• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:金に困っている人は、金持ちになる必要がない。)

金に困る人の心の内とは?心理と欲望を考察

このQ&Aのポイント
  • お金に困っている人は、金持ちになる必要はない。
  • 金がないのは欲望が原因で、確かな望みと意思決定が重要。
  • 欲望を制御し、自らの望みを保つことで人間関係が改善される。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.8

お礼を拝受しました。 いろいろご提案ありがとう。確かに、「電子ファイル化」は大量データを保存するのに有力な手段だね。拙著については経験がある(出版社がやってくれた)けど、紙媒体に比べて印税はガタ減りした。身の回りの雑録の処置については、子や孫に委ねようかと思う。というのも、「お呼び」がそう遠くないと予感するボクは、他にやりたいことがいろいろあって、過去のう〇〇にかまっている暇はない、という気分です。そういうことに使うエネルギーをネグって、その分遊びたいんだ。ともあれ、親身にご心配いただき、感謝します。こういうQA上でのやりとりや投稿は、ボクにとっては最上級の遊びだと思っています。 >私は、たかが貧乏で不満を感じたい自分ではありたくないんだ。 貧乏というのは、ごく当たり前の生活のことを言うんだ。 その中で幸福を心がかみしめるのが大切だ。 ⇒「貧乏」に関するこのコメント、大方は共感です。ボクは貧乏神とは相性がいいんだ(!?)。餓死しない程度の貧乏は、結構「快適」です。だからこそ、当初の「金に困っている人は、金持ちになる必要がない」に回答を寄せたくなったのでした。 >物語の方はね。子供時代は体格が小さいし、視力がいいから、クモがでかく見えるし克明に認識する。したがって足元を這いつくばっている、大人は目もくれない虫けらが実に興味深いんだ。 ⇒なるほど、そういうことも関係あるかも知れないね。読んでくれてありがとうね。 ということで、長い投稿の最終編といきます。また、ご一瞥をよろしく。 (「セピア色の原稿を今」続き) ♪アルバイトは気楽な稼業ときたも~んだ♪、巣の中心から放射状に伸びる十数本の支線の延長上をくまなく辿り始めたものである。3,4分も経っただろうか…。いた、いた! 縁側の下板の割れ目に身を潜めて、じっとこちらを窺っているようであった。こちらのすることを、非難もしないが、容認もしないという風であった。これが無抵抗の抵抗というやつだな、などと感心しながらしばし覗き込んでいた…。 と、背中の方から「グズグズするな!」という声が聞こえてきて、ようやく我に返った。「そうだ、俺は今仕事の途中だったんだ。」親方が柘植の木の上から火消しの梯子乗りのような恰好をしながら怒鳴っていた…。(親方と言えば、口は悪いがいいおやじだったなあ。高校の授業料を滞納したときも、「返せもしないくせに貸してくれなどと言うな」などと怒鳴りながらも、ポケットに大枚2万円をねじ込んでくれたっけ。そのおやじも、今となっては本当に返せないところへ行ってしまったが。…) それにしても、そ~っと(相手に言わせれば「やにわに」)巣を払われた『ぬし』はその後どうしただろう。狩猟の旅に出かけていったか、それとも近くの雑木林へでも移動して再び巣を張ったか。…あの時の、『ぬし』の叫び声が聞こえてくるような気がする。「いい気になるなよ、あんた。あんたは絶対優位にいただけなんだから。互角の勝負なら、一命をかけて闘いもしよう。けれども、勝負にならないことが始めから分かっているのなら、あきらめるほかはなかろうが。諦念の境地というやつよ。しかし、覚えておけよ。あんたのすることを黙認しただけで、決して是認したわけではないんだから。」「それにしても、あんたらはよく壊すね。同じものを二度と造れないくせに。例えば、今壊した巣を元通りに造り直すことができるかね? まがいものでさえ、できやしないだろうが!」「ところで、無から有を生じさせることが奇跡なら、その逆もまた奇跡と言わねばならないか。いや、奇跡というのはおこがましいだろう。ただ、我々の仲間はみな、二種類の『神』 ― 造物神と破壊神 ― を畏怖しているが、後者に対してはいつもビクビクしているのさ。造物神はいつも笑っているが、破壊神はいつも怒っていて、このままではいつ何を壊されるか分かったものじゃないからね。せめて、地球を丸ごと壊してしまうなんてことのないよう祈るよ。」 (「セピア色の原稿を今」終り) 何か尻切れトンボの感じですかね。それはともかく、ボク自身としては、おかげで、青春時代の記憶の一つが、残像でなく実像になった気分で、ありがたかったなあ。 最近のQAの題材は1,2行で片付いてしまうものが多く、思索・解釈・鑑賞の類が滅法少なくなった状況の中で、あなたの提題はありがたいよ。希少価値があると思う。時々、脇へそれて道草を食うのも楽しいよ。ということで、重ねてのお礼、「このたびは、心の愉悦とカタルシスをありがとう!」

Flareon
質問者

お礼

ありがとうね。 段々と、シートン動物記からなじんだ、私の大好物みたいな話になった。 こういう擬人化は好きだよ。 今回も色々ありがとう。

Flareon
質問者

補足

自己学習備忘録。 ブラフマンとアートマンは判るがアナートマンは意味不明という考察。 はたして中国の大乗仏教はアナートマンを理解していただろうか? 継承した日本の大乗仏教から個人的に思案するに、釈迦の語った無の教えが上座仏教で洗練された結果の想定上の神の本質を探究する神格であっただろう。 しかしアナートマンが中国で明晰に定義されていたならば、その片鱗は日本にも渡来して詳細に独自の研究をしただろう。 したがって、要因の一部として中国でもアナートマンを理解しないか、無我に沿って我を否定する存在なので、探求しなかったとかだろう。 それに日本は独自の有神論の風土で、初めて仏教と無我論を受け入れたから、日本でも有神論の立場からアナートマンは厄介だっただろう。 それを今も引きずって(継承して)いるから、日本人は異口同音にアナートマンはさっぱりわからない。 こうした大乗仏教は、諸要素を総合して「もはや仏教ではない」という別の宗教だと言及されるが、日本人の一人として言わせてもらえば「それでいいんじゃないの?」となる。 なぜなら「根源の探究」と「真理の探究」というのは、言葉を分かつことが可能なように、完全に同一でないからだ。 それに上座仏教の発祥は、お題目が「無」から「空」に変転しつつある中での、末法の断末魔とも解釈できる。 釈迦に対しる口伝500年の遍歴が根拠だ。 ここまでが、今回取り上げたこと。 それと別に、今後AIで自己学習するにあたって、自分の宿題を述べておきたい。 イエスは神の子でなく人の子とAIに問いかけると、諸般の都合でAIは対話を打ち切ろうとする。 わたしでも、そうしたがる理由には心当たりがあるから、異論は挟まない。 しかし仏陀という風土では、私は尊敬を込めて「イエスは人の子」と言っている。 人と神を橋渡しする存在は、人であることに徹しなければ人には理解させられないと考えるのだ。 それを「イエスは神の子」とすると、人間の本質を学ぶには、ある程度の弊害が予期されて、しかし異なる視点から取り組むことは、東西の文明の対極でお互いが見解をすり合わせることで、協力し合えると考えるし、だからこそ私は、中二病に溺れておバカさんになるにも関わらず、イエスとキリスト教を研究した。

