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カチューシャの唄の歌詞について。 せめて淡雪溶けぬ間と というのと、溶
カチューシャの唄の歌詞について。 せめて淡雪溶けぬ間と というのと、溶けぬ間に というのと二通りあるようです。 どちらが本当なのでしょうか。 また、どうしてそうなったのでしょ
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- wbuta
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若い貴族 ネフリュードフ 下女 カチューシャ --- 嘗て弄んで棄てた女が殺人犯として裁かれ極刑に成ってしまう。 (ネフリュードフは裁判員として参加) --- こう言うストーリーの中で「カチューシャ(かわいや)」と言う部分が5番すべてに出てくる事には違和感を感じてしまいます。 ---- 当時、この歌はミリオンセラーに成ったとか… 当時の一般大衆は、真の芸術など解せない人々か殆どだったので、単に歌詞のもつ「かわいい、カチューシャ」と言う言葉に惹かれて広まった為、復活と言うストーリーとは、別次元で(と)←と言う不自然な表現より(に)の方がしっくりくると思ったのでは無いかと、勝手な憶測で想像してしまいます。 --- カテゴリーとしては、哲学カテで論じて見る方が面白そう~
お礼
演劇の「復活」の中で、どのような流れで歌われたのでしょうね。 台本を読んでみたい気もします。 演劇から流行ったとしても、それとは独立して歌われていったのでしょう。 子供の頃、明治生まれの田舎者の祖母に、「このカチューシャって復活と関係あるの?」と尋ねて明快な返答を得られなかった覚えがあります。
- KoHal
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歴史的な経緯は分かりません。 歌詞を見ての判断。 せめて淡雪とけぬ間と神に願いをかけましょか これは「淡雪が溶けない前に(あなたが)帰ってこれるように神に願いましょう」の意。 この意味では「間と」でないとおかしい。 ただし「雪が解けないうちに神に願いましょう」の意と捉えると「間に」 でも下の解釈は勘違いだと思いますよ。神に願い事するのにそう何日もかからないでしょう。 勘違いした人が「間に」で歌ってそれが口伝えに広まったんじゃ?
お礼
確かに、意味からすれば、「と」ですよね。 でも、「に」も広まっているみたいです。 不思議ですね。
- wbuta
- ベストアンサー率37% (203/543)
暇なので一寸参加させて、 カチュウシャの歌、について、藤浦洸の分析に依ると、 1番を島村が 2から5番までを相馬が作詞した事に成って居るが実は、島村は作詞に行き詰まり、結局1番も相馬の作詞で(共著と)言う事で発表されたと有ります。 -- 島村にしても、相馬、或いは、中山にしても、それぞれの記念館で「自筆作品展示」がありますから、真相を知る為には、三つの記念館へ問い合わせるのが一番では無いかと思います。 -- 私は三人の記念館の中では、相馬記念館の資料が(もし、藤浦洸の分析が正しいとすれば)一番信憑性が高いのでは無いかと考えます。 糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》 (御風の遺品、文献など1万数千点を収蔵展示。電話番号:025-552-7471 ↑ 此処では(間と)と、書かれているようですが… -- それにしても、松井須磨子の歌唱は、酷すぎる… まあ、歌手では無く、女優だから仕方が無いのでしょうけど、それにしても一世風靡した人の歌唱かねー 現代の、ミュージカルの、オーディションには絶対受からないだろうなー
お礼
糸魚川歴史民俗資料館《相馬御風記念館》ではやはり 「と」なのですね。 松井須磨子の歌唱については、録音技術の問題もあるでしょうから一概には言えませんが、今の歌唱レベルとは違いますね。 佐藤千夜子とか、童謡歌手とか、古いソプラノ歌手とか、今聴くと何ともなあと思ってしまいます。 それどころか、70年代80年代のアイドルも歌についてはつらいものがありますね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
あの歌は、物凄く物覚えのいい、かつ物凄く音痴の僕の祖母が、朝ご飯を作りながら歌っていた歌です。あの歌を聞くとおいしいワカメの味噌汁を思い出します。 でいくら音痴でも「と」が「に」なることはないだろうと、思うんですけれど、これは僕にはよく分かりません。人が何と言おうと僕は頑固なのであくまでも「に」党です。
お礼
大変流行したそうですから、個人的な思い出をお持ちの方も多いでしょうね。 おばあさまは、何年ぐらいのお生まれでどこでお知りになったのでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 松井須磨子は と で歌っていますね。 でも楽譜になったものでも に があったりします。 大変流行した曲だそうですので、口伝えで歌われているうちに変わってしまったのでしょうか。