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「30年で人間の一生」の意味

「30年で人間の一生」の意味 別の質問のサイトで、下記のような 質問をしました。 「1年は365日ですが、 約十年で、3650日ぐらいになりますが、 もし、仮に成功する確率が一万分の一ならば、 約30年ぐらい要ります。このレベルの問題 になれば、人間の一生でできることが 限られています。このレベルの問題処理を どのように工夫して解決する手立てはありますか?」 すると、回答に下記のような返事が来ました。 「「30年を人間の一生」だという考え方を 変えて生きれば成功すると思います。 50歳でも60歳でも成功する人がいますから。」 この「30年を人間の一生」という意味が 分かりません。50歳、60歳で成功して死ぬ ということですか?意味がさっぱり分かりません。 レベルの低い生徒だと思って教えて頂けますか?

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30年で一生の礎を作る。 と考えたらよろしいのではないでしょうか。 成功、失敗は、人それぞれですし、実際、30歳までで人生の全てを経験できる人も少ないでしょう。 研究をされている方など、それこそ70過ぎてもされてますし。 私の趣味の自転車でも、60過ぎの方が20代以上の走りをされています。

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質問者からのお礼

「30年で一生の礎を作る。」 いい言葉ですね。 ご回答有難う。

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その他の回答 (1)

  • 回答No.1
noname#210617

質問で言っている事は、30年というスパンでの活動は人間の一生(70年前後)で1-2回くらいしかできない、ということですよね。 "30年を人間の一生"というのは、言葉通りに捉らえるとおかしな表現ですが、質問の内容と照らし合わせて見ると、1回だけじゃなく、2回目も、ひょっとすると3回目もある、ということだと思います。 成人してから30年って言われると、俺の人生既に終わってる… "50歳でも"なんて言うなよ…

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質問者からのお礼

大変、参考になりました。どうも、有難う。

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