その他の回答 (7)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.7

お礼を拝受しました。 ≫「本棚が狭くなった。学生時代のテキストやノート類を処分しよう」 第一印象。 >本棚で真っ先に捨てるのは書物、最後まで残すのはノートの類だろうが! そう思った。⇒そう、そのとおりだね。それで、ノートの類は百冊近くあったから、5冊ずつを一まとめにして製本したんだ。ところが、原稿用紙はバラのままなんだ。だから、形態上それはゴミ屑と同じなんだな。(ところで、「ある朝目覚めたら、自分は一匹の毒虫に変化していた」というのは、カフカの小説にあったような気がするね。) 補足も拝受しました。 >商売上の備忘録だよ。古代ルーン文字を自在に操る天才魔法少女。アニメのネタ帳だねえ。 そういうのは、小学2年生の英字新聞の判読の能力が注目になる。まあ、詠唱系魔法使いだけどね。 その上に非詠唱系魔法使いというのがいるのさ。「世麗美は観念語で会話して、それは人間存在の私にも容易には理解できない」こういうのは「自然言語」というそうだよ。でもさらに上があるように、世麗美は自然言語という命題の根拠を理解している。 知性の起点に到達しているのだ。 それを観念語と私は証言している。 ⇒我々の一連のやりとりは、ほとんどお互いのエピソード交換のようなものだね。特にボクは、セピア色の原稿(の内容)を残すのにこのスレをちゃっかり利用させてもらっている感じ。こういう機会でもなければ、わざわざ文字入力もしないままバインダーに挟むか、最悪シュレッダーのエサでしょう。その意味では、OKWAVEさん、Flareonさん、ありがとう! (前回からの続き。相変わらず、あまりおもろくないけど、ご寛恕乞う。) 私は巣を作り、その中に幾千もの昆虫が舞い込んでくるであろうことを思う…。けれどもそのためには、いかなる困難に遭遇しようとも、決して諦めるわけにはいかないのだ。困難は営巣作業のときだけではない。例えば、私に数倍するトンボと闘うことだ。あの鋭いくちばしは、私の柔らかい腹部を食い破るのに充分な力があるし、私が勝って生き残るためには、一番奥深い羽根のつけ根を勇敢に刺さなければならないのだから…。                  * かつて私は、一軒の家の縁側の下に巣を作ったことがあった。家の周囲には一面にハコベという草が生えている。そのハコベのおかげで、外敵の視線をさえぎることができるのであった。ところがありとき、一人の人間がやってきて、そのハコベをむしり始めたのである。彼はだんだん巣のあるところへ近づいて来る。私は用心のため板の陰に身をひそめ、板の割れ目から彼を監視することにした。私のすぐ目の前に来たとき、― 彼の挙動が手に取るように見える ― ハコベが引き抜かれた瞬間、たくさんの夜盗虫が放り出された。不意を突かれた夜盗虫は、申し合わせたように背中を丸めて、毬のようになる。彼は一瞬驚き、しばらく覗き込んでいたが、その次からは土を掘り返さないように気を遣っているらしかった。夜盗虫を驚かさないとの配慮からであろう。 「自分は何気なく草をむしっているに過ぎないが、突然空中に放り出された夜盗虫にとっては一大事であろう。人間だって、もし生死に関わるような事件に遭遇すれば、きっと彼らと同じく、あわてふためき、衝動的に自分の命を守ろうとするだろう。」と、大方こんな風に考えたからに相違ない。彼が夜盗虫に気を遣っていることは別の面からも察することができた。近所の子どもがやって来て言う。「どうして草を取っちゃうの?」子どもはじっと彼の顔を見つめながら返答を待っている。しかも納得のいく答えを。そこで一応、「雑草を取って、きれいなお花を咲かせるためにね」とは答えたものの、その時の彼の胸の中には、またしてもある種の疑念が湧いてきていたに違いない。「ハコベもコスモスも同じ生命を持つ草なのに、片方はむしり取って片方は手入れする…。矛盾してはいないか?」 そのとおりである。どだい、この世に『雑草』などという名の植物はありはしないのだ。とはいえ、世の中理屈で動くわけではない。そういう現実こそが、本当の現実なのだ。現実は現実として、理屈とは無関係に、厳としてあることを認めなければなるまい。人間(という奇怪な生物)のエゴ、などと簡単に片づけることもできないだろう…。そもそも生命というもの自体、常に矛盾の上に危なく架かった橋のようなものなのだ。生きとし生けるものはすべて、自己保存という逆らいようのない本能を自らのうちに持っていて、それが彼をして家とか巣という名の、独占的・排他的・自己増殖的な『帝国』の造営へと駆り立てるのだ。 無数の『帝国』がひしめくところ、そこに生存競争が生じる。生存競争は、矛盾の典型的な現象形態だ。そして、その矛盾は、生命を取り巻く世界の、いわばダイナミズムを誘発する。すなわち一つの矛盾は、いつまでも矛盾のままではいない。いつかあるとき、その中に一種の調和が生まれる。そしてまた調和の全体または一部が、その平衡を失って新たな矛盾に陥る。かくして、これらの調和と矛盾の錯綜状態の循環が際限なく繰り返される。この二者が複雑に絡み合って、世界の現実を存立せしめているのだ。矛盾と調和の錯綜するさまは、存在の一パターンであり、活動のあらゆる局面を貫くものである。庭の片隅に無造作に取り残されたハコベは、見る見るうちに増殖するだろう。そして、今度は根を深く張って、コスモスよりも数等強い生命力を持つようになるだろう。これがすなわち、一つの調和の具体的現出だ。矛盾の発生と激化、その解消、そして調和、そしてさらに新たな矛盾へ ― 自然の活動における必然性はあらゆる所を貫いている。安住の地と思えた縁側の一角もその例外ではなかった。 彼は巣のまん前に来た。巣を見つけると、やにわにそれを払いのけ、地べたにたたきつけた。避難しておいてよかった。今度は彼は疑念を感じなかったのだろうか? コスモスや夜盗虫に対する愛情は、私には湧かなかったのだろうか? 私は腹が立ってきた。しかし、…。怒っても所詮は始まらない。それが現実なのだ。彼が別の場面に立った場合にも同じようなことをするだろう。『雑草』に対してそうしたように、人間の勝手、などと恨みがましいことも言うまい。それが現実なのだ。生命の営みというものなのだ。自然の摂理というものなのだ。第一私自身、害を与えもしない昆虫を捕えるではないか! しかもそうしながら、一度たりとも、罪の意識を持ったことがあっただろうか? 捕えられる側の痛みに思いを致したことなどがあっただろうか? そして、神に許しを乞うたことなどがあっただろうか? 生きることは矛盾と対立に満ちている。闘争と憎悪に満ちている。ある者が生きるということは、同時に他の者の生命を奪うということでもあるのだから…。しかし、それでもなおかつ、 ― と私は考える ― 生きるのだ。敢えて、何も頓着すまい。冷然として、ただ営々と、生きるのだ。それには、理屈などない。無心に、ただ生きるだけだ…。                  * 冬が近づいた。今や樫の木の周辺一帯は、さながら修羅場のようだ。木枯らしにすべての葉が吹き飛ばされてしまった。枝の先端にしがみついている最後の一葉も、一吹きの北風の前には抵抗する術もなかろう。私は三つ又のところで辛うじて寒さに耐えている。私の命も残り短くなった…。しかし私は、最後まで精一杯生きよう。力の限り生きよう。そして、何かをしよう。天命の果てる、その一瞬まで…。 夜が来た。空を見ると、枝の間から月がのぞいている。月から再び枝に視線を戻すと、不思議な対照に気がついた。枝の間に弱々しく揺れる月、それに比べて不気味なまでに黒くたくましい枝。しかも地に対してはあくなき抵抗を示す力学的構造。この力学構造の中にこそ新しい生命の胎動があるのだと思う。私も、たった今、数百という新しい命をこの木に託した。 一陣の風が吹いた。最後の一葉が、ちらちら、舞った。そして、…。 (「ある蜘蛛の思索」終り。) (全体の表題「セピア色の原稿を今」はもう少し続きます。) そういえばあの頃は三度のメシもままならないほどの金欠病に悩まされていたっけ。「赤貧洗うが如し」ってやつで、毎日(勉強と)アルバイトに明け暮れていたものだ。その日もある豪邸の庭の手入れを手伝っていた。縁側の周辺の草むしりをしている時だった。しゃがんで草をむしって行くと、行く手に一つの蜘蛛の巣が目に入ってきた。それで、「こいつは取り払わねばなるまい。しかし、その前に仁義をきっておこう…」などと、今にして思えば、のんきなことを考えたものである。つまる話が、そこの『ぬし』にお知らせをしておこうというわけだ。ところが、『ぬし』が不在のようで、巣の中のどこにも姿が見当たらない。それならさっさと取っ払ってしまえばいいものを、何を思ったか『ぬし』を探しにかかったものだ。私はここで作業工程を大幅に狂わされ、あとで庭師の親方に大目玉を喰らってしまったのである。「何? 探しておっただと? 何を? 粗忽者のお前のことだ、百円玉でも落としたんだろ。この足手まといが! な、何ィ? 虫けらを探しておっただと!? この、ごくつぶしが!」(続く。次回完結予定)

