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武道の勝ち負けが価値で無い部分

武道の勝ち負けが価値で無い部分 武道の勝ち負けが全てで無い部分 をお伝えください。 勝ち負けをなくしての存在を教えてください。 価値とか負けとかを全く無くした存在を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2909)
回答No.3

対戦相手との勝ち負けですよね。 厳しい修行という意味では 自分に甘えを出さないように 自分に勝つという意味で必要な存在。

idonoyoko
質問者

お礼

ありがとうございます。 自分にということですね。

その他の回答 (2)

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.2

ルールがあり勝負が優先するならルールテクニックが出てくる。 しかし、勝つことを意識すればルールテクニックを使う。それは本来の武術ではなく勝つための手段であり元からかけ離れる。また、審判の判断も客観的であるが、それは審判から見てわかりやすい攻撃を意識することになるし、審判自体が主観的に判断する。 われわれは武道ではないが、審判は立てずすべて自己申告。また各人は勝つことよりもどのような意識を持って戦うかが重視される。たとえば。ルール的には盾&メイスは最も強いがその組み合わせで10回勝つよりも扱いの難しいロングソードで1回勝つことのほうが自分自身は価値があると考えている。 わたしは頭からつま先まで覆われたプレートアーマーを着て戦うが、歴史的ではないプラスチックアーマーをきて軽量化するよりも重くて負けてもプレートアーマーのほうがよい。

idonoyoko
質問者

お礼

ありがとうございます。 勝つことの価値は何があるのでしょうね。

回答No.1

現代においては日常の社会生活上で、武道で想定する勝ち負けにはあまり意味がない。それを理解したうえで武道を修練する理由は、剣道の理念が目的とする「人間形成の道」しかありえない。もっとわかりやすく言うと、身体的にも精神的にも昨日の自分より強くなること。相手に勝つことを目的にするのはプロの武道家、アスリート、その他の勝負師、あるいは公安維持を担当する公務員、でなければ陰の存在(野球賭博の胴元たち?)ではないかな。ちなみに私は中年から始めた剣道と杖道の低段者。楽しみながらできる範囲で自分を追い込んでいくのが快感です。年単位で過去の自分と比べてちょっと強くなったような感じとか、他者からの評価が継続する原動力ですね。

idonoyoko
質問者

お礼

ありがとうございます。 >現代においては日常の社会生活上で、武道で想定する勝ち負けにはあまり意味がない そうですね。叩いたりした時点で傷害罪ですからね。 ルールを敷いて勝つ負ける。 勝って負けて、それで一応の区切り。 勝ち負けは人間の作り出した一つの価値。 価値の根拠は、あまり考えられていない。 勝ち負けに価値を当てはめることは、正しいのか?どうか? あっているのか?まちがっているのか?それとも向こう見ずなのか? 勝ち負け解り易くしてそれで終わってしまうのか? 多くの問題は解決されたのか? いろいろ考えさせられました。 御回答ありがとうございました。

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