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マレー沖海戦の謎
- 昭和16年12月8日、日本の宣戦布告からわずか2日後の12月10日、マレー沖海戦が起こりました。
- この戦闘では、日本海軍第22航空戦隊が英東洋艦隊の戦艦2隻を空襲して撃沈しました。
- なぜ英戦艦には戦闘機の護衛がなかったのか、その理由は不明です。
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その事についてなら、ちょっと古い本ですが1994年に学研から出版された歴史群像太平洋戦史シリーズVoL.2「大捷マレー沖海戦」という本の中の「英東洋艦隊の出撃」という記事に載っています。 イギリス艦隊を率いて出撃したフィリップス提督は艦隊の上空援護を要請していました。 フィリップス提督は艦隊出撃前にイギリス極東軍総司令官ポッパム大将に艦隊の上空援護を要望しています。 その後、自らイギリス空軍司令部に出向いて艦隊の上空援護を要請しています。 ただ、この時は空軍の方からは明確な回答を得られず、検討し後刻回答すると言われました。 そして艦隊の出撃の時となります。 フィリップス提督は出撃直前にも連絡のために陸上に残る参謀に、空軍への援護要請の書簡を渡し、空軍司令部に送るように言い出撃していきました。 その後、空軍から援護はできないという連絡が入ります。 北部マレーの英空軍基地は日本軍の攻撃を受け部隊の掌握が不可能になりつつあるとの事でした。 フィリップス中将は夜陰にまぎれて早朝に奇襲攻撃するという作戦にすべてをかけました。 ただフィリップス中将は日本の航空機の性能を過小評価していた部分もあるようです。日本の雷撃機と急降下爆撃機の行動半径は小さく、水平爆撃機は行動半径は大きいものの命中精度の点で十分回避できると思っていた模様です。 イギリス海軍は上空援護の要請を出していましたが、イギリス空軍にそれに応える力がなかったという事でしょう。
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- river1
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#1です。 本題の不可解なのは、英戦艦に戦闘機の護衛がなかったことです。について 当時の英空軍の戦闘機保有数が艦隊護衛任務を行うだけ機数がない。 コタバル基地にしてもペナン基地及びシンガポール基地の配置合計数では、100機には遠く及ばない機数です。 英空軍の主力戦闘機は、ハリケーンで航続距離は700km前後であり滞空時間は2時間未満です。 スピットファイアにしてもハリケーンと大差がない。ほぼ同じです。 サイゴン基地のゼロ戦は、機数は20機足らずですが、航続距離3,600km、滞空時間は6時間以上です。 各基地から洋上の英艦隊までの距離を考えますとコタバル基地に配備された戦闘機のみしか当てに成りませんね。 艦隊までの往復距離をみると、艦隊上空で30分滞空が限界。 コタバルの配備機数では、長時間の艦隊護衛任務はしょせん無理です。 英空軍としては基地空襲に備えるしか手が無い。 また、米軍のマニラ基地の被害情報も伝わっているでしょうし、英空軍は各基地防衛の為に戦闘機を温存するが当時の英空軍の方針で海軍の要請は、たぶん馬耳東風だったので、戦闘機の護衛がなかった。 と私はみています。 ご参考まで
お礼
>英空軍は各基地防衛の為に戦闘機を温存するが当時の英空軍の方針で海軍の要請は、たぶん馬耳東風だったので・・ 日本の場合は、海軍の中に航空兵力を持っていたので、船を飛行機に守らせることが容易でしたが、イギリスの場合は、陸軍、海軍、空軍がそれぞれ別々の指揮命令系統だったのですね。 ありがとうございました。
- eroero1919
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太平洋戦争では航空機が大活躍したので航空機至上主義は現代でも主流になっていますが、実は第二次大戦を通じて作戦行動中(タラントや真珠湾のように港に停泊しているのではなく、大海原を航行している状態)の戦艦が航空機「のみ」によって沈められたのは、P・O・ウェールズとレパルス、他には武蔵と大和だけです。あれ、意外でしょ。武蔵と大和って、ちょっと別の話ですよね。ものすごい蟻の大群に象が倒されるようなものです。 戦艦の防御力って想像を絶するほどなんですよ。例えば急降下爆撃機は米軍でも500キロ爆弾で、日本軍だと250キロ爆弾なのですが、この爆弾じゃ基本的に戦艦に有効な打撃は与えられません。