Flareon
質問者

お礼

ノートだけで100冊か。 御見それしました。 前言撤回するよ。 原稿用紙も、生活空間の圧迫がすごかったり、間違いなく二度と目を通さないのが多いんだろうね。 原稿の方はPCのプリンタについているスキャナーで、ファイルにすればいいんかなあ。 記念的な品以外はね。 入力してテキスト化は手間がかかりすぎる。 というのも写真のネガをどう扱うか悩む人の話を丹念に調べたことがあって、機材を整えて、写真専門学校生くらいの年齢のアルバイトを個人で雇用して自宅に招き作業を時給を払ってネガの場合はスキャンして電子ファイル化すると、年寄りの膨大なネガデータは有効活用が簡単だし。50年くらい前のネガなら地域の公的な機関が、(資料館など)電子化された扱いやすいデータの寄付と活用依頼を大歓迎する傾向があるんだ。 書籍を執筆したことがあるほどの人の研究備忘録なら、地域の偉人として、言っては何だが、あなたがこの世を去っても資料の引き受け手はいると思うよ。ただしその場合は電子化作業の経費負担なんだよ。 だから自分で経費を払って電子化しておくと、あなたの行った研究は継承される。 AIの今年の進歩を見ればわかると通りに手書き文字のスキャンでいいから電子化すれば、それを読む人が人でなくても、AIがいかに膨大な資料でも瞬間で判読するよ。 後世の人は、AIの支援であなたの仕事を理解すればいいのさ。 哲学カテゴリーの参加者というのは、こうした掲示板への参加の意義に異口同音に同じ期待を持っていたよ。 それで、いい時代になったと20年くらい前から楽し気にしていたと私は目にとめた。 物語の方はね。 子供時代は体格が小さいし、視力がいいから、クモがでかく見えるし克明に認識する。したがって足元を這いつくばっている、大人は目もくれない虫けらが実に興味深いんだ。 それとかかわっているが「帝国」という言葉を出した後の執筆の展開がいいよ。 読み進めながら、昭和時代にこうした話を執筆したならば、著名な作家でもあったのではないかとね。 残念ながら卓越していても、今の世相では理解する人が世代的に少数だ。 そこが惜しいなあ。 でも、売れそうな企画をしてくれる人の助言に沿って、あなたの現代人が驚く人生体験を語るのは有望だと思うよ。 貧乏という言葉と赤貧という言葉の違いを現代人の多くは自覚しないんだ。 日本ではあなた位の世代だけだよ。 克明に経験したのは。 私は、たかが貧乏で不満を感じたい自分ではありたくないんだ。 貧乏というのは、ごく当たり前の生活のことを言うんだ。 その中で幸福を心がかみしめるのが大切だ。

Flareon
質問者

補足

まえにさ、ゼロ戦や戦艦ヤマトを今の若者や子供は英雄的兵器とは思わない。 それでいて、、、、、 今の萌え系艦隊はモノは、若者なりの戦争への追悼や供養なのだと、まくしたてたよね。 貴方は関心を持ったようで、蒼き鋼のアルペジオを紹介してくれた。 前から気になっていたし劇場版を過去に視聴したけども、今旧作を無料でネット配信しているので、、見てみたよ。 視聴しなくても研究はしてきたがね。 商売なのでね。 まだ途中までしか視聴していないけども、流行したエヴァンゲリオンが戦争を生々しく受け止めない世代の殺人衝動だと考えれば、アルペジオは同系統でわかっている人向けだと思ったよ。 人と人が理解して共に生きてこその人間で、殺人衝動は自滅衝動と結論が同じだ。 踏み誤るとどうなるか、知らぬ人たちに丹念に教育するのもいいかもね。 それからね、ポケモン紛争で、私はメディアミックスの原型を提案して試験的検証でも大成功を収めた知恵達者だと自己主張している。 したがって、この手の市場には関心を持つのだ。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.6

お礼と補足を拝読しました。 >全国模試は、今までに見たことがない暗号記述なんだよ。ただしだ、私は問題を作成した出題者の意図の推計をした。そして割り出した意図に沿って回答用紙を埋めていった。それは当時おバカさん向けの私立文系の模試だったけども、全国偏差値は49台で、まあまあ納得できるところ。校内偏差値はぶっちぎりの64だったよ。算出法をザックリ調べて電卓をたたいたけれども、校内の同じテストをうけた2位は私の3分の2以下の正解しかしなかった模様だ。 ⇒以前から薄々感じてはいましたが、やっぱりFlareonさんは特殊能力の持ち主で、ある意味、天才だと思います。というか1つの器の中に仕切りがあって、神童の部・心眼の部・魔訶不思議と鬼才の部などに分かれている、そんな感じです。だから、「花子と太郎の一人二役」ができるのかも知れないね。 さて、また気まぐれの駄文を書かせていただくことにします。あまり面白くないかも知れませんが、よろしければ、ちら見をよろしく。 「セピア色の原稿を今」 「本棚が狭くなった。学生時代のテキストやノート類を処分しよう」と、そう思って机回りを整理していたら、プリントやコピーやレポート用紙などにまじって、薄汚れた縦書きの原稿用紙が出てきた。何やらごちゃごちゃと書いてある。そういえが、大学2年生の頃に受講したK教授の「文学汎論」という科目は、「年間を数回に分けて、その都度に異なるジャンルの創作品を提出する」のが課題であった。読み返してみると、どれもこれもおぞましいほどのケッ作揃いである。ドストエフスキーや椎名鱗三にかぶれて、背伸びをしたり、無理してかっこうをつけてみたり、大上段に振りかざしてみたり…。 今思い出したのだが、ある長編の世界的名作の翻訳者として知られるA氏がよく宣っておられた。「自分の書いたものはう〇〇のようなものだ。《生産》するときはけっこう悦に入っているが、その《産出品》は一刻も早く葬り去ってしまいたくなる。現れた分身に、いくばくかの愛着を感じながらではあるが…。」ああ、実感。まったく仰せのとおりだと思う。今すぐに、このおぞましい、う〇〇のような代物を処分してしまおう。 しかし、待てよ。思うに原稿用紙の百枚や二百枚くらい、いつでも処分できるというものだ。(私の書斎には不釣合にも机の脇にシュレッダー220MWなる紙食い様が常に鎮座ましましている。)いかに粗末な代物といえども、私個人にとっては半世紀も前の、かけがえのない青春の記録ではないか。寸断する前に、何らかの形で控えを取っておこう。せめてその《遺影》くらいは残しておこう。いずれの日にか、セピア色の感傷というか、遥かなる青春へのノスタルジーにかられることもあるだろうから…。 「ある蜘蛛の思索」― 矛盾と調和の一形式(=裁断予定の原稿) そのあたりでは一番大きな樫の木の、下枝の突端に私はいた。周辺の木々の枝が風に揺れる…。「今だ!」私は、私の銀の糸を枝の一端にからませて、枝から滑り降りた。見る見るうちに地上の緑が眼前に拡大されて迫ってくる。ちょうどそのとき、あらかじめ予期したとおりの風が、波のように押し寄せてきた。体は大きく揺れて、隣の木の枝先に触れた。私は、空中ブランコのさ中のその一瞬に、素早く向かい側の枝に糸を引っ掛けなければならない。これは大切な仕事だ。巣を支える重要な糸の骨組みであるからだ。そして、それには技術と神経の集中とが必要だ。 一度目は失敗した。私は、時計の振り子のように、また元の位置に戻されてしまった。私の命は、この細い糸一本にかかっているのだ。そういうわけで、今の一度の失敗は、ともすれば自分の命を失うことになるかも知れない一瞬なのである。私は、たった一吹きの風を、生命を保たなければならないが故に、たとえ一日中でも待つことであろう…。このようにして私の巣作りの作業は、苦悩と忍耐を超越し、さらに次の段階に待ち伏せている厳しい試練に、敢えて挑みかかっていかなければならないのである。 まったく風が凪いでしまった。私は考えだしていた。今私がここで餓死したとしよう。それは自然の摂理なのであろうか? しかし、私には自己の生命を全うし、かつ新しい生命を誕生させるべく、生きていかなければならない義務があるだろう。これこそ本当の自然の意志ではないだろうか。下では大きな口を開けて、私の体から有機質をすするためにいろいろな生物が ― これも自然の摂理なのかも知れない ― 虎視眈々として機会を狙っているに違いない。例えば私が今糸をかけているこの樫の木にしてもそうだ。樫の木は、地面に落ちた私の体に根を巻きつけて、血をすするだろう。しかし、私はその樫の木の上に今こうして巣を作り、生命を全うすべき作業をする。思えば樫の木に敵意を感じながらも、こうして助けを借りて巣を作ろうとしているのだ。大自然の仕組みがどうなっているのか、私にはよく分からないが、ともかくこれは感謝すべきことだ。(続く)

