- ベストアンサー
戦争から帰ってきた侍(兵士)の取り扱いは普段通りだったのか?
- 戦国時代なら侍、一揆とかなら百姓、近代の世界大戦なら兵士が戦争から帰ってきた場合、彼らの取り扱いは果たして普段通りだったのでしょうか?海外の民族では、戦争で人を殺したり血を流したりした人は清めの儀式や隔離など非日常的な待遇を受けることがあったが、日本ではどうだったのか疑問が浮かびます。
- 戦前や戦後の戦士の取り扱いについて時代劇や時代小説から得られる情報と、実際のところは異なる可能性があります。血まみれで帰ってきた戦士が普段通りの生活を送ることができたのか、何か特別な清めの儀式や慣習があったのかについて調査が必要です。
- 戦争から帰ってきた侍や兵士の取り扱いについて、海外の民族では清めの儀式や隔離などの非日常的な待遇を受けることがあったが、日本ではどうだったのか疑問が残ります。時代劇や時代小説から得られる情報と実際のところが異なる可能性があり、具体的な取り扱いについて調査が必要です。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (1)
- kurisogeno
- ベストアンサー率31% (558/1748)
関連するQ&A
- 戦争から帰ってきた侍(兵士)
戦争から帰ってきた人(戦国時代なら侍、一揆とかなら百姓、近代の世界大戦なら兵士)の取り扱いって、果たして普段通りだったのでしょうか? 海外のいろいろな民族について聞くところによると、戦争で人をころしたり血をながしたりした人は清めの儀式やら隔離やら、非日常的な待遇を数日から数ヶ月とられていたようです。食事等の制限もかかったりと。帰ってきてからのみならず出発前も制限がかかったりと。 日本では、時代劇を見る限り、またはとある時代小説を読んだかぎり、戦争前後の戦士の取り扱いは普通っぽいですが、実際はどうだったのでしょう? 血まみれでかえってきた家の人は、どばっと五右衛門風呂にでも入って血を落としてあとは多少殺した相手の血の匂いが体に残っていても普段通り周りの人と日常生活を送れたのでしょうか。 よろしくおねがい致します。
- ベストアンサー
- 歴史
- 清めの塩を忘れて家に入ってしまった。
仏式の通夜に参列し、家に帰るときに「清めの塩」を撒かずに、部屋まで入ってしまいました。 気づいてすぐに、玄関の外に出て清めの塩をしてまた家に入りました。 そこで質問なのですが、 1.清めの塩を忘れて家に入ると何か悪いことが起こるのでしょうか? 2.もし、清めの塩を忘れが災いを招くとしたら、私のような状況の場合、これから何をすればいいのでしょうか? 3.亡くなったのは尊敬する元上司であり、(霊が存在するとして)その人が霊になって家に来ても災いになるようなことは無いと思うのですが、それでも清めの塩って必要ですか? 4.清めの塩はもともと神道の習慣だったと思うのですが、やはり仏式でも必要なのでしょうか? どれかひとつでも、ご回答いただけるとありがたいです。
- ベストアンサー
- マナー・冠婚葬祭
- 旧日本軍の兵士は、いつ頃から丸刈りするようになったのでしょうか?
旧日本軍の兵士は、いつ頃から丸刈りするようになったのでしょうか? 太平洋戦争当時の将官や兵士の写真を見ると、陸海軍を問わず全て頭髪を丸刈りにしています。 ところが、もっと昔の日露戦争時代の、たとえば大山厳や東郷平八郎、それに乃木希典などの写真をみると、頭髪は普通の短髪です。 無論、短めにはしていますが、少なくとも丸刈りではありません。 日本兵が丸刈りにするようになったのは、いつの頃なのか、また陸軍と海軍で違いはあったのでしょうか? 海軍の兵士は (戦争前) 軍艦で世界中を訪問する機会が多いため、西洋人に奇異に見られないように、丸刈りではなく、普通の短髪にしていたという話を聞いた事があるのですが、本当でしょうか? あと、すみません、太平洋戦争時代の一般男性 (教師とかサラリーマンとか) も丸刈りにしていた人が多かったと思うのですが、それでも短髪にしていた人はいたのでしょうか? もしかして丸刈りにしないと、非国民とか言われて批判されていたのでしょうか? ちょっと疑問に感じたので質問してみました。
- ベストアンサー
- 歴史
- 戦国時代の兵士たちや武将について
戦国時代には、たくさん武将やらその武将に仕える兵士さん達がいたと思いますが、その人達は普段どこに住んでいたのでしょうか? 戦がない時には自分の家で、今でいう自主練のようなものをしていたのですか?それとも、仕えるお殿様のお城の中に住む部屋(自分の部屋)があって、そこで暮らしてやっぱり自主練などをしていたのでしょうか? 後者であれば、やはりそれなりに偉い人は一人部屋で、兵士達は数人の人たちと同室とかだったのでしょうか? 知りたいので、教えて欲しいです。
- ベストアンサー
- 歴史
- ヨーロッパでは戦争に負けると人民は奴隷になった?
