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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:新撰万葉集 巻之上 第37歌に関して)

新撰万葉集巻之上第37歌と慕景集第28歌の関係について

SPS700の回答

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15296/33015)
回答No.1

Q1。「こんな時」すなわち「今」 Q2。「こんな時」は二度とないと思うから、ですから Q3。ここが研究者の腕の見せ所 Q4。本歌取りの定義は下記に三つ出ています。  http://dic.yahoo.co.jp/search?stype=0&ei=UTF-8&dtype=2&p=%E6%9C%AC%E6%AD%8C%E5%8F%96%E3%82%8A  それを合わせると (1)本歌が、よく知られた古典であること。 (2)第1句か、第2句が使われていること。 (3)語句や、趣向が似ていること。  したがって、条件の(2)(第一句の「かかるとき」が同じである)は満たしていると思います。(3)は語句は似ていますが趣向が似ているかは疑問です。第一条件ですが、『慕景集』(下記)は太田道灌(1432-1486)の作ですから「古典」ですかね?こういった理由で本歌取りではないような気がします。  http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-ymst/yamatouta/sennin/doukan.html

sono-higurashi
質問者

お礼

小野寛著「新選万葉集抄」(笠間書院)は手にしてみました。この書は『「新撰万葉集」の「抄」』ではなく、『小野氏が新たに選んだ「万葉集」の「抄」』であることが判りました。よって、この書籍に「新撰万葉集」からの採録はなく、今回の質問に直結した手掛かりは得られませんでした。とんだ笑い話です。 後日談としてご報告まで。

sono-higurashi
質問者

補足

拝見しました。お礼を兼ねて疑問を記しておきます。 疑問1  >> Q1。「こんな時」すなわち「今」 >>Q2。「こんな時」は二度とないと思うから、ですから これで正しいのかもしれませんが、少々面食らいました。 道灌作とされる歌の場合、「かかるとき」=「今」と答える人は少なくて、見識の違いにより、「かかるとき」=「道灌自身が賊に襲われ臨終のとき」、あるいは、「かかるとき」=「中村冶部少輔重頼が敵の武将を討ち取ったとき」とか答える人が多いのではないでしょうか。これに準じた回答を期待していました。 研究者といえどもこの歌の字面以外の情報は一切掴んでいないのだという意味ででもあったでしょうか。 (参考1)  http://たけし.jp/jyozan/jyozan014.html  疑問2 >>本歌取りではないような気がします。<< 分かりました。しかし、依然として本歌取りの条件を備えている可能性も残ります。 (1) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%92%B0%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86 によると道灌にとっても慕景集の作者にとっても室町末期の歌に明るい人達にとっても、新撰万葉集は「よく知られた古典であった」かもしれない。 (2) 「かかるとき」が採用されている。 (3) 趣向や歌想が似ているか否かは、Q1、Q2に答えられないと判断できない。 (参考2) 『慕景集』の作者についてですが、新編国歌大観には「江戸後期以後、道灌の作ではないことが定説になっている」、「作者は今も明確にされていない」などの記事があります。この説を承知の上でのご発言かもしれませんが。 なお、その後、小野寛著「新選万葉集抄」(笠間書院)の存在を知りました。疑問が解けるか否か手に取ってみようと思っています。 

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