• ベストアンサー

宇宙は万物である

莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)の回答

回答No.11

 g3452sgpさん ご質問を拝読しております。回答ではなく、たいへんご面倒をおかけしますが、お教え頂ければ幸いです。(教えてもらいたいので、申し訳なく新規質問を出したのですが誤解されたようでした)  1. 実は私もインド哲学の端っこを少し勉強してきました。    ANo.1のお礼のところで、【宇宙が球体などと言っているのはインド・ヒンズーあたりの幼稚な哲学である】というコメントを書かれておられます。    インド哲学も大変広範ですがどんなインド哲学で、どのような脈絡の中でそれは【宇宙が球体】といっているのか、可能でしたら教えてください。  2. 【テーゼに到った】と仰せです。テーゼって私たちの使用範囲での意味はhttp://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/132364/m0u/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%BC/の(2)で使ってきました。   でもg3452sgpさんはそういう【結論】に到ったという意味でしょうか。   あと“宇宙の当為的原理”(その認識に到った)とか、【宇宙はそういう原理である】とか、【そういう状態である】いう意味とかが考えられます。    (1)g3452sgpさんはどういう意味でテーゼというタームを使っておられますか?    (2)そして、【宇宙は万物である】というフレーズは原理をおっしゃっていますか?    (3)当為の規範をおっしゃっていますか?    (4)単に状況状態ですか?    (5)それとも構造や基盤ですか?  3.  【宇宙は万物である】とお互いに指し示すのですから対象ですね。    (1)そうならばそれは存在として範囲があるのでしょうか?    (2)範囲のない存在なのでしょうか?    (3)範囲があれば、その境界や仕切りは何なんでしょうか?    (4)宇宙イコール万物であり、万物そのものである。ということでしょうか?    (5)それとも万物で成り立っているということでしょうか?    (6)それとも万物を入れている、或いは存在させている入れ物や基盤という事でしょうか?  4. その万物は個々バラバラにあるのでしょうか?  5. 万物である個々は互いにどんな関係なのでしょうか?  6. 個々である仕切、境界は何なのでしょうか?  7. その万物の一つ一つが、仮に、消滅していくと宇宙はどうなるのでしょうか?  8. 全部なくなるとどうなんでしょうか?  9. 以上の事は哲学の問題ではないのでしょうか?

g3452sgp
質問者

お礼

  総数20近い質問ですので、一部割愛させて頂きます。 >2. 【テーゼに到った】と仰せです。・・・・ 私におけるテーゼとは、真理の探究の結果得られるもの、つまりは宇宙に対する基本理念です。 宇宙について深く考えるうちに、宇宙が有限であるか無限であるか思索するうちに 再確認したのです、やはり「宇宙は万物である」と。 (ここでのテーゼは別段政治的意味合いはありません。もちろんその方面にて探究するのであれば政治的意味合いをもつのでしょうが) >3.  【宇宙は万物である】とお互いに指し示すのですから対象ですね。     宇宙≡万物 ( つまり、宇宙⊇万物 ∧ 宇宙⊆万物) そして「宇宙は無限である」、これが答えです。     http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5935653.html  回答番号:No.12     宇宙は無限であるのでそこに境界はありません。     境界があるのは近所の庭とか公園あるいは測量により出てくる敷地です。 >4. その万物は個々バラバラにあるのでしょうか?     あるときはバラバラであり、あるときは一体となったりします。     人が死ねば土にかえります。このとき徐々にバラバラになりますが、     同時に他の万物の個々に組込まれ一体となるのです。     宇宙はこれを永遠に繰り返します。      >7. その万物の一つ一つが、仮に、消滅していくと宇宙はどうなるのでしょうか?  8. 全部なくなるとどうなんでしょうか?     人が死ねば土にかえります。このとき徐々にバラバラになりますが、     同時に他の万物の個々に組込まれ一体となるのです。     消滅はしません。     宇宙はこれを永遠に繰り返します。     宇宙が消滅することはありません。 >9. 以上の事は哲学の問題ではないのでしょうか?    以上の事について哲学が答えを出せるのであれば哲学の問題ですし、    答えが出せないのであれば哲学の問題ではありません。    このとき哲学の存在価値はなく哲学の時代は終わったのです。    

