- ベストアンサー
ペルシャ人と宗教の関係について教えてください
ペルシャ人と宗教の関係について教えてください こんにちは。 ペルシャ人とは、彼ら自身の要請で今ではイラン人ということになりますが(あってますよね…?)、彼らと宗教の関係を教えてください。 ササン朝(6世紀あたりに滅亡でしたか)の頃はゾロアスター教を主に信仰していたようですが、今ではイスラームですね。 イスラームとは主にアラビア語圏、アラブ人による宗教ですがペルシャ語を話す今のイラン人もイスラムというのはどういうことなんでしょうか? 今のイラン人は祖先の宗教を忘れてしまったのですか? 無知ですみません。大きな勘違いをしているような気がします。 どうかご教示くださいませ。お願いします。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
現代イラン人は近隣のセム系やトルコ系の国の人々と比べても外見上違いがあまり見受けられません 古代アーリア人の特質であった金髪、碧眼はインド・アーリア人とともに失われたようです もともと金髪、碧眼というのは劣勢遺伝であるため失われ易く 歴史の長い時間のスパンでは他民族との混交は免れません だから現代の文化人類学では文化の継承性から民族の存在は肯定的でも 外見上特質である人種の存在は否定されつつあるのです 歴史上では9世紀のキルギス人によるウイグル王国滅亡からテュルク系ウイグル人が大量に中央アジアや東トルキスタンへ流入し 遊牧民にも関わらず都市に定住化しイラン系で覆われていた地域を一気にテュルク化しました ウイグル人たちは極めて受容的であったため先住イラン系と紛争を起こさず混住し イラン系のソグド文字を基礎にウイグル文字をつくり 商才がありソグド商人の才能を引き継ぎウイグル商人がシルクロードを闊歩し 軍才もあったのでマムルークとしてイスラム世界にも入って来ました このようにイランはセム系アラブ人やテュルク系の流入があったため純血的な古代アーリア人を求めても無理かも知れません 長くなりましたので次レスでDNAなどでの血縁継承性を確かめるのには困難であることを説明します
その他の回答 (6)
- zep19
- ベストアンサー率45% (138/306)
ミトコンドリアDNA鑑定によりわかる血縁継承は母系の継承であり、男性のミトコンドリアDNAは継承されません 従って遡及的に祖先の母方はどんな民族であるかわかります しかし・・ 仮に四代女系で続いたと仮定し先祖からa、b、c、dとします そしてa~dのそれぞれの配偶者をA、B、C、Dとします Dとdの間にeという子供ができたとしaが古代アーリア人であってもeも古代アーリア人とは言えないのです なぜならDNA特質を遺伝できない男性配偶者A~Dがセム系アラブ人であったなら bは50%、cは25%、dは12.5%しか古代アーリア人の特質を持っていないことになるからです 前日のレスでイスラム教徒によるガブル(異教徒)いじめがあることを述べましたが 段々に陰湿化していき、あるゾロアスター教徒の商人が多大な金銭と時間をかけダフマ(土葬できないゾロアスター教徒が岩壁に穴を開け作る納骨墓所)を作ると 完成した当日にイスラムの官憲が因縁をつけイスラムの祈りをあげダフマに入り汚し、その場所を抑えるのです イスラム官憲は別にダフマを使うために抑えたのではなく、ただ単に異教徒に多大な出費をさせ嫌がらせをし楽しむためにのみやるのです また法でも異教徒家庭で一人がイスラム教に改宗するとその改宗者が他の兄弟を押し退け両親の遺産を独り占めできる財産法を制定しました イスラム教徒は富裕者など一夫多妻できます しかし異教徒だと経済的に困窮する可能性が多分に強く一生結婚できないかもしれません 異教徒男性はイスラム教徒女性とは結婚できませんが アラブ人イスラム教徒は勝者のステータスとしてアーリア人女性を複数娶ることは可能なのです ですから現代イラン人に古代アーリア人の特質を見出だすのは困難ではないでしょうか
- zep19
- ベストアンサー率45% (138/306)
はじめまして 当時のイランの人々はペルシア帝国のことをエーラーン・シャフルといいました 意味はアーリア人の帝国 (*歴史学でアーリア人と呼べるのはイラン系とインド系の人だけです 後に西欧で生まれナチスで先鋭化された西欧人アーリア人説は誤りです) エーラーン→イラン ペルシアというのはギリシア語でイランのことを差します イラン東南にペルシス地方があり、アケメネス朝、ササン朝の発祥の地です ササン家の始祖はゾロアスター教の神官出身ということもあり ゾロアスター教は国家宗教として発達しヒエラルキー的教団を組織して 東方キリスト教などからの影響で聖典も編纂されました ヒエラルキー的教団にありがちなように東方キリスト教やマニ教という異教、異端には過敏に反応し弾圧したこともあります ササン朝では女性の地位が意外に高く前期には女性のSardar(カタフラクト:重装騎兵)がいたことが ローマの文献に書かれてあり また後期ササン朝にはPaygospanan-Banu(女性地方軍指揮官)もいたようです