• 締切済み

人類の勝利

この世界には 勝ち負け といった価値観が存在しています。 もうこういったことはやめて、 生きる全ての人が、 一人も無視されることなく、 困らず安心信頼して平等に老後まで暮らせるようにすることを目標として、 それを全うして人類の勝利とするほうが良くありませんか?

みんなの回答

  • jacta
  • ベストアンサー率26% (845/3158)
回答No.9

一見理想的なようですが... > 勝ち負け > といった価値観が存在しています。 > もうこういったことはやめて、 自分とは違う価値観を否定することから争いや苦悩が始まります。 個人的には戦ってでも理想は勝ち取るべきだとは思いますが、そのためには少なからず犠牲を伴います。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >違う価値観を否定することから争いや苦悩が始 まるんですね。 >戦ってでも理想は勝ち取るべきだとは思います 勝ち取りたい理想とはどのようなものでしょうか?

noname#100496
noname#100496
回答No.8

人類が、争い、苦しむのは、脳の自我の、せいですから、自我を分離しない限り、人は幸せには、なれません。この世界は、不完全、不調和な世界ですから。

kogoefuyu
質問者

お礼

これ以上人間の精神性は発展しないのでしょうか? 進展しないのでしょうか?

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.7

>生きる全ての人が、一人も無視されることなく、 >困らず安心信頼して平等に老後まで暮らせるようにすることを目標と >して、それを全うして人類の勝利とするほうが良くありませんか? おっしゃりたいこと、よくわかります。 しかし、残念ながら現実の世の中には「他人を搾取して、俺が豊かに生きる」という輩が、少なからず存在するのです。 この平和な日本であれば、まあそういう理想的な生き方ができるかもしれません。 しかし、将軍様一人が生殺与奪の実権を握り、それにぶら下がる人たちだけが豊かに暮らせる北朝鮮とか、自民族の自尊心の為であれば、貧しいチベットの人を弾圧しても平然としていられる中国など、勝ち負けで価値観が決まるどころか、負ければ全てを失うから人権を蹂躙してでも、自分達が勝者じゃないといけないという強迫観念がないと、生きられない国も存在するのです。 そういう強盗すれすれの人が隣人であれば、こちらも武装するとか武装ガードマンを雇うなどして、自衛策を講じなければ物騒な隣人に、財産と家族を奪われ、自分は殺される運命と成りかねません。 理想を高くもつのは尊いことですが、もっと現実の世の中を見つめましょう。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >「他人を搾取して、俺が豊かに生きる」という輩 おりますね。することにより味を占めて自戒もせず抜け出せなくなった者ですね。 >将軍様 >中国など >強盗すれすれの人 勝ち負けがそこまで入り込んだ甚だしい窪み文化に嵌り陥った国の状況。 >現実の世の中を見つめましょう その辺の原理にも対処でき包含できる攻略の存在が裏付けとして必須なのでしょうね。

  • Heavyhand
  • ベストアンサー率53% (85/159)
回答No.6

結局のところ「勝ち負け」という価値観を否定するという形で全人類の思想を統一することになるでしょうが、 それは古来よりいかなる独裁者も行えなかった偉業でしょうね。 なんせ、全人類に対して特定の価値観を完全に抹殺するのですから。 全人類が変化(あえて進化とは書きません)してそれを自発的に望むならともかく、そうでなければ世界征服でもしなければ実現できないと思うのですが。 そもそも平等に老後まで暮らせるのを目指すべきというのは質問者様の個人的な思想に過ぎないわけです。 世の中にはそれとは違う形の生き方を望む方も多いでしょう。 少なくとも私の親戚には「平等に老後まで暮らせる」ことを目指していない方が何人かおられるわけで。 望まない者にまで特定の思想と生き方を強制することを「人類の勝利」と称するのであれば、私は負けてて結構です。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >「勝ち負け」という価値観を否定するという形で全人類の思想を統一する 勝ち負けでは、必ず出て来てしまう問題に対しては、その存在は多くの人が観ているのですが、提起することが少なかったり、そういうものはしないものと観念つけていたりと、そればかりではないかもしれませんが、なおざりにされ、触れられていなかったり、メスを入れようとしていなかった部分だと思います。 しかし問題は問題だと思います。 昔は世界のあの国この国が戦争をしておりました。 しかし今は それではいけなくて、それでは問題を解決できないことを知っています。だから問題も提起され、世界中が気をつけて、より良い国と国の間柄や人類のより良い在り方を探索しています。 ですのでこの件もいつかはメスが介入される事柄だと思ったのです。 >世の中にはそれとは違う形の生き方を望む方も多い 優越する欲求や、富を得る欲求や、大きな富を他者を使用して効率よく手に入れる欲求や、などでしょうか? 他にどんな欲求があると思われますか? >望まない者 何処へ行っても不平等で、老後に至るまでも不安感を望み、信頼に値しない社会をお望みと。 また、他者もが普遍にその環境におかれることを望むことにより、益を得やすくなる人はいるとは思います。 しかしそれは、勝ちと負けから副次的に算出される問題を解決出来得ません。 ことより、本人が感知しなければ延長上の他者に問題が発生しても無視できることになりやはり同じ結果を生むかと思います。

