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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:戦争から帰ってきた侍(兵士))

戦争から帰ってきた侍(兵士)の取り扱いは普段通りだったのか?

kurisogenoの回答

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  • kurisogeno
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回答No.2

補足に対する、回答したいと思います。 村民の殆どは、戦に行った人を暖かく迎える人と言う事は 余り無く、村の全体で生還者を厄介者として迎える事が多かったそうです。 村の殆どは、戦=悩みの元と言う思考が殆どで、戦場に近い村民ほど 戦の後遺症と呼べる敗残兵に悩まされていたようです。 戦から帰ってきた者を一度、神社やお寺に集めて身元確認をして、 夕餉を開き村長や長者様達と話しをして、村民を確認します。 村民以外のモノは役人に引き渡して、報奨金か年貢の軽減の恩赦のどちらかを 選択します。 もしも、村民で無い者を匿った事が知れると、村自体が焼かれるという処罰も あったそうなので、村としては確認作業は村を守るというよりは、自分の命を守る 作業と言う方が正しいかもしれません。 戦の後遺症となる問題はまだまだ沢山あり、その解決は政府や領土を管轄する 役人に賄賂などを納めなければ、解決はしてくれませんでした。 色々と戦には村民を苦しめる後遺症となる事案が多く、その解決には人手も足りないし、 金子の用立ても出来ませんし、戦が起こる度に村民が苦しむという歴史の教えは この辺からだと思えます。 因みに、兵士の徴収は3つあり、村民や町民に告知して参加者を募る場合と、 強制的に徴収される場合と褒章の受託にて徴収される場合があります。 募集の場合には、仕えていた場所を失った野武士や、力や剣技に覚えがある 人が多く居たとされており、強制は文字の如く村人や罪人を強制的に参加させていましたが、 村民の参加の殆どは、褒章の受託による一種の人身売買での参加が多かったそうです。 つまり、褒章の受託と言うのは、村民一人につき米一表と引き換えに年貢の年貢の軽減や、 金との引き換えなど色々とありましたが、生きて帰ってくるという保障は無く、 もしも 生きて帰ってきた場合には半分は返すという約束を強いていた事があり、 その約束事にて、生存者の帰還には家族といえど歓迎してもらえないと言う事情がありました。 徴収をされた村民の殆どは、この事を知って戦に参加しますが稀に家族が内緒にして参加させるという 事案もあったそうで、生存して帰ってきた家族を、その夜に殺してしまうという事もあったそうです。 村民が戦場で、手柄を挙げるコトは稀で、敵武将の首を持ち帰って来ても、 参加側の大名や野武士などにころされて、手柄を横取りされると言う事は多々あったそうですし、 ドラマや時代劇などで村民が手柄を立てて、生存して帰ってきたとしても歓迎されるコトは 余り無いとされています。 多分、自分が聞いているコトと貴方がお知りになりたい事にズレがあると思えますが、 何等かの手助けになれば良いと思います。

gagagrgf
質問者

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