関連するQ&A

  • 万物の根源は何か

      今から約2500年前ギリシャの哲学者ターレスは問うた。 万物の根源は何かと。 ターレスは万物の根源をアルケーと呼んだ。 そしてターレスはアルケーは水であると考えた。 同じくギリシャの哲学者ヘラクレイトスもアルケーは何かと考えた。 そしてヘラクレイトスはアルケーは火であるとした。 さらに同じくギリシャの哲学者デモクリトスもアルケーは何かと考えた。 そしてデモクリトスはアルケーは原始であると結論した。 21世紀の今日、ターレスの問を再び問いたい。 万物の根源は何か。 人の道は万物の根源(これを有瑠慶と呼ぶ)は宇宙の法則以外には有り得ないと考えた。 そして有瑠慶本願に至った。 皆はどー考える。  

  • 宇宙の公理

    いま目の前に厳然として存在する宇宙について考察するとき、次の3つ公理に行き着いた。   1.宇宙は存在する   2.宇宙は無限である   3.宇宙は連続体である 宇宙は連続体である、つまり宇宙はその中のどの一部をとってもそれ自身やはり無限である。 これらは公理であり、証明を求めるべきものではないがあまりに自明である。 そしてこの深遠なる宇宙の法則と宇宙の公理について考えるとき、神や仏、天国や地獄の事などもーどーでもえーことになる。 「人の道」には自明な宇宙の公理、皆はどー思うか聞かしてくれ。  

  • 哲学の時代は終わったのか

    哲学の時代は終わったのか 真理の探究は古代ギリシャの時代から「万物の根源は何であるか」の問いに始まり、宇宙について、万物について、時間についてこれらが如何なるものであるか探究してきたが、哲学はこれらに対しいまだに何らの答えを与えていない。 「宇宙は有限か無限か」、「時間に始まりはあるか」に対する答えは計測器などを用いて観測データを収集し分析したところで決して得られるものではなく、専ら思索によって得られるものです。 つまりこれらは物理学が答えを出せる問題ではなく、哲学が答えを出すべき問題であると考えます。 なぜならこれらは真理の探究における最重要テーマであり最も哲学的なるもの、哲学以外には解決不可能なものそして哲学が答えを出さないといけないものだからです。 ちなみに物理学では宇宙が誕生した138億年前を時間ゼロとする考えを打ち出しているが、真理を探究する哲学からすればこれはあまりに軽すぎる結論であり、到底受け入れられるものではないでしょう。 もし哲学がこれらに対する扱い方を知らず、答えを導き出す方法論もなく、何らの答えが出せないのであれば、哲学に存在価値は無く、哲学の時代は既に終わったのだと考えるしかない。  

  • 宇宙が無限であることの証明

    宇宙が無限であることの証明 宇宙が無限であることを証明する。 背理法により行う。 仮に宇宙が有限であるとする。 すると適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができる。 次に、この球体の半径Rより1m大きな球体G1を考える。 G0とG1を同心としたとき、G1とG0の差分として1mの厚みを持つ球面体(G1-G0)が得られる。 球面体(G1-G0)は球体G0の外部にあるがこれも空間を構成するのでやはり宇宙の一部である。 なぜなら任意の空間は宇宙の部分であるからである。 つまり適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができるとした最初の仮定は矛盾を生む。 従って宇宙は有限では有り得ない。 宇宙は無限である。 証明終わり。 ご意見ください ----------------------------------------------------------------------  補足: 実を言うと、宇宙が有限か無限かを問うこの問題、最初は哲学の問題であろうと考え最初に哲学カテに投稿したのですが、そこでは全く期待外れの結果に終わってしまいました。 どうやら哲学カテの方は完全に宗教漬になっていて神やら仏やらの議論ばかりに終始し真理について語る場所ではないことが分かりました。 そこで同様の問題を物理カテに投稿しました。物理は科学なので少しはマシな回答を頂けるのではないかと期待したからです。 さらに同じ問題を数学カテにも投稿したわけです。数学カテであればさらにマシな回答が頂けるのではと考えたのです。    