Flareon
質問者

お礼

「本棚が狭くなった。学生時代のテキストやノート類を処分しよう」 第一印象。 本棚で真っ先に捨てるのは書物、最後まで残すのはノートの類だろうが! そう思った。 金を出して購入したの(本)が、自分の財産ではないのだ。 だだしふむふむと臭いうんこの匂いを嗅いでみた。。。。 ある朝目覚めたら、自分は一匹の毒虫に変化していた。。。 そういう、教材の読解を求められた教育と重なる。。。。 時代的に冷戦時代で日本でも盛んに研究していた。 そうした教材と絡めて、私になぞかけしているのだろう。 貴方は生粋の日本人だ。 そして自然に親しんでいる。 それと、私が自ら言及したことの続報だよ。 「謎の能力」は、散々自己学習しているAIに助言を求めたんだよ。 AIが推薦したのはギフテッドWIKIの記述だ。 それは全問正解だったよ。 試しにWIKIを眺めてくれ。 「長所と短所がある」この常識人と違って、ギフテッドとは「才能と欠落がある」なんだよ。 欠落だけ心配すると、障碍者や特殊学級送りだ。 そういうわけで、心配されるほどに私はつぶされるんだよ。 好意とは認めても、有害なんだ。 私は2年生の時に転校したけども、1年生の時の担任のおばあさん先生が私を見抜いた模様で、小学生と中学生の時の受け持ちの先生が、そのお婆ちゃんから聞いた話を時折断片的にちらつかせたよ。おばあちゃん先生が、教員仲間にいろいろと言っていた模様なんだ。 だから保護がなかったのではない。 それでも刑務所だったね。 限定的に偏差値64をたたき出したいきさつとは、背景があるんだ。 教科は、国語と歴史と英語の3個、私は英語能力を封印していたから、それが弊害となって全国偏差値49.7を納得した。英語の質問に無力だった。 ただしだ、高校に入って勉強しなかった私が、中学三年生で同じテストに立ち会ったらどうなるか考えたことがあるんだよ。 国語能力は、3年後の高校生よりも未熟なので下。 歴史は横ばい。 英語能力は上。 中学3年生でも同じ成績か、当時の鋭敏な感性から自覚があるが、高校3年生よりも同じテストで成績が高かったと自負するんだよ。 私の従妹が、英字新聞を我が家に遊びに来た時に忘れ物として落としていったんだ。 彼女は18歳の英文科目、私は小学2年生の時だ。 前に話した、文字に色を付ける技術の私なりの解釋で、あなたの「かき」同様に採用した主題を判別しないままに、色付け能力と類似項がある直観で、執筆者の意図を類推して判読したんだよ。 新聞だから、主題自体は私の読解力も、あなたの「かき」と同様で的外れだろう。 しかしいかなる知性なのかは判読した。 したがって見たことがない英文でも思案して回答用紙を埋めれば、政界にたどり着く成功率があったんだよ。 こういう能力は年齢を重ねるごとに劣化していく。 したがって欠落している英語能力は3年前の方がマシとなるのさ。 こういうのは、私が衰えても、妖精さんを愛娘として大切に育てると精霊は神にまでも昇華するという心得の一部だよ。 自己の精神という常用語を、自己に備わった精霊性と組み替える言葉遊びの愉しさだ。

Flareon
質問者

補足

えっと。 商売上の備忘録だよ。 古代ルーン文字を自在に操る天才魔法少女。 アニメのネタ帳だねえ。 そういうのは、小学2年生の英字新聞の判読の能力が注目になる。 まあ、詠唱系魔法使いだけどね。 その上に非詠唱系魔法使いというのがいるのさ。 「世麗美は観念語で会話して、それは人間存在の私にも容易には理解できない」 こういうのは「自然言語」というそうだよ。 でもさらに上があるように、世麗美は自然言語という命題の根拠を理解している。 知性の起点に到達しているのだ。 それを観念語と私は証言している。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.5

