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宇宙の時間についての驚きの真実とは?
pugera542の回答
高度な科学は哲学と似たようなものですね。 きちんと科学を学んでから哲学に、 哲学を極めたら、自分で宗教を作るのもよいでしょう(笑) 未来が無限かどうかについて、こんな思考実験をしたことがあります。 仮定1.時間軸は未来に向かって無限である。 仮定2.高度な文明は僕らが考えるようなタイムマシンを作れる。 仮定1が成り立つとすれば、どんなに低確率であっても、 宇宙のいたるところで、人間のような生物が、人間のような文明を起こし、 さらにそれよりもすぐれた文明を完成させるでしょう。 どんな小さな確率であっても無限回試行すれば、無限回成り立つはずです。 なぜなら時間は無限なのだから。 次に仮定2を考えてみましょう。 ここで言う僕らが考えるようなタイムマシンとは、 過去の時間軸に物質を送れるようなモノだとします。 すると仮定2が正しいとするとどうなるか? 無限の未来においては、無限回の高度な文明が誕生し、 無限個のタイムマシンが作られるとなります。 無限個のタイムマシンは無限回のタイムスリップを行いますので、 無限の過去に向かって無限の世界の広さを たちまち埋め尽くすのではないでしょうか? 今この世界が、無限の未来の物質によって埋め尽くされてしまいます。 「今」は今この時しかありませんが、 「無限」は比較にならないほど多いですから。 仮にビッグバン宇宙論のように始点があるとすればなおさらです。 しかし、今現在未来人の一人もこの世で見ることができません。 ということは、 仮定1が間違っているのか、 仮定2が間違っているのか、 少なくともどちらかであります。どちらも間違ってる可能性もあります。 ということは「未来は有限」なのか 「(僕らの考えるような)タイムマシンは完成しない」 のか、どちらかということですね。 未来が有限かどうかの決定的な話にはなりませんけども、 ちょっとした思考実験で、二択にまで絞れました。 どちらにせよ残念な話ですね。 こうしたことを考え続けてたら、 いずれ答えは出るような気がします。
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