  • 神は仏であり、仏は神である

      神と仏は同じである。 なぜなら神も仏もただ一つのものを意味するからである。 ただ一つのものとは宇宙の法則である。 即ち、神=仏=宇宙の法則なのである。 では宇宙の法則とは何か。 それは我々の周りにある森羅万象を生み出す根源である。 ギリシャの哲学者たちはそれを万物の根源、アルケーと呼んだのである。 そして彼らはアルケーが何か追い求めたのである。 そこから真理の探求が始まり、哲学が生まれたのであった。 そして21世紀になり一つの答えが与えられた。 それはアルケーは宇宙の法則であるということ、そしてアルケーとは他でもない神そのものであるということである。 「万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神を除いて如何なる神も仏も存在しない。」 これがギリシャの哲学者たちが追い求めてきたアルケーとは何かに対する最終的な答えである。     アルケー本願 アルケーの神は偉大である、 アルケーの神は万物の根源である、 アルケーの神は宇宙の法則である、 アルケーの神は唯一絶対である、 アルケーの神は全知全能である、 アルケーの神は永遠無限である、 アルケーの神は永遠不変である、 アルケーの神は永遠不滅である、 アルケーの神は信じるためのものではない、拝むためのものでもない、願うためのものでもない、 アルケーの神は感じることの出来るもの、理解することの出来るものである、 アルケーの神を除いて如何なる神も存在しない、 アルケーの神ほど偉大なものはない。  

  • 3つの宇宙観

      宇宙について考えたとき3つの宇宙観があるのではないか。 1.宇宙は無であると捉える般若心経的宇宙観は、この世の全ては無であり空であると願う東洋的虚無主義がもたらすもの。 2.宇宙は有限であると捉えるビッグバン的有限宇宙観は、創造神の存在を願う一神教的カルト思想がもたらすもの。 3.宇宙は無限であると捉える定常的無限宇宙観は、真理の探求という哲学から論理的必然としてもたらされるもの。 さてこれら3つの宇宙観の中で最も真理に近いと思われるものはいずれであろうか。    

  • 宇宙と人間は偶々生じてきたのですか?

     http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1285468867 に人間の存在と行為(思考や生理作用、並びに感覚活動や受感構成、そしてそれらのreactionを含む)と宇宙の森羅万象, 万物に関する規範的関係性について質問があります。  要するに、人間の存在と行為(思考や生理作用、並びに感覚活動や受感構成、そしてそれらのreactionを含む)も、そして宇宙の森羅万象, 万物も偶々、勝手に生じてきているのではなく、当為規範的に存在するのではないか、という質問です。  皆さんにおかれては、この辺り(あたり)のことはいかがご批判されますか?  人間の宗教や哲学は宇宙万物に基盤を持ち、宇宙万物に価値的に関与する必要を意識しなければいけませんよね。