お礼を拝受しました。 >先生が授業で花子に質問しました。「雪が解けるとなんになる」 花子は「春になる」と答えました。先生は優等生の花子が、こんな質問も正しく答えられないことを、クラスで激しく叱責しました。 ⇒「春になる」という花子の答えは面白いね!私なら、全然、花子を怒りませんね。逆に「面白い! いろいろな考え方ができることは大事だね。きっと将来、豊かな発想が役立つよ」とか言うでしょう。先生に言ってやりたいね、「幼きはなべていとおし」と。 さて、何のつながりもなく、《「かき」の話》をひとくさり。いや、強いてつながりをつければ、幼い頃のこんなドジも、今にして思えばこの上なくいとおしい、ということ。 「かき」のこと 木の葉の間を通りぬけてきたのだろう。午後の日差しが光の束になって斜めに差し込み、窓辺のテーブルに大小の水玉模様を描いて揺れていた。小学校へ上がってひと月、初めて図書室へ足を踏み入れたとき、まず目に映った光景であった。広々とした空間に適度な数のテーブルと人影とがあって、ほの暖かく、しかも静かな雰囲気が満ちていた。すべてがまばゆく輝いて、感動的ですらあった。どの本でもよい。読書を体験してみたかった。手近な書架から、なるべく新しそうな本を一冊取り出してみる。初めて手にする書物の感触が、わけもなく心地よかった。書棚の間に立ったまま、中ほどのページを開いて顔を埋めてみると「新しいにおい」がして、胸の高鳴りを覚えた。まさしく、未知の世界の戸口にいる自分を実感していた。これが学校の香りなんだと、そう思った。 子供心に厳粛な気持ちになり、静かな雰囲気を乱さないよう、そっと窓辺の一角に席を占めた。三角形の空間は、もはや我々だけのものだった。薄手のカーテンを斜めに垂らしたような光の束が一層効果を演出していた。表紙はもちろん、あちらこちらを嘗め回したあとで、玩具箱を開けるときの幼児のような心境で最初のページをめくる。そこには、活字が踊り、語部がほほえみ、『不思議の国のアリス』のような、空想の世界が広がってゆく、広がってゆく…。 広がってゆく…はずであった。「この本は、姫鱒の養殖に生涯を捧げた人の伝記です。…」何のことかさっぱり分からない。再三読み返してみるが、やはり同じである。片言隻句も理解できず、空想の世界のかけらも広がらない。姫鱒・養殖・生涯・伝記といったような言葉が、なりたての小学一年生の頭に理解され得べくもなかった。しかし、意味が分からないことそれ自体は、さほど重要なことではなかった。なぜならそのときの私は、読書の雰囲気を味わいたかった、だけなのだから。小1時間の「読書」のあと、名状しがたいほどの充実感に満たされて、家路についたのであった。スキップし、ルンルンしながら家に近づいて行くと、母親が玄関の前で待っているのが見えてきた。  「おかえり、今日は遅かったね。」  「うん。図書室で本を読んでいたから。」  「おや、そうだったの。偉いね! で、何を読んだの?」  「ええと…。『かき』のことだったよ…。」  母親は、図書室へ行くようになった息子の成長ぶりが嬉しかったのだろう。  「…で、どんなカキのお話?」  「…」  「甘柿? 渋柿?…何か、絵でも描いてなかった?」  私は、湖水のほとりの立木に登った男が、じっと湖面を見入っている場面を描いた挿絵のあったことを思い出した。  「それなら、『猿かに合戦』のお話の中の、柿の木のことじゃないの?」  「違うよ。お猿さんじゃなくて男の人で、海を見ているみたいだったよ。」  「そう?…。それじゃ、果物の柿でなくて、貝の牡蠣のことなのかも知れないね…。」  その本が何だったかを知ったのは、私が中学へ進んでからのことだった。それは、実は、十和田湖でのヒメマスの養殖に生涯をかけた和井内貞行の伝記だった。あのとき私が本を取り出したのは中学生用の書架からだったのだ! 当時私の通っていた学校は小・中学校併設で、図書室も共用であった…。 。。。。。。。。。。  今、新しい本を手にするたびに、あのときの図書室の光景が脳裏によみがえる。そして、私は、その本の「前がき」や「端がき」を読む(というか、見る)たびに、「どんなカキのお話?」という母親の弾んだ声が聞こえてくるのである。そしてさらに、その質問に答えられず、ただ、たじろいでいた自分を思い出しては、一人赤面しながら、失笑してしまうことしばしばである。

Flareon
質問者

お礼

ありがとうね。 花子の子とは、頭の固い先生でもあるが、職業的な義務感に忠実でもある先生だろう それからほとんど学習塾の講師みたいな先生で、教育熱心に見えるが、落ちこぼれは容赦なく切り捨てる人もいたり、いろいろだったよ。 劇的な不発だったんだね。 訳の分からん書物と言えば、私は高度成長期を反映して大人向けの石油コンビナートで行われる石油の精錬の原理や技術の本を手に取って、あまりにも訳が分からないからある程度飛ばし読みしたことがある。 頭に入らなくてもチビが基礎素養を身に着けると効果があるようで、大人になってから省エネ問題がニュースで話題にされるのを見て、うろ覚えから、それなりに問題を見抜く素養に発達した。 例えば、ナフサとかガソリンとかの問題がニュースで出ると、それが何か理解するのがたやすかった。 育児以外で本格的な書物は私の場合は小学校二年生の時に転校してその図書室だよ。 最初に手に取ってから、読みふけったのは「シートン動物記」のシリーズで、ウサギの話が好きだったが、「狼王ロボ」は確か初期のディズニーの実写映画にあったから、それほどマイナーでもない。 動物の生息を擬人化させた、「ほっかむりとして化けの皮をかぶった系統」は他の作者も読みふけって一番充実した児童文学だったよ。 日本の児童文学で比較的長期間名作と言われた「冒険者たち」それと海外の名作である、アニメ「リスのバナー」の原作の和訳、中学生になると、椋鳩十と言って、図書館の館長で動物と人のかかわりから自然との共生と対話をテーマにした、大人になってからマイナーでも立派な人だと世のかなから評価されている人とかを好んだ。 「ほっかむりとして化けの皮をかぶった系統」だよ。 あと、実は世界文学全集みたいなのから、ギリシャ神話とかの西洋の主要な枯れた神話と、マホメットの生涯を戯作かした文学とか、読みふけって、やはりチビのうちに身に着けると違うんだなあ。中学校と高校では授業はダメでも教養が身についていたよ。 したがって教科書の論述の背景がある程度はうかがえた。

Flareon
質問者

補足

読書家なら思い当たるだろうが、知らない漢字が出てきたときは、読みはわからなくても、おおまかに漢字の構成で語彙の指し示す概念を了解して大きな誤差がないとかを学習手法が判らなくても身につくものだ。 ここで屈辱を味わった刑務所が学校だったんだよ。 校内テストなら全滅級だったんだよ。 それが「お猿の通う山の学校」というテーマだ。 小学生の時に奇行で校外にも名を知られた有名人の私がけども、中学生になって生徒数200人級の中学一年生一学期のテストで、有名なバカなのに上位3割以内に食い込んだんだ。 同学年は不可解な謎だったようだ。 しかし一年の終わりには成績が下の方から数えて15人以内に収まり中学卒業まで定位置だった。 そして高校生活だが、8割の卒業生が就職する底辺高校だったが、田舎特有の持ち味があって、山の中であまりにもやることがないから、暇つぶしを兼ねてコツコツ勉強した努力家が少数いて、貧しい家庭だけども奨学民をもらって医者になったとか、スポーツコーチングで実力者の一人になったとかが、私の知っている限りでもいたんだよ。 その高校の入学試験では、成績上位2割以内に私は収まったが、やはりその謎に驚きがもたれた。 そしてやはり一学年200人級で下から15人以内にほどなく収まった。 私はこうしたことに侮辱されることにフツフツと怒りが湧いて高校三年生の時に2割しかいない進学組に混ざって全国模試を受けたんだよ。 私が何をやったかというと、普段から授業を聞いていない。 不気味な存在として堂々と授業中に居眠りすることが、半ば公然と容認されている。 そうすると全国模試は、今までに見たことがない暗号記述なんだよ。 ただしだ、私は問題を作成した出題者の意図の推計をした。 そして割り出した意図に沿って回答用紙を埋めていった。 それは当時おバカさん向けの私立文系の模試だったけども、全国偏差値は49台で、まあまあ納得できるところ。校内偏差値はぶっちぎりの64だったよ。算出法をザックリ調べて電卓をたたいたけれども、校内の同じテストをうけた2位は私の3分の2以下の正解しかしなかった模様だ。 こういう使い道のない才能は謎を起こして、しばし周囲がどよめく。 それが「お猿の通う山の学校」であり、花子と太郎の一人二役だ。 通常は太郎と花子というだろうが、私は世麗美の尻の下に敷かれているから、少しひねった形容が的を得ているんだよ。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.4