固いところに当たれば「コン」と跳ね返されて傷ひとつもつきません。だから魚雷に頼るしかないのですが、戦艦武蔵はシブヤン海海戦で20本もの魚雷を受けています。 イギリスの戦艦ウォースパイトはドイツ軍の1トン爆弾を豪快に当てられていますが、なんとそれでも沈まずになんとか帰りました。だから本当は、「戦艦は戦艦でしか止められない」のです、本当はね。ただ、特に太平洋戦線では航空機が非常に恐れられていたので日本海軍は戦艦に航空機の傘を持たせずに敵に突入させることはしなかったのです(ガダルカナルへの砲撃は全て夜間)。 その点戦艦の使い方をよく知っていたのはさすがは英国海軍で、ここが勝負と見るや果敢に戦艦を突っ込ませています。ノルウェーの戦いで、英海軍はフィヨルドに戦艦ウォースパイトを突っ込んでいます。これがどのくらい凄いのかというと、フィヨルドは狭いから図体の大きな戦艦は回頭できない。相手のドイツ軍は駆逐艦ですから、もし魚雷を撃たれると回避できない可能性があるんです。でも、そこは戦艦の砲撃力にモノをいわせてドイツ海軍をフィヨルドの奥に雪隠詰めにして、駆逐艦8隻を全滅させてしまいます。とにかく海戦におけるジョン・ブルの攻撃精神はさすが七つの海を支配したのは伊達じゃないと思わせます。 P・O・ウェールズはそんな栄光ある英海軍の最新鋭戦艦でした。実戦経験をした戦艦の中では最強ともいわれるビスマルクともやり合っています。実際問題、P・O・ウェールズとレパルスがシンガポールを出航すると、対する日本海軍の第二艦隊も北上、つまり英艦隊と「同じ」方向に動き始めています。 想定外だったのは日本海軍航空隊の練度でしょう。私は1941年当時の一式陸攻が雷撃に向う様子を撮影した写真を見たことがありますが、本当に海上すれすれに飛んでいました。双発機であれをやるだなんてクレイジーとしかいいようがありません。ダンプでドリフトするようなものです。
お礼
ありがとうございました
補足
>第二次大戦を通じて作戦行動中(タラントや真珠湾のように港に停泊しているのではなく、大海原を航行している状態)の戦艦が航空機「のみ」によって沈められたのは、P・O・ウェールズとレパルス、他には武蔵と大和だけです。あれ、意外でしょ。武蔵と大和って、ちょっと別の話ですよね。ものすごい蟻の大群に象が倒されるようなものです。 日本の戦艦で作戦行動中に航空機「のみ」によって沈められたのは武蔵と大和だけとは意外です。すると、やっぱり、「大鑑巨砲主義」は健在だったのですね。となると、戦艦大和がレイテ湾に突入しなかったのは残念でなりません。栗田提督は何を考えていたのでしょうか。
- k16399638
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6番です。 >1940年11月にはイタリアのタラント港で、イギリス空軍機がイタリアの軍艦を空襲して、撃沈あるいは大破させることに成功しました。 確かにジャジメント作戦で、英国はイタリア戦艦に空母からの攻撃で大打撃をあたえていますが、 1 港につないであった、動かない目標だった 2 奇襲になった、つまり戦闘配置になっていない、つまり、隔壁閉鎖をしていない目標だった のです。 動いていないのですから魚雷はあてやすいです。また、隔壁閉鎖していなかったら、あっと言う間に多くの区画に浸水して、どんな軍艦でも大惨事になります。 なので、作戦行動中の、航海していて、戦闘配置についている戦艦が、陸上から発進する大型機に攻撃され、大損害をだす、というのは、考えの外だったと思います。双発機が雷撃してくる、という事例がありません。また、そもそもどこから来るのか、日本海軍の航空隊の基地、索源(さくげん)がどこだかわからないのと、当時日本の航空機の後続能力は、欧州人の常識を超えたもので、自分の行動海域が、日本機の後続圏内だとは思っていなかったのです。 当時世界中で、演習とはいえ、作戦行動している戦艦を実際に模擬攻撃する、なんて訓練をしていたのは、日本海軍だけです。頭部に照明をつけた練習魚雷を実際に投下し、戦艦のデッキにたっている審判が、あたりはずれをカウントします。 戦艦の側では「のろい陸上機」と思っていたのが、突っ込んでくるときはちっとものろくない、どころか昭和12年の第一聯合航空隊の実戦演習では76機が長門、伊勢、扶桑を目標にし、艦隊も戦闘配置であったのに、 「長門 36本命中 瞬時に轟沈」 「伊勢 10本以上命中 転覆・沈没」 「扶桑 4本命中 戦闘機能喪失、漂流」 という、結果がでています。航空機もすごいですが、戦艦が航空機にもろい、ということを知っていたのも、当時は日本海軍だけでした。 それでも、偵察機が潜水艦などを誘導する可能性がありますし、日本の小型空母の所在が不明でしたから、フィリップスは一応、戦闘機の援護を要請したわけです。 