ヨーロッパ史は恥ずかしながら勉強不足で全く存じ上げません。 ある人からつぎのような話を聞きました。 ヨーロッパでは戦争に負けると人民は奴隷になった。 市街地にまで城壁がめぐらされているのはそのためである。 日本の戦国時代は戦争に負けると城主は殺されても、下級の兵士や百姓が奴隷にされることはなかった。 白人が黒人を奴隷にしたという話はよく聞きますが、これ以外で 戦争に負けたために人民が奴隷にされたという事例を具体的に教えてください。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- トイレや井戸の穴埋葬は・・・
このカテゴリーかわかりませんが・・・ トイレや井戸を「埋める」という行為について、 よく、昔からの迷信?というか、気にする、お年寄りの人がいますが、 このあまり、「よくない事」みたいに言われる根拠って、 何か、昔にあったのでしょうか? 科学的というか、物理的というか、地形学的というか、 理由づけ可能な事があるのでしょうか? (例) 清め塩:昔、土葬で腐敗していく様子が嫌われ、 「塩」は腐敗を防ぐ効果が多少はあるから、 そこからの慣習化と聞きました。
- ベストアンサー
- その他(カルチャー)
- 旧日本軍兵士が解放されるひと時
旧日本軍兵士が解放されるひと時 私の住所は田舎町で、戊辰戦争で幕府軍についた小藩なので、不平士族が治安を乱さないように廃業しサムライに収入を与える目的で、明治期初頭から新政府の編成する旧日本軍の駐屯地が設置されて、その公費が町の経営を賄っていた。 戦前の軍事拠点の一つで、農業と並ぶ地域の戦前の産業だった。 旧藩士などを束ねて不平士族化しないように軍人として雇用していたんだよ。 私は今は、その旧日本軍駐屯地後に居住しているんだよね。 18年前まで、町に残った最後の旧日本軍の施設がいまだに残っていて、玄関の目の前でもあり、朝目が覚めて、私が朝日を浴びるのその窓から朝日の下に旧日本軍の廃墟があった。 日本ではむやみに過去の戦争の話を、いかに人生で強い印象があるからといっても、むやみに語るのは社交場であまりよろしくないと言われる。 しかし私の町は軍と密接にかかわっていたから、そういうタブーが乏しかったんだよ。 子供時代に年寄りの話題といえば、戦争時代とその後始末の話が多かった。 自宅の目の前に、旧日本軍の廃墟があったから、そこから出征して生き残った年よりも多く訪れていた。 現在そうした人の消息を、今の世代が世間話すると、私が聞いた限りでは、最後に音信があったのは10年ほど前だとさ。 駐屯地跡からバスで20分くらいのところに、こじんまりした閑静な温泉街があって、旧日本軍の人たちは同志会のようなのを作って、年に一回温泉に宿泊したが、最後の一人だけが生きるだけになって、会合が開かれなくなったのが10年ほど前だとさ。 温泉宿に戦友とともに集まる老人たちは、目つきが鋭く身のこなしや風体が、通常の老人と異なり近寄りがたい雰囲気があったそうだ。 まあ、人を殺したり殺されかけたりしたからね。 しかしヤクザ者と違うんだよ。 例えば、私のひいおじいちゃんは、戊辰戦争に参加した本物のサムライだったそうだ。 私が生まれる前に亡くなったけどね。 私が小さい時に甘えた、その息子のおじいちゃんの方も、侍から息子として育てられたから、厳しい人だった。 一言で言うと、何よりも自分自身に厳しい、したがって同じ厳しさを道徳として、他者にも要求する。 そういう人だった。 同じような老人は、私の身直に多かった。 したがって、旧日本軍に従軍した元兵士も同じ気質だと推定できる。 したがって、目つきが鋭いとか、雰囲気が何となく怖くなるんだろう。 旧日本軍の地元の同志会の会合とでもいう、年に一回の温泉宿での宿泊で、旅館の人は、おっかない目つきと毅然とした身のこなしに当初畏怖を憶えるそうだ。 しかし、宴が佳境に入り、老人たちがリラックスすると、全員が崩れ落ちるように手をついて号泣を始めるそうだ。 怖い雰囲気だった老人たちが大声で泣くんだよ。 「俺たちはひどいことをした!」