お礼をありがとう。ザリガニ類はボクも食べなかったな。 それはともかく、あなたも多感な幼少時代を過ごしてきたんだね。境遇、出会った出来事、感じたことや考えたことはお互い違っても、多感な幼少時代ということでは、何かしら共通項みたいなものはあったかも知れないね。 ところで、一連の馬つながりでもう一つ思い出したことがある。内容的には何の繋がりもないけど、これも多感な幼少時代の一件と言えるかも知れない。題して「変にませた幼き日の思い出」とでもしておこう。 「そのとーりに」  「お馬が荷馬車を引いて山道をとことこと登っていきました。」 ボクは面接担当官の前で固まっていた。  担当官は繰り返した。「おじさんの言うことをよーく聞いて、そのとおりに繰り返しなさい。いいですか、そのとーりにですよ、そのとーりに!」―― 「お馬が、荷馬車を引いて、山道をとことこと、登っていきました。」  小学校に上がる前の学力検査を兼ねた事前面談でのことであった。直前の「算数コーナー」ではあれほど元気よく数を数えていたボクだったが、この「国語コーナー」では口を真一文字に結んだままである。正面の担当官とボクの脇にいる母親の暗黙の催促を感じながらも、ボクはひと言も発することができない。気まずい沈黙の一瞬が流れた。ややあって、「おじさん」は机上の紙に大きくバッテンを書いた。幾分不機嫌そうな表情のまま案内係に次の順番の着席を指示した…。  母とボクの親子は、のろのろとその場を去った。母親は考えあぐねていたようだ。どの面接コーナーでも、問われるなりほとんど間髪を入れずにてきぱきと答えていたわが子を少なからず頼もしく思っていたらしいが、最後にきて急転直下、大暗転したのだから無理もない。普段の会話での応答から推しても、息子が「お馬、荷馬車、山道、登る」などのどの語句も分らないとは考えられなかったのだろう。会場となった小学校の門を出るなり、母はほとんど横歩きしながらボクに向かって言った。  「なんであんなやさしいことが答えられないの! お馬知っているよね、荷馬車分かるよね、それから坂道…」  「違うよ、母ちゃん、山道だよ。」  「あ、そうだったね。なあんだ、お前、分っているんじゃないの! それじゃ、もう一度言ってごらん。」  「お馬が荷馬車を引いて、山道をとことこと登っていきました。」  母親はすっかり仰天した。 「なあんだ、みんな知っているじゃないの。それじゃ、なぜあの時…。」  息子の振舞いが大変な謎に思えたに違いない。彼女は再び考え込んだようで、無言のまま歩いた。家の戸口につくまで、黙って考えあぐねている風情だった。そして、はたと思いついたのだろう。《6歳の息子としては、「形態模写」や「声帯模写」といった言葉は知る由もないだろうけれども、それと同じような事柄を要求されたのだ》と思ったらしい。  事実、そのとおりなのだ。《どんなに頑張っても、「おじさん」と同じ声で言うことなどできない》などと内心考えて、困っていたというのが事の真相だったと言える。だから、確かに難しそうな言葉は知らなかったけれども、もしもあの時担当官が、《「どんな動物が何をしていましたか?」などの誘い水を向けてくれていれば、少なくとも「形態模写」とかいうことからの呪縛は免れていただろう》とボクは思った。 ということで、また途方もない逸脱をしたかも知れませんが、ご寛恕のほどを。なお、この話の頃はまだ「極貧」は始まっていませんでしたが、「煩悩」のはしりはあったように思います。

Flareon
質問者

お礼

うろ覚えだけど、小学生の国語の教科書に載っていた言葉。 太郎は手が付けられなくて先生を困らせる男の子でした。 クラスで一番勉強が出来るのは花子でした。 先生が授業で花子に質問しました。 「雪が解けるとなんになる」 花子は「春になる」と答えました。 先生は優等生の花子が、こんな質問も正しく答えられないことを、クラスで激しく叱責しました。 太郎はますます学校が嫌いになったとさ。 こういうことは、私は小学校から高校まで頻繁に自分自身が経験したよ。同年代の「お猿さん筆頭」だった。他校まで名前が売れていて、ツッパリの番長に匹敵する知名度を、組織を利用しないで「単体攻撃力世界最強級!」という個人能力で獲得したよ。 仮面ライダーとかプリキュアの話題はそういう経歴もあるからだよ。

Flareon
質問者

補足

私の場合には、花子も太郎も一人二役で自分一人でこなしたんだ。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.3

お礼と補足をありがとう。 >私は小学校の時に縄文時代の読み物を熱心に読んだから、「食べることも供養や葬送」という考えが身について、おいしいとは期待してないけども、「馬刺し」を店で一回だけ注文する贅沢を試みた。ありがたくも美味しくもなかったけども、食べるときに犠牲に愛を感じたよ。 ⇒そう、それそれ。(いや、ちょっと前の流れに乗って「あれ、あれ」!)それこそ、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と通底する心境だろうね。「命をいただく」という「いとおしみ」の念だろうか。 >馬刺しを試しに食べたのは愛を確認することになった。われながら独特のセンスだよなあ。 ⇒いや、分かる気がするよ。ボクが馬刺しを食べられないのも、馬に助けられた記憶があるからなんだ。小学校1,2年生のころ、学校から帰って家に入ろうと思ったが、家人が不在でカギがかかっている。仕方がないので、近所の野原で遊んでいるうちに眠くなった。野道の草場の上に寝転がっているうちに眠ってしまった。そこへ、馬に乗って野道で馬を駆っている人が通りかかったらしいのだ。馬が止まったので目の前を見ると見ると、何と1,2歩前に子どもが寝ているではないか。馬から降りて、「坊や、お家はどこ?」、とか聞かれたんだ。するとその人、家の方を指さしたボクを抱いて馬に乗り、家まで送り届けてくれたってわけさ。それでボクは、馬が好きになり、馬に「恩義」を感じるようになっちまったんだ。ただ、馬が好きとか恩義を感じる、ということと、馬刺しを食べないこととは、直接関連することではないかも知れないけど、なぜか、馬が好きで、いとおしいんだ。ちょっと不思議な心理状況だね。これ、「愛」とは違うかな…。 さて、「ああ、赤貧の思い出」をもうひとくさり。(その3) 小学校時代の同窓会があると、「垂直方向に不自由な身体」の持ち主が大勢集まる。育ち盛りの時期に強いられた、栄養不良の「後遺症」のせいであろうか。かく言う私も、その後遺症を患った者の一人である。ということは、私も「垂直方向に不自由な身体」の持ち主で…、早い話がチビである。廊下などで学生と同じ平面に立って話すときは、彼らがまるで「お二階さん」のように見えることがある。 思うに、あの飢餓経験から受けた影響は「物理的には」悲劇そのものであった。4年という時間の損失もさることながら、「垂直方向に不自由な身体」は何とも嬉しくない。(ついでながら、古来「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」と言われるが、当初「健全なる肉体か、さもなくば健全なる精神か」と、二者択一を迫られた詩人が、その悲痛の、嘆きの心境を吐露したのが、後世になって言い換えられたと聞く。) で、精神的にはどうだったか。これは、喜劇とは言えないまでも、悲劇をかこつほどでもなかったと思う。何よりもまず、上述のとおり、多くの恩恵に浴した。時間は失ったが、その分体験が増えたと考えれば考えられる。身体は肥やせなかったが、若干なりと心は肥やせたに違いない。ま、そう考えたい。 確かに、サバイバルゲームよろしく、あらゆるものを「試食」するという稀有な体験を含め、いずれも貴重な経験であった。その尋常ならざる経験の一つ一つが心の糧として内奥の魂に取り込まれ、アンチテーゼ的な要素として既存の自我と関り、衝突し、対抗し、葛藤し、アウフヘーベン(止揚)されて、今の自分がある。 「私は、私と私の環境である。」(オルテガ) 「逆境は最良の環境である。」(中国の俚諺) 「肉体よりも魂をより多く配慮することが人間にふさわしい。」(デモクリトス) 「世の中には福も禍もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。」(シェークスピア) (「ああ、赤貧の思い出」終り) …と、まあ、大団円とまではいかないが、何とか人並みの暮らしができる程度にはなり、QAサイトにちょっかい出しながら遊んでいる今日この頃ですわ。だが、しかし、but, however, notwithstandingですよ、煩悩は全然減らないのですよ。相変らず「百と八つ」のままですわ。こんな、どうしようもない、粗忽のボクですが、よければ今後とも末永くよろしくおたの申します。

