• 締切済み

「人生ってくだらない」と思ったことはありませんか?

kyoutoukyoの回答

回答No.3

くだらないと思ったことは一度もありません で、質問の回答ですが 自由度が高ければ主体性も高くなる 自由度が低ければ主体性も低くなる 主体性を高くしたいか低くしたいのか……という、 主体的に考える自由があるのであれば、そこで行動が決定できると思います 貴方の言う遺伝子の力に対抗することも自由ですし、仲良く手をつなぐ人生にすることも自由です 主体的に考える自由がない場合は、 不自由であることを嘆くのみのくだらない人生とするか、主体性をあげなきゃなりませんね 主体性を上げるには、最初に申し上げた通りに自由度を高くすることです 自由度を高くするには?  ということで答えは「周囲から自由を認められる」と行き着くかなと思います=成功者への道。

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質問者

お礼

回答ありがとうございます。 kyoutoukyoさんの回答を見て、私が質問の中で主体性という言葉を使ったことが、そもそも間違っていたことに気づきました。 確かに「主体性がある」とは、周囲から自由を認められ、自分の意思で行動することのできる状態を指しますね。 >>貴方の言う遺伝子の力に対抗することも自由ですし、仲良く手をつなぐ人生にすることも自由です 私はこの部分が真実かどうかを問いたかったのです。他者との関係は直接的には関係ありません。 私の語彙力が弱さのため、失礼いたしました。これから質問を訂正させていただきます。

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