キリスト教の聖書やギリシアの古典文献の文章番号の由来とは?

このQ&Aのポイント
  • キリスト教の聖書やギリシアの古典文献などの文献には、文章ごとに番号がつけられています。これは近代西欧の文献学者が作り上げた方法であり、便利な手法です。
  • この方法は、ヘブライ語、ギリシア語、英語、日本語などの言語に共通して使用されています。例えば、[ヨハネ:1:14]といった番号は「受肉」という考え方の源泉を示しています。
  • 一方、「コーデックス」という言葉は情報処理工学で使われることがありますが、史学の文脈では「コデック」という言葉も用いられます。ただし、これらの言葉は文章番号を示す意味ではありません。
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キリスト教の聖書や、ギリシアの古典文献などの文献に、文章ごとに番号がつ

キリスト教の聖書や、ギリシアの古典文献などの文献に、文章ごとに番号がついていますね。たとえば、[ヨハネ:1:14]とあれば受肉という考え方の源泉であるとか。あのような番号を振るやり方は、ヘブライ語、ギリシア語、英語、日本語に共通ですから便利ですよね。おそらく近代西欧の文献学者が作り上げた方法だと思うのですが、あれは何というのでしょうか? つい最近まで情報処理工学で使っていた「コーデックス」がそれに該当する言葉だと思って使っていました。ところが、史学で使う「コデック」も、冊子という意味だそうで、巻物から冊子に変わった頃の3世紀頃から西欧では用いられていたそうですが、「文章番号をふる」という意味ではないですね。インデックスは、固有名詞などが出てくる頁ですし。 どなたか教えてください。

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noname#122289
noname#122289
回答No.3

ギリシャの古典文献はルネサンス期の校定本のページを参照する数字とアルファベットが付くものがあります。 定訳はありませんが英語ではpagenationといいます。 例えばプラトンの著作は「国家」は327aから621dの記号が振られており、書籍の体裁が違っていても同じ箇所を参照することができます。これは16世紀の編纂者ステパヌスによる「プラトン全集」でのページ番号とほぼ10行ごとにつけられたアルファベットで、その後に出版された校定本や翻訳なども踏襲しています。日本語訳とOxford Classical Textsを並べて参照したいときなども便利です。例えば「国家」第7巻冒頭には514aという番号が振られています。 http://plato-dialogues.org/stephanus.htm 3枚目の写真は「国家」7巻冒頭ですが、このページ数の514と、二つの組版(左がギリシャ語、右がラテン語訳)の間にA,B,Cと振られていますよね。これが番号の正体です。 複数ある手書きのcodexを整理して一つにまとめ組版して量産する過程で初めて用いられたものです。羊皮紙写本の時代にはなかった発想です。 言ってみればモーツァルトの楽曲に付いているケッヘル番号みたいなものです。 プラトンは以上の通りですが、ギリシャの古典文献でも叙事詩は巻と行番号、演劇は行番号というようにジャンルによる違いもあります。

mogmog_201
質問者

補足

nakanonanako様の言うとおりpaginationでしょうね~。ただし、内容には三通りあって、一つは□□版の何頁という表記する文字通りの「ページネーション方式」、章句の番号をつける「章句方式」、そしてある段落の最初の数語をそのままつかう「インキピット方式」でしょうね~。 根拠は、井筒俊彦訳(1964)『コーラン』岩波書店。の3頁には「・・・例えば「第何章第何節」などと言っても、どのヵ所を指すのか明瞭でない場合が非常に多い。・・・学界の慣行のとおり・・・ブリーゲル版の番号付けに依ることになっている」とありますから、章・節の番号と頁の「番号付け」とは、明瞭に分かれているのでしょう。イブン=ハルドゥーン(2001)『歴史序説』森本広誠訳、岩波書店。の8頁には・・・たとえば(2:43)は、コーランの章と節を示す」となっていますが、そのような番号付けの行為それ自体をどう呼ぶのかは書いていません。 ブルクハルト(1998)『ギリシア文化史』荒井靖一訳、筑摩書房。のギリシア語原典の引用の仕方は、「章句表記法」ですね。 ヘロドトス(1972)『歴史』松平千秋訳、岩波書店。の番号それ自体を何と呼ぶのか書いていません。 しょうがないので、今日学校に行くので書庫でオックスフォードの古典叢書にどうかいてあるのか、調べてみます。

その他の回答 (2)

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8861)
回答No.2

章節です ・あのような番号を振るやり方は、ヘブライ語、ギリシア語、英語、日本語に共通ですから便利ですよね。 同じ聖書でも、約編者により、若干の 差異は、ありますよ。 × → 。おそらく近代西欧の文献学者が作り上げた方法だと思うの  章や節が付けられたのは、1206年に、パリで写経僧として活躍していたステファン・ランクトン(のちのカンタベリー大主教)が、写本の仕上がり検査のために、段落分けして旧約聖書のウルガータ(ラテン語訳)聖書に付けたのが、最初だと言われます。  新約聖書は1551年パリのロベール・エティエンヌという印刷屋が、宗教改革者カルヴァンが印刷を依頼したフランス語訳聖書で、章節が、つけられました。  元来は、写本校正印刷の便宜のために導入された章節ですが、現在では読解の導きとなっています。

mogmog_201
質問者

お礼

オックスフォードの古典叢書を調べましたが、こうしたやり方、つまり広義の意味でのページネーションについての包括的な呼称はわかりませんでした。結局、「識別子」ということにしました。 どうもありがとう御座います。 またよろしくお願いいたします。

mogmog_201
質問者

補足

kusirosi様の二つの情報、すなわちステファン・ランクトンとロベール・エティエンヌの件は、とても貴重な情報です。ありがとう御座います。 ただし、わたしが求めているのはこうしたやり方全体が、情報処理工学で使っているような「コデック」というような呼び方なんです。まさか人文科学でそんな呼び方はしていないでしょうから。 「章句方式」が出現する前は、いわゆる「インクピット方式」ですよね。中国でもそうでした。 ヘブライ語やギリシア語の聖書なんかの章句ごとに番号をつけているのを「番号付け方式」と仮に名付けると、この三つのやり方全体をおそらくはページネーション方式とでも呼ぶのでしょうか。 オックスフォードの古典叢書で確認してから御報告いたします。 どうもありがとう御座いました。

  • yoshua7
  • ベストアンサー率32% (63/192)
回答No.1

こんにちは。 「チャプター」だと思うのですが・・・・。

mogmog_201
質問者

補足

yoshua7様の「チャプター」という言葉も、エティモロジカルにたどると、わたくしの求めている名称に近くなるかも知れません。 あとお二人の方のご示唆もありましたので、オックスフォードの古典叢書では、どのように表現されているのか、見てきます。 どうもありがとう御座いました。

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