回答No.5

これは人類の全てがキリストや仏陀のような聖人にでもなるか、それこそ神にでもならない限り不可能です。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >人類の全てがキリストや仏陀のような聖人にでもなるか、それこそ神に 気が付く人が多ければできるのではないかと思ったのです。 更なる神が必要になります。

noname#111050
noname#111050
回答No.4

抽象的には素晴らしいですが、どうします。全員、クローンのようにしてしまいますか。どうしたら幸福な社会を実現できるか、具体策が必要ではないかと思います。心の幸福のみを求める宗教であれば、理想は求められると思います。まずは、世界が一つにならなければならないでしょうかね。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >クローン >具体策が必要ではないか >心の幸福のみ 難しいところですが。 何を持って足るとするかによって異なってくるかと思います。 なぜかと言いますと、現代は、随分インパクトの大きい事柄を決として多くの人々は生きているからです。 基本的な安心信頼平等約束などは軽くオーバーラップしたところで言葉は悪いですが無責任でやりたい放題のことを人が人に課して平気でいたりしています。 行過ぎた心の、通ってきた道の過去にそのきっかけを感じた日があったはずです。

noname#101110
noname#101110
回答No.3

気持ちは分かります。 間違っても居ないと思いますが、ま、相手のあることですから。 生存本能は必然的に闘争と競争を生みます。 一番勝ったひとから妥協して降りてこなければ何事も始まらないと思いますが、それは世界の繁栄の終焉と崩壊につながるという思想があります。 難しいことです。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり人間は解り易いものを対象としたがる癖がありそうです。 >一番勝ったひとから妥協して降りてこなければ何事も始まらない 確かに最もです。 勝つ人はそこに至るまでに気が付かないものでしょうか。 いえそれ以外の人も含めて。 幻に近い部分を多く含んでいることを。 そしてその後はどんなことを価値として進むのでしょう。

  • darumazen
  • ベストアンサー率16% (18/107)
回答No.2

平等な社会よりも競争社会で不平等な社会を肯定する人が現状で多いので、これから数十年は平等な社会の実現を本気で考える社会は生まれてこないと思います。 ワークシェアリングが受け入れられない現状の日本では本気でみんな平等になんて考えている人は小数派のようです。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >平等な社会よりも競争社会で不平等な社会を肯定する人が現状で多い そうですね。そういった流れは巷にゴロゴロ転がっていますことが現状だと思います。 問題を解決しない方が良いのか?と聞いてみれば解決できたほうが良いと答える方もいるかとは思います。 なぜなら人間を取り戻せないからです。 時代を先に延ばすのか。 近づけるのか。 狭義な価値にしがみつき、人間の精神の発展と成長とその境地と目標を遠ざけるか。 心巡らしているかは、わかりません。

回答No.1

こんにちは。 それは、理想社会ですね。 人間社会において、勝ち負けの価値観が正しいのか、間違っているのかは、よく分かりません。 ただ、動物社会には、勝ち負け、そして序列があるのですから、 それは、自然のあるべき姿なのでしょう。 勝ち負けが不要と言うことは、資本主義社会を否定すると言うことです。 勝ち負けがあるから、競争が生まれ、より良いものが生まれ、人は便利に生活できるようになったと思います。 その副作用もあると思いますし、今後、人類の価値観も変化するかもしれませんが、今の段階では、資本主義社会(勝ち負けのある社会)のままで、人類が平和に暮らす方法を模索している、といったところではないでしょうか。

kogoefuyu
質問者

お礼

ありがとうございます。 勝つ負けるの発想は、責任をもこじ付けに括り付けられているありさまです。 勝つの裏に負けるものあり。 負けるものは少なからず混迷し惑います。 勝つものはそこまでの責任は無いと思っています。 しかしその事実が必ず存在すること。 結果をそこで一先ずの区切り、ピリオドとして考えがちです。 それは個人レベルでも、企業レベルでも、個々人の間の関係上でも、皮肉にも存在し、ニヒルな人間の思考を作り出します。 ましてや己さえ助かってしまえば、後は知りません。といった思考が対象を多岐にして来る日も来る日もあらゆる所で繰り返されていることでしょう。 困るのは困る人の責任です。といった具合です。 問題だと思います。 なぜなら、負ける人はおろか(愚かという意味ではありません)、勝つ人の中にも本当はこういったことをは人に対してしたくはありませんが、そうするしか生きる方法がわからないので人間の心を抑圧して日々こうして生きているのです。といった混迷なる心が存在している事実があると思います。 >資本主義社会を否定する とお答えいただきました。 少し考えてみると霧掛かりそれにも通じる節が示唆されるのかもしれません。 でそこで考えてみたのですけれど、資本主義も現段階では社会実験に過ぎないとも思える節合いもあると思います。 資本主義を全面的に否定する気は毛頭ありません。 純粋な資本主義が人類の究極の姿かというと100%の人が100%うなずけるということはないと思います。 なぜなら、問題が解決できていない現実があるからです。 じゃ何がそれ以上のあり方か?となってくるのかと思いますが、人間には今のところ、過去と今のその問題を見ること感じることができる能力があります。 過去にそういった問題を解決できる流れがあったなら当に採用しているはずです。 だから問題を解決できる志向や思考や価値観の発見は、人間の見つける しごと なんだなと思ったのです。 資本主義社会のいわゆる労働とは、意味合いの異なる しごと です。

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