  • 宇宙が無限であることの証明について

    宇宙が無限であることの証明について 先日このようなトピックがあがっていました。 http://okwave.jp/qa/q5935653.html?from=navi_ranking この証明に対し、私はどうしても納得することが出来ません。 この証明が正しいと思う人はなぜ正しいのか教えてください。 証明方法は2つあり、以下のようになっています。 証明その1 宇宙が無限であることを証明する。 背理法により行う。 仮に宇宙が有限であるとする。 すると適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができる。 次に、この球体の半径Rより1m大きな球体G1を考える。 G0とG1を同心としたとき、G1とG0の差分として1mの厚みを持つ球面体(G1-G0)が得られる。 球面体(G1-G0)は球体G0の外部にあるがこれも空間を構成するのでやはり宇宙の一部である。 なぜなら任意の空間は宇宙の部分であるからである。 つまり適当な大きさの半径R[m]の球体G0により宇宙全体を包み込むことができるとした最初の仮定は矛盾を生む。 従って宇宙は有限では有り得ない。 宇宙は無限である。 証明その2 ここに宇宙αが存在する。 宇宙αは有限であると仮定する(1) (1)が正しければ、境界が存在する-(2)   ※境界が存在しなければ有限である証明が出来ず、(1)は否定される-(2*) (2)が正しければ、境界には外側が存在する-(3)  ※外側が存在しなければ(3)は否定され(2*)に戻る (3)が正しいとして、2つの仮定を提示する。    1.境界の外側は宇宙αと同じ要素で構成されている-(4)    2.境界の外側は宇宙αと異なる要素で構成されている-(5) (4)が正しければ、境界の内外の差別化が困難になり    境界は意味を失って(2)は否定され、それによって(1)も否定される。 (5)が正しければ、宇宙αを内包する、宇宙αとは異なる空間が存在することになる。    仮にこれを宇宙βとする。 仮定(1)を証明することによって宇宙βが生まれたが、 仮定(1)を宇宙βに当てはめると、宇宙γが生まれることになる。 さらに宇宙γに仮定(1)を当てはめ・・・と繰り返すと、 有限の宇宙を内包する別宇宙が無限に生まれることになる。 私がこの証明が違うと思う理由 その1について ・空間は宇宙の一部というのなら宇宙全体を囲む為の空間など存在しない。 ⇔宇宙全体を包む球が定義出来なくなり、証明自体が破綻してしまうから。 ・宇宙が有限と仮定しているのにそれより大きい球を想定している。 その2について ・境界が存在しない⇔有限ではない は成り立たないから(例ボールの表面等) そもそも、宇宙の外に別に定義される空間があるかないかという議論が必要だと思いますし、 本当に正しいと思うのなら学会で発表すればいいと思うのですが… これって新手のジョークですかね?

  • ビッグバン有限宇宙は人間が望む世界なのか

      少し考えてみた。 もし万物の根源、宇宙の法則であるアルケーの神は存在せず、 あるいは宇宙は無限であると教えるアルケーの神は正しくなく、 ビッグバンのみが正しいとする。 その結果この世界は137億年前に突如として無から生まれたものであり、 また宇宙は無限ではなく、まるで器のよーに閉じた有限な世界なのであり、 この世界は人間のために創造され、人間のために存在し、神も仏も全て人間のために有り、 天国や地獄も全て人間のために神や仏が用意したものであるとする。 これが正しい世界であるとしたとき、このよーな世界は果たして人間が望む世界なのであろーかと考えてみた。 しかし、どーしてもわしにはこのよーな世界は暗黒の世界にしか映らない。 やはり宇宙は無限であると教える万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神の世界のほーが遙かにマシであると思うが、このよーに思うのはわし一人であろーか。 あ~、アルケー、  

  • 【宇宙が無限に広がっているかは三角形を描けば分かる

    【宇宙が無限に広がっているかは三角形を描けば分かる】 1. 3辺の三角形の角度の合計が180度だとどこまでも真っ直ぐに伸びる宇宙でその彼方は無限に存在するという考え 2. 3辺の三角形の角度の合計が180度以上の宇宙。地球もこれに当たる右に移動して一周するとまた同じ地点に戻る。よって宇宙の果ては何と自分がいま立っている場所というオチ。 3. 3辺の三角形の3辺の角度の合計が180度以下の場合、右に移動するとひたすら右が存在し、無限に宇宙は広がっているという答え。 で、不思議なんですが、宇宙の果てを三角形で調べると結果は3つの答えしか出ないが、どの答えも宇宙が無限に広がっているという答えがもう出ているのでは? なにをさらに調べようとしているのでしょう? 三角形で宇宙を見たら、どの答えも宇宙は無限に存在するという答えしか用意されていないのにどうやって三角形で調べて宇宙は有限で宇宙の果てが存在していたと証明出来るのでしょう? 宇宙は無限ありきの問題で答えも宇宙は無限だったという答えしかない質問に何を天文学者は調べようとしているのか教えてください。 これで宇宙は有限って証明できないですよね? この三角形調査って意味あります?