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今から1410年前の今日第1回遣隋使派遣と歴史にありますがこの頃言葉の
今から1410年前の今日第1回遣隋使派遣と歴史にありますがこの頃言葉の問題はどうしたのでしょうか。教えて下さい。
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遣隋使の乗員に関しては名簿が発見されており、それには外国風の名前が多数記載されています。 これから、帰化した渡来人を通訳として随行させていたと思われます。 日本書紀によると、小野妹子は中国語を話せず、鞍作福利という渡来人を通訳として同行させていたという記述があります。 「隋書東夷伝」には日本に中国人が村を作って住んでいたという記述があります。 それ以前の時代でも、卑弥呼は中国の柵封を受けおり、当時から交流はあったので、それなりに言葉のわかる人間はいたはずです。 しかし、渡来人が帰化し、一氏族を形成できる程度に重用された事はありますが、現地人を征服し支配できるほど、一時期に大量に渡来した記録はありません。DNA的な分析や、稲作の伝播経路の研究からも、日本人のルーツとしての大陸との関係は否定されつつあります。 文字と言語は違うものです。 当時の日本に独自の文字が存在したか否かは、未だはっきりしていませんが、当時の支配階級が「文字」として中国語(漢文)を「書いていた」のは確かだと思います。 しかし、「言語」は日本語を「話していた」はずです。それ以前に当時の平民は文字自体を読み書きできなかったと思いますし。
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- 風車の 弥七(@t87300)
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回答No.1
遣隋使・遣唐使の頃の日本の支配階級(朝廷・貴族・豪族・僧侶等)は皆中国大陸や朝鮮半島からの帰化人で、この人たちは大陸の言葉を使っていました。 大和言葉(日本語)は支配されていた日本古来の一般庶民が使うのみでした。
質問者
お礼
教えていただき有り難うございます。 日本古来の一般庶民が支配されていたとは驚きでした。
お礼
詳しく教えていただき感謝いたします。有り難うございました。