の仕事だと思います。  「意識」=「自己モニター機能」が妥当だったとして、「自己モニター」という「物理的現象」が、脳科学・神経学・生理学・コンピューター科学で説明できたとしても、それを「意識と呼ぶべき理由」は、決して科学からは出てきません。その現象を「意識と呼ぶ」のは、科学にとって公理だからです。  ちょっとはっちゃけてますが、以下を参考URLとしてあげます。   http://okwave.jp/qa/q9203554/a25649534.html

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなりましてすみません。 指摘されたことを理解できているか自信ありませんが、やはりこれは哲学の問題ではないかというのは興味深いです。 脳の構造を細かく調べてもシナプスがどんな配線になっていてどんな仕組みで脳が作動しているのかということはわかるけど「意識」は見えてこないということでしょうか? つまりPCの基盤の配線やHDをいくら調べてもソフトウェアが見えてこないということでしょうか?そしてソフトがあるのかないのか?ソフトは情報という意味では何も実態はありません、しかしそれをあるかのように考えています。ソフトウェアがあるのか、ないのかは哲学の問題であると。 それと同じように意識があるのか、ないのかは哲学の問題であるということなのでしょうか? 多分、「意識は存在しない」という思考モードでも脳を考えることができるし、「存在する」という思考モードでも取り扱うことができるように将来なると私は思います。 そのどちらが正しいのか?を決めるとしたらそれは哲学の問題かもしれませんが、どちらが正しいと決めずに両方で考えて必要に応じて使い分ければいいと思います。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.8

人間の精神は 物質の性質で出来ています。性質という言葉が研究不足なので まだそういう定説もありませんし 性質という言葉以外にいい言葉を作ればいいのですが クオリアという言葉ならあります。感覚質 と呼ばれ、精神の質とされています しかしまだ定着した言葉ではありません ですので、今ある言葉で説明するなら 意識・精神は性質で出来ている 脳内のニューロンやシナプスや伝達物質やホルモンや微弱な電磁波などの 物質の性質で出来ているのです。 また生命と精神は別物です。生命は循環です。物質も電子の循環ですが 生命も水やCHINOPS系の循環でもあります。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなってすみません。 私は唯物論で世界を考えているのですが、そうすると厄介なものがいくつかあります。意識とか情報とか目的とかを唯物論でどうやって説明するかという問題です。今はできませんがいつかは唯物論的に説明できるようになると楽観的に考えています。 yunikoさんの考えもモノとしては考えにくい「意識」を性質という言葉で説明しようとしているのかなと思いました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.7

人間の生物的事象は物理および化学によって将来的には 説明可能だと思っています。 もちろん現在の科学では不可能です。   ↑ 現在の脳科学者、分子生物学者はそう 考えています。 最も有力な仮説は、脳細胞が織りなすネットの 産物だ、という説です。 いくら科学が発達しても人間の精神を物質的に説明できないと するとそれはどうしてですか? 原理的に不可能ということでしょうか? あるいは物質では説明できない未知の存在が何かあるのでしょうか?     ↑ 魂、というモノの存在を信じているからだと 思います。 ノーベル賞受賞の利根川進教授は、魂の存在を 明確に否定しています。 人間の精神を物質では説明できない理由がもしあればお聞かせください。     ↑ 電脳は将棋や囲碁では、人間に勝てないと言って いた人と同じでしょう。 人間は信じたいものしか信じようとしないのです。 信じたくないものは信じようとしません。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなってすみません。 意識は物質をもとに説明できるようになるだろうというご意見ですね。

回答No.5

>いくら科学が発達しても人間の精神を物質的に説明できないとするとそれはどうしてですか? 科学が十分、発達すれば人間の精神を物質的に説明できますよ。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私と同意見ですね。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2129/8001)
回答No.4

 インターネットを考えてみればわかりますが、インターネットが実現して初めてわかった事実が多いですよね。  マスコミが隠している事実や信じないように情報操作した事実がたくさんあって、それが原因で国民の多くが現実を知らずに生きている為に、多くの事件が解決出来ずに続いている例があります。  人間の脳の精神や意識も同じで、物質的に解明出来るのでしょうが、政治的に隠されている事実が多くて、マスコミ報道されない為にわからないのではないでしょうか。  たとえば、精神や意識という高次元の問題が、実は本能から派生した欲望から生まれたものに過ぎないのを指摘したのがジグムント・フロイトでしたし、愛情や友情などの感情が、実は脳内麻薬と呼ばれる化学物質の作用であるのがわかって、愛情よりも麻薬の嗜好性が強い為に、家族関係が破綻する事件が起こるなど、社会問題化したのは誰でも知っていますよね。  人間の精神や意識が物質で出来ていなかったら、こういう事件が起こるはずがないわけですし、精神病という病気が存在するのも精神や意識が物質で出来ている為で、それ以外の理由はありません。  人間の精神も意識も物質で出来ています。私もあなたも脳内化学物質が異常を起こせば狂う生物に変わりは無いのです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 精神・意識の根底にあるのは物質であるという意味では私と同意見ですね。

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