ササン朝が倒されてもイランではイスラム化はそう簡単には進みませんでした 経典の民として認められなかったゾロアスター教徒は隷属化されました あまりに数が多いためズィンミーに格上げされましたが ジスヤ支払いの時の屈辱的扱いやイスラム教徒が娯楽にしたガブル(異教徒)いじめに耐え兼ね改宗する人々や 商業的取引を有利するため改宗する人々が出始めました しかしイラン高原の東部や中南部の多く人は改宗せず 8世紀には東部ホラサーン地方でベフ・アーフリードの乱、スィンバードの乱、ウスターズ・スィースの乱など 反イスラム・反アラブ的なゾロアスター教徒の反乱が頻発しました これら一連の反乱を鎮圧しイスラム化は進みますが、それでも人口の半数は改宗しませんでした イランでイスラム化が完成するのはイスラム文化が開花する10世紀頃です この頃から残存していたゾロアスター教徒が西インドに脱出し始めます
全然詳しいところは分からないんですけれども、 イラン、ペルシャ人というのはアラブ人と違います。 イランはイスラームと言ってもシーア派が多い国です。 イスラームの主流はスンナ派です。 いずれにしてもイスラム教は後から出来た宗教です。 ええと、とりあえずウィキペディアを見てみますと、ムハンマドが神の啓示を受けたのが西暦610年だそうです。4代目の指導者を選ぶところで分裂し、スンナ派とシーア派に分かれた。 一方、ゾロアスター教は紀元前からの話なんですね・・・・ イランは7世紀半ばに当時のササン朝ペルシアがアラブ勢力に負けて、その後イスラム化したと。なるほど。 昔の宗教は政治と直結しやすく、その時代の支配者によって代わりますので(ローマにおけるキリスト教もそうでした)歴史の流れなのでしょう。 先祖がペルシャ系のインド人(パールシー)は今もゾロアスター教なんじゃないでしょうか?? パールシーはイスラム教徒にならずに国を離れた人々だったんですね。(参考URL) 日本は一神教でないし、神仏習合しちゃいましたので、神道と仏教どちらかが消えるということにはならなかったのでしょう。争いが無かったわけではありませんが。仏教が伝来して初期の頃とか(物部氏vs蘇我氏)、明治時代とか(廃仏毀釈)。
お礼
ありがとうございました! よくわかりました!
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
ゾロアスター教 (講談社選書メチエ) [単行本] 青木 健 (著) アーリア人 (講談社選書メチエ) [単行本] 青木 健 (著) 2008年 2009年 と出ています。図書館で私は借りて読んだ。 中央アジアから、現在のイラン高原からインド北部にわたって、間欠的に移動してきたのが、現在のイラン人でありインドアーリア人であり、アフガニスタンの一部の人々だったりする。 元々は多神教。似ているって言えば、現在のヒンドゥー教に近い。 その中の宗教改革者がゾロアスター。 ゾロアスター教自体は、その弟子たちによって、既存宗教との妥協の産物となっているらしい。 圧倒的なアラビア語+イスラム教の中で、先行する帝国を打ち立てていたペルシャ語は統治用語として生き残った面があります。
お礼
ありがとうございました!! 理解が深まりました!!
- P0O9I
- ベストアンサー率32% (693/2146)
何のための質問でしょうか? イラン人だけではなく、どこの国も地域も宗教は歴史とともに変わってきています。 ヨーロッパ・南北アメリカも元々キリスト教ではありませんでしたが、今はほとんどキリスト教になっています。 アラブ地方でもマホメッドが現れるまで、別の宗教でした。 インドネシアなんてアラブ地方とまるで違う気候風土で、離れたところでも、イスラム教です。
補足
ありがとうございます!! 確かにそうですね…何かすごい見落としをしていました。 蛇足ながら、ペルシャ人というのは基本的に今のイランあたりに定住していたのですよね?
- Tacosan
- ベストアンサー率23% (3656/15482)
(異なる宗教を持っている) 「異民族」の侵略によって宗教が変わるのはよくあること. インドだってそう. パキスタンあたりはころころ変わってます. 一方, ヨーロッパでは「侵略されたわけじゃないんだけど『先祖の宗教』を忘れた」といえますね.
補足
ありがとうございます。 日本民族が(朝鮮から渡来してきた方も多くいますが。勿論大昔の話で)日本に定住しているのにもかかわらず仏教を取り入れたのと同じように、ペルシャ人も大方今のイラン辺りにいながらイスラームを信仰していったということでよろしいでしょうか?
補足
ありがとうございます!! つまり、ササン朝時代のペルシャ人(元祖ペルシャ人ということでしょうか?)の肉体的継承者は、現在のイラン人、それから西インドに住むペルシャ系インド人で、精神的継承者はそのうちの西インドに住むペルシャ系インド人ということであっているのでしょうか? もうひとつ質問があるのですが、西インドに住むペルシャ系インド人というのは、国籍上はインド人であるけれども、遺伝子的には現在のイラン人と(勿論現地人との混血はいくらかあったと思いますが)同じということでしょうか? お願いします。