あと、これは傍論なのですが、プリンス・オブ・ウェールズには英国海軍内で悪評が立っていました。 ビスマルクと戰ったデンマーク沖海戦のとき、プリンス・オブ・ウェールズはいっしょにいたフッドを撃沈され、逃げた、臆病者、というものです。この時も艦長はリーチ大佐でしたが、敵前逃亡の容疑で彼に対する軍法会議が開かれそうになったほどです。 いずれにせよ、プリンス・オブ・ウェールズに対する英国内での悪評は根拠の薄いものでしたが、下級兵士に蔓延していました。そして、また日本側と接触すらせずに帰る、ということに対して、この悪評が英国側の判断に影響をあたえた可能性は、否定できません。
お礼
>プリンス・オブ・ウェールズには英国海軍内で悪評が立っていました。ビスマルクと戰ったデンマーク沖海戦のとき、プリンス・オブ・ウェールズはいっしょにいたフッドを撃沈され、逃げた、臆病者、というものです。この時も艦長はリーチ大佐でしたが、敵前逃亡の容疑で彼に対する軍法会議が開かれそうになったほどです。 勉強になりました。ありがとうございました。
- tande
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>まさか空襲されるとは思っていなかったのでしょうか。 いえ、空襲もあり得ると思っています。 当たり前の話ですがイギリスは支那事変の情報を収集していますし、戦争無くても敵兵器の情報入手は頑張ってやるものです。 陸攻は武漢三鎮発進して重慶を爆撃したという事は知っているわけです。 武漢から重慶までの距離を爆撃できるならマレー沖でもあのくらい飛んでもおかしくないという認識は元々持っているんです。 また、欧州の海空戦を見てもらえれば分かると思われますが、空襲は怖いものという認識を当然持っています。 水上艦艇の砲撃や雷撃は怖いけど、航空機の爆撃や雷撃は怖くない 航空機で沈んだ戦艦は無いから空襲は怖くない なんてトンチキな考えを持っちゃいません。 空襲が怖いことと出撃をやるか否かは別物ということです。 ついでに言えば、日本の航空兵力以外にも敵は近海に有力な日本艦隊有りと思われており、それを承知の上で出撃しています。
お礼
ありがとうございました
補足
>欧州の海空戦を見てもらえれば分かると思われますが、空襲は怖いものという認識を当然持っています。 そうですよね。1940年11月にはイタリアのタラント港で、イギリス空軍機がイタリアの軍艦を空襲して、撃沈あるいは大破させることに成功しました。だから日本軍機による空襲を警戒していたはずですよね。 だから、なぜ、プリンスオブウェールズに護衛の戦闘機がいなかったのだろうと疑問に思ったわけです。
- Pinhole-09
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A No.4の通りで補足します。 北部マレーのコタバルに上陸した、日本軍の護衛船団を奇襲するため 12月8日夕方出航した英東洋艦隊は9日の朝、護衛の戦闘機が 出せないとの連絡があったが、かまわず10日の朝突入と決めた。 しかし午後になって日本偵察機を認め、奇襲不可能となった。 提督はシンガポールへ反転させようとしたが、中部のクアンタンに 日本軍が上陸したとの情報があり、これを攻撃す可く向かった。 空襲が予想されるにも拘わらず、なぜ帰投しなかったか。 英軍の雷撃機は単発機で行動半径200マイルだった。 仏印の日本軍基地から来るのは不可能と考えた。 日本の海空軍は双発機が雷装し、行動半径500マイルあった。 戦艦プリンスオブウエールズでも、魚雷を何発も受ければ 致命傷になるが、爆弾では致命的打撃は不能と考えていた。 事実そうであった。 それと対空兵装は万全と考えられた。 これは対空砲火を物ともしない、攻撃機の機銃掃射で雷撃防止の 機銃座が壊滅した。 この攻撃機の勇敢さを、助かった乗組員がほめています。 これは大和を撃沈するため、まず対空機銃座の壊滅を狙った 米空軍の戦法と同じです。 9日夜から10日にかけて、英艦隊を探していた攻撃機隊は 発見してほっとしました。 運もあります。
お礼
日本海軍航空隊はプリンスオブウエールズの対空砲火の銃弾をかいくぐって機銃掃射を敢行し敵艦の機銃座を壊滅させました。その結果、敵艦への雷撃が容易になりました。 敵艦の対空砲火を物ともせず戦った私たちの祖先を誇りに思うと同時に、彼らの勇気に敬意を表します。 ありがとうございました。
- k16399638
- ベストアンサー率33% (342/1035)