「俺たちは取り返しのつかないことをした!」大体はそんなことを、思いっきり泣きわめくんだ。 旅館の人たちは、その姿にささやいて教えてくれた。 普段は自分に厳しい彼らは、年に一回だけ、自分の気持ちがわかってくれる仲間たちの前でだけ、そうして自分の心を見せるのだろうと。 なんていうかね。 今も戦争が起きている。 その当事者というのは、その当事者というのは勝っても負けても本人の心には傷跡が残る。 そういう事なんだろうね。 例えばウクライナと起きている戦争でも、ロシア人もすでに心が傷ついていると考えたほうがいいだろう。 さてこの質問は変人のたまり場である哲学カテゴリーに投稿しています。 哲学というのは既存の命題に取り組むほかに、腕試しで自分で命題を作ってみるという研究手法がありまして、後者に該当させるために、奇人変人にえさを放り投げるという体裁をとっています。 読書感想文的でも構いませんから、何か土産話を持ち寄って、何らかの哲学的命題に発展させようとする質問です。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 昔の貧乏な足軽が戦場で身に着けていた装備
いい身分の人がオーダーメイドの鎧兜や職人が丁寧に作った長槍や弓などいい装備をしていることは分かります 貧乏でも何度も戦争に参加してるベテラン兵士は殺した敵の遺品の装備を奪ってこれも豪華な状態なんでしょう では戦争初参加の貧乏侍や貧しい出身の足軽は? 兜は家の鍋で盾はまな板に取っ手をつけて武器はタケヤリや木の丸太棒の先をとがらせたようなのですか? どんな感じの装備だったのかリアルを教えてください
- ベストアンサー
- 歴史
- 《戦争体験》率直な思い出をお聞かせください
戦争体験のある方、または直接はなしを聞かれた方への質問です。 戦時中、どのようなお気持ち・雰囲気で過ごされていたのでしょうか? 当時にご自身(あるいは話者)が肌で感じ取られた思い出をお聞きしたいです。 最近、松谷みよ子氏の現代民話集を読んでいて、ふと気づいたことがありました。 戦争体験を語る人のほとんどは、淡々とした雰囲気で当時を語っているということです。 もちろんそのなかには悲しみや憤りも描かれているのですが、 話者の態度は自分が思い込んでいたよりもかなり冷静だと感じました。 戦後のかなりあとに生まれた自分は、 テレビのドラマやドキュメンタリー番組、あるいは手記などの影響で 戦争時代をかなりフィクション化しすぎているんじゃないか?と、思った次第です。 じつは自分の父親も幼少時に戦争を経験した世代です。 都市部に暮らしていたので、防空壕に逃げ込む日々を送り、家は空襲で焼かれ、 顔見知りの人々が亡くなるところも見たそうですが、 いちばん目に焼きついた当時の光景はといえば 「空を飛ぶ爆撃機(B29?)がキラキラしていてキレイだった」とのこと。 もっとドラマで描かれるような劇的な思い出話を予想していたのですが、 何度聞いても、その言葉は淡々としたものです。 本当に戦争を経験した人にとっての戦争体験は 「いつのまにか、そうなっていた」という程度だったのでは?と感じさせられました。 実際のところ、戦時下の日常風景はどうだったのでしょう? さしつかえのない範囲で、脚色のないお話をぜひお聞かせ願いたいです。 気長にお返事を待ちます。 ※※ この疑問を抱いた動機のなかには 「9条改憲」の話が当たり前のように新聞に載る昨今の状況が ちょっと不安だなぁ、と思っていることにもあったりします。
- ベストアンサー
- 歴史
- パソコン上でBrother 製品をインストールする画面でDCP-J981Nの製品を選択できない問題が発生しています。Wi-Fiを繋ぎ直したり、パソコンやコピー機本体を再起動させても解決しません。
- 現在の環境はWindows10であり、無線LANで接続されています。電話回線の種類はひかり回線です。
- お困りの状況はBrother 製品のインストール画面でDCP-J981Nの製品が選択できないことです。解決策をお知らせください。
お礼
お礼が遅れました。ありがとうございました。