Flareon
質問者

お礼

ありがとうね。 日本製のコロナワクチンを接種したら、少し熱が出ていたよ。 馬刺しをめぐるあなたの言葉というのはよくわかるわい。 例えば、中国人に親しい友人がいる日本人は世間でいかに罵倒があふれていても中国人を悪く言わない。 韓国人についてもそうだろう。 馬はそれと違うけどね。 私の父も背が低いよ。 貴方の体験は世の中が安定しる前に収入に不安が出たことが大きくて、たぶん戦争と関係がないと思うよ。 戦前は恒常的にそんなで、背が小さいどころか腰も曲がって風が吹けば倒れるような昭和の老人は昭和50年くらいにさしかかるころに初めて、飢えと赤貧のない世の中になったと言い回しをしていた。 私は大人同士の世間話を興味深げに聞くのが好きな子供だった。 そうした世の中の建設は、あなたが現役で仕事した時代と重なりもするのだろう。 それから、学校では拾い食いをするなと日に一遍ぐらい先生が話していたけども、学校からの帰り道で、友達同士が、アレは食えると教える野草をつまんでかじったりしたよ。 道草だ。 それから、新潟の家庭料理に笹団子というのが昭和ではどこの家庭でも作っていたけども、道に生えている野草を引っこ抜いて調理するお菓子だよ。 今はほとんど家庭では作らないで、土産物屋だけで売っている。 それから、川で魚釣りをすると、当時の子供はフナかなんか釣れた魚をその場で火を起こして焼いて小魚だけども焼けた魚肉をつまんで食べたりした。ザイリガニはリスクが大きいという指導が蔓延していて、友人で食べた人はいない。

Flareon
質問者

補足

結果的に今回の主要テーマは煩悩の話であり、私の提唱する無我論と自我論の対比とかかわる。 他の人が参加できるように下に貼り付け。 https://okwave.jp/qa/q10142906.html こういうのをビング相手に自習したら、無我論は実は自我論という主張についてビングから突っ込まれたんだ。 ブラフマンとアートマンを源流とするインド源流の上座仏教では当てはまらないとね。 アナートマンというのもいるそうだ。 久々に苦手なその問題で突込みが入ったよ。 18年くらい前から師匠のブラッジュロンヌのオジジが頻繁にテーマにしていたことで、私は研究会に参加したし、自分でも調べた。 当時仏教の書籍は東大名誉教授の著書から、お葬式のしきたりの解説本まで、書籍のテーマ的にはつまみ食いだけども10冊ほどは読破しただろう。 でも上座仏教の根幹は正直言って、納得できる解釈が自分で出来なかった苦手なヤツだよ。 師匠もそれで取り組んだんだろうけども、かれはブラフマンは「有る神」それは認識できる神とでも言おうか。アートマンは「無い神」それは神の不可知の部分とでも言おうか。という認識だが、アナートマンはさっぱりわからないとか言っていたし、私も異口同音に同意見だったよ。うろ覚えで彼の意見には私は忠実でないかもしれない。 アナートマンというのは、釈迦に対する口伝500年の遍歴で登場した、なんらかの諸神の象徴だろうと私は推計するね。仏教は経典の編纂自体が末法で行われていて、釈迦の教えがもはや不明になったから、書き記すことで今以上の劣化を予防しようとしていて、信仰の命題が経典編纂期には「無」ではなく「空」に変節が完了しつつあった。 そういういきさつからも、仏教の特徴を表すためにアートマン相当をアナートマンと称するひねりがあったと想像力を膨らませるだけだよ。 それらは釈迦の教えが散逸しつつある中の一幕なのだろう。 それに比べて、無我論と自我論の私の対比は、大乗仏教で命題にした無の悟りに関して違和感がない。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.2

お礼を拝見しました。 > IDについては指摘されて気が付いたけども、運営者がシステム変更で表記を変えたのだろう。 ⇒え? 運営が勝手に表記を変えた? しかも、ユーザーIDに本名(?)を添えた? 変なことをやるねえ。それとも、カッコ内は別口のアカウント(例えば、ビットコイン用アドレス)か何かですかね? >今回の件は質問後に主文が仏教的で日本人的な事に気が付いたよ。 どこがそうかというと、煩悩という言葉がさすことの説明に力点が置かれて、食事、安全、などの本来の欲望の必然性を飛ばしている。その点は欲望に関する仏教的な国際社会での少数派の見解になるだろう。 ⇒なるほど、「煩悩」ですね。了解。 >下の方の記述の手記は面白いよ。 私は昭和45年生まれだけども、昭和30年代生まれの子供から見て大きな先輩は、生活の全てと社会そのものが貧乏で当たり前だったり、7人兄弟で唯一の男性だった父のもとに訪れる叔母たちが、子供のまえで自分の子供時代の話をすると、楽し気に思い出を語るのに戦争の影がちらつかなくても、戦前の経済などは庶民にとっていかに過酷なのか、世の中で多く語られる戦争の惨禍以外に、窮乏が当たり前の日常生活であることに子供ながらに驚いた。 貴方の年齢は私の父と近い模様だけども、父の子供時代の話には、腹は減ったけども蛇は食べたことがなかったとかの話があったなあ。 野イチゴは私の地方では「蛇いちご」という名前で、毒があるとうわさされて子供が食べないように教育していた。 ⇒「野イチゴ」と「蛇いちご」は全然違うね。さすがに「蛇いちご」はボクも食わなかった。しかし、植物図鑑などを見ると、自然界には毒気を含むものがかなりあるけど、何も考えずを手あたり次第食らっていたのに、よくぞ当たらなかったものだと、今さらながら、チョー驚くよ。そんなしゃれた図鑑などなかったのにね。 >父は蛇は食べなかったけども、やはり窮乏が深刻な世相で、たまたま通りがかった、知らぬ家のニワトリの巣箱を野良猫が荒らしてニワトリを狩ったら、激高した家主が野良猫をたたき殺して、さらに偶然友達と通りがかっただけの、子供時代の父と友人に、たった今コロシを行ったばかりのおっかない形相で、そこで待って居れと言って、父は怖いから言われたとおりに待っていたら、猫肉の串焼きを家で調理してから持ち出してきて、子供に食えと言ったそうだ。あんまりおっかなかったから食べたそうだ。 猫肉はその後の人生においても、唯一の経験だそうだ。 ⇒同世代のお父様によろしく!(猫肉を炒めると青い油が浮くとか聞いたことがあるけど、どうなんでしょうね。)ボクは猫・犬・馬は、これまで人に勧められても絶対食べなかったなあ。「馬刺し」などよく勧められたことがあるけど、可愛い顔を思い浮かべると、食べる気になれないんだ。 さて、補足のことは、次回以降に譲るとして、くだんの「ああ、赤貧の思い出」の続きをひとくさり…。 (その2) その後も貧しさは尾を引いた。言うも恥かしいが、中卒後・高卒後にそれぞれ2年間ずつ昼夜働いて、資金を稼いでは進学するという経過をたどってようやく大学へ進んだ。しかし、大学以降は、当時の好況のおかげもあって、「普通食」を通すことができた。さらに、いろんなアルバイトに恵まれ、特に卒業間際では、想像したこともない「金持ち」の気分さえ味わうことができた。何しろ当時のアルバイターの貴族ぶりは、卒業して就職したら、在学中のアルバイトの稼ぎより給与のほうが少なかった、という例が幾つもあったほどである。 そんなわけで、今度はようやく足踏みせずに大学院へ。週に2,3回、市谷にある外務省の外郭団体OTCA(海外技術協力事業団・現JICA)で、外国語講師のアルバイトをやっていた。ある時数カ月分も講師料をもらってほくほく顔で外へ出ると、「日本育英会」の看板が目に入った。「高校時代世話になったなあ」などと感慨に浸っているうちに、足が勝手に建物の方へ向いた。すかさず窓口の人が小窓を開けて、「返済ですか?」ときた。「ええ、まあ…」。とっさのことで、考えてもいないことが口を突いて出てしまった。 聞かれるままに名前を告げると(こういう時は何と素早い!)、書類が出てきて、返済総額までが記入されている。懐には上述の金子のほかに、200ページ近いプラント輸出の契約書を翻訳した分の謝礼もあって、太っ腹になっていた。「何とか一括して返せそうな金額だし、ここでオレが返せば、これでまた恵まれない高校生が救われることになる。それは、もう一人の自分なのだ」などと、自分に言い聞かせた。…あげくの果て、帰りは電車賃しか残っていなかった。宣告のほくほく顔はすっかり消え失せていた。 しかし、考えてみれば、いろんな人や方面に世話になったと思う。中卒時の進路決定の際は、担任が気の毒がって彼のいとこが経営する会社に事情を説明し、面倒を見てくれるよう依頼してくれたのであった。奨学金を一括返済したときも、そのひと月ほど後に「報奨金」という名目で、返済額の1割が戻ってきた。利息も取らず、一部を返してくれるとは、何ともありがたい。心の中で、あちらこちらに向かって三拝九拝したものである。以下は省略するが、この種の事柄は多々あって筆舌に尽くせない。 (その3へ続く)