>まさか空襲されるとは思っていなかったのでしょうか 空襲されても沈まない、と思っていたフシは多分にあります。なぜなら、その時点で航空機のみの攻撃により外洋で作戦行動中(戦闘態勢中)に沈んだ戦艦、は存在しないからです。かつ、陸上から発進する双発機による遠距離攻撃、というものはフィリップスの想像力を超えたものでした。 逆に言えば、日本側は航空機でこの2隻を沈められなかったら、当時の第二艦隊、南遣艦隊で対抗できる軍艦がいないので、日本側にとっても状況は非常に深刻でした。 日本側は潜水艦、偵察機をくりだして2隻を補足追跡するはずでしたが、ことごとくロストし、結局攻撃隊が武装して偵察し、見つけたら無電で集合して攻撃、というところまで追い詰められます。結局、帆足少尉の索敵機が接敵し、攻撃は成功します。が、プリンス・オブ・ウェールズが沈没した直後、オーストラリアの戦闘機が現場に到着しています。 オーストラリア戦闘機到着のタイミングが早かったら、また11時間も現場にとどまった帆足少尉機がいなかったら、どうなったかわかりません。 連合艦隊司令部でも、両方撃沈できるとは思っておらず、飛行機を育てた山本五十六自身、2隻はやれない、にビール10ダース賭けて、部下におごる羽目になります。 ただ、そのとき山本は司令部のある戦艦長門の垂直装甲の厚さを部下に尋ねましたが、誰も即答できませんでした。 戦艦を航空機のみで撃沈できることを証明した日本海軍でしたが、山本の問いかけ、何か象徴的なものを感じさせられます。
お礼
マレー沖海戦で勝つか負けるかは紙一重だったのですね。ありがとうございました。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (817/3047)
インドミダブル(55機搭載)が途中で座礁事故起こして、シンガポールまでたどり着かなかったんですよ。
お礼
ありがとうございました
- isa-98
- ベストアンサー率23% (205/859)
決断ひーとーつ。つ^_^)つ マレー沖海戦 1。 最新鋭戦艦到着。 ちゃーらちゃら。 http://www.youtube.com/watch?v=ErL6Y2jodic マレー沖海戦 2。 http://www.youtube.com/watch?v=YJ_1tGsQViY&feature=related ちゃーららら。つ^_^)つ
お礼
ご回答、ありがとうございました。
- trajaa
- ベストアンサー率22% (2662/11921)
可能性が無いとは思わなかったでしょうが ・開戦当初で、日本軍航空機の航続距離などの情報が少なく襲撃の危険性は低いと考えた ・空母戦力はハワイからの帰還中の筈で艦載機の心配も少ない ・上陸部隊にとって初動の数日間が最も脆弱な状態なので、英側に多少の危険性は有っても上陸部隊とその輸送船団を叩くのが重要と判断した そして何よりも、航空機への対処は艦隊の対空兵器で充分対応可能と考えていた。 なんと言っても『大艦巨砲主義』全盛でしたから 真珠湾も重要でしたが、奇襲攻撃でない互いに全力で叩き合った際、航空戦力の援護の無ければ 如何に優秀な攻撃艦で有っても容易に撃破されかねないという教訓を得られたと言う意味で あのマレー沖会戦を考えるべきかと。 因みに、航空母艦も随伴する予定でしたが途中で事故か故障で合流が遅れた様ですね。 その合流を待ってからの攻撃だと、上陸直後のタイミングを逃すので、強行したのではないでしょうか
お礼
>そして何よりも、航空機への対処は艦隊の対空兵器で充分対応可能と考えていた。なんと言っても『大艦巨砲主義』全盛でしたから 太平洋戦争の初期は、英国海軍でもやはり大艦巨砲主義の立場の軍人が多かったのですね。 ご回答、ありがとうございました。
- river1
- ベストアンサー率46% (1254/2672)
>不可解なのは、英戦艦に戦闘機の護衛がなかったことです。 当時の英軍の戦闘機の作戦行動半径を考えたら分かるでしょう。 ハリケーンにしてもスピットファイアにしても航続距離は、ゼロ戦の1/3以下で1,000kmには遠く及ばないので油を浪費する低速の艦隊護衛任務は不可能ですよ。 セイロンに軽空母ハーミスがありますが、戦闘機搭載機数が12機では、ネギしょったカモと一緒で、日本海軍第二十二航空戦隊の餌食ですよ。 ご参考まで
お礼
>ハリケーンにしてもスピットファイアにしても航続距離は、ゼロ戦の1/3以下で1,000kmには遠く及ばないので・・ 零戦がそんなに優秀な戦闘機とは知りませんでした。ありがとうございました。
お礼
よく分かりました。海軍は空襲を予想して上空援護を要請していたけれども、空軍には要請に応えるだけの力がなかったのですね。フィリップス提督らにとっては不運でした。ありがとうございました。