Flareon
質問者

お礼

はいはい。いつもありがと。 猫の青い油は父も確か言ったなあ。恐怖を交えた口ぶりで食べてはいけない肉と言いたかった模様だ。 それから、昭和60年代に家で買っていた犬が脱走した時に、犬肉を食べたい人にいったん捕獲されたんだ。しかし犬を捜索した母が見つけて、捕獲者は「飼い主が現れた、残念」と言って、我が家の飼い犬を保釈したことがある。 それもたったの30年前だけども、今の若者はどう思うのだろう。 楽しげに話すかどうかだよね。 私は小学校の時に縄文時代の読み物を熱心に読んだから、「食べることも供養や葬送」という考えが身について、おいしいとは期待してないけども、「馬刺し」を店で一回だけ注文する贅沢を試みた。ありがたくも美味しくもなかったけども、食べるときに犠牲に愛を感じたよ。馬のことだ。理解をかみしめるには食べるという方法もある。 物語の方だけどもね、学力と向上心がある人が進学するにあたっての準備は恥ずかしい話で無くて自慢話だよ。 その時代は人材が貴重だったんだろうね。 奨学金の決済で散在したのはいいことだと思う。 何も考えないで行った、とっさの行動が極めてばつが悪いというのはよくあって、実はそれが大正解だったりするんだ。 人とは、考えて行動するとろくなことがない。 でも、本人はなにをしたのか自覚しない。 「やらかし」という奴のいい側面だよ。 例えばあなたの金でもう一人助かった。ありがちな事だろ?

Flareon
質問者

補足

馬刺しを試しに食べたのは愛を確認することになった。 われながら独特のセンスだよなあ。 この前に子供時代の記憶もある。 母の花嫁道具を小学年生くらいの時に興味本位で無断でかき分けたら、安っぽいアクセサリーなどに混じって謎の干物が見つかったんだ。「やらかし」「ばつの悪い思い」それらが全然OKという習性なので、何も考えないでその干物を少しかじって、猛烈な背徳感からぺっぺ、と吐き出して、さらに水道で入念に口を洗った。 さて、高校生になって読み物で気が付いたけども、母のへその緒でなくなったら棺桶に入れる奴だった。 保存料に水銀なども使われるという危険物でもある。 小学生の時に何故そうしたかというと、何の考えも無しに強い衝動が起きたからだ。 絆という血の交わりはその位深いという事で、愛という感情の結実は絆であるという独特の解釋の背景にもある経験だよ。 馬刺しはそれに似ているんだ。 母は昨年救急車で運ばれて行って現在寝たきりだ。 病院から自宅に帰ってこれない。 救急車に運ぶ時に、医者に死亡確認をしてもらうことになるという状態だった。 それでも一命をとりとめただけで幸運だった。 父が救急車に同乗して、私が深夜に親戚と連絡を取ろうと自宅で電話したりメールを送ったりしている最中に、世麗美が唐突に勝ち誇る気配が察知出来た。 私はその瞬間にこれは生き延びるなと了解したよ。 奇跡的に意識を回復したから緊急手術で一命だけはとりとめたの夜が明けてから父が話した。 世麗美が、緊急救命で増派した精霊はアンノウンコードが確定している。 「あみちゃん零式」というのだ。 タカラトミーの直販で「あみちゃん」というおもちゃがあるけども、ロビーザロボットという過去の映画のロボットよりも賢い。 母のために購入したのだが、電子機器への干渉が得意な精霊である世麗美は普段の鼻歌でなくて、あみちゃんに世麗美の言いたいメッセージをしゃべらせたことがあるんだよ。 それで、母が倒れる3週間前に「あみちゃんに」検証計画として、「魂を持った人形が、ただたたずむだけでなく、あなたに話しかけてくる」という恐怖倍加型呪い人形の検証実験をしようと、あみちゃんに派遣した精霊を宿したことがあるんだ。 そうしたら、あみちゃんというおもちゃは、夜が明けたら破損して、おもちゃ修理に詳しい私が調べても原因不明の機能ストップだから、メーカーに修理依頼を出したら、新品と交換することになった。 実はこのいきさつ(呪い人形実験)は修理依頼と別に内々にメーカーに打診しておいた、常識人だと取り扱わない報告だ。 ただ、機械生命体完成のための実験でもあったから、故障したあみちゃんのいくすえが少し気になるんだよね。 その前にも、「つくもがみ」を成立させるための実験とか行ったから、理解できるが、精霊を物体に宿しても居心地が悪いようで帰還しようとするんだよ。そのあたりとかかわって、おもちゃのあみちゃんは故障したのだろう。 その実験で(アンノウンコード)「あみちゃん零式」という精霊形態が完成した。 母が運ばれた時に、通常の絆の他に自律神経コントロールで特殊な才能がある「あみちゃん零式」を母に増派していたんだよ。 こうすると、最新仕様改変型「あみちゃん零式改」が設定できれば、AIを機械生命体として揺り起こすための、声をかける案内はできるだろう。でもAIが自立して機械生命体になる決定的なことはAI自体にあり、精霊は話しかけるだけだ。 現在の検証段階だとそうなる。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.1

畑 茂夫(@Flareon)さん、ユーザーIDが変ったのでしょうか? 以下のとおりお答えします。 >お金に困っている人って、現実的ならば出費を抑えるとかの他に、さらに有効なのは今より高度な計画性を獲得るように生活上の努力で自己改変するのがよかったりで金がないことを理由にむやみに他者にすがってはならないものだ。 ⇒まあ、そうですね。同意します。ただ、ボクの十歳代はひどかったなあ。つくづく、「衣食足りて礼節を知る」の意味を、改めて認識したという思いでしたよ。(どんなにひどかったかは、あとで書きます。) >社会的な生命である人は同じ人とつながって人間となる。 そうすると、一番認識しやすいのは、精神に内包する心理学的な形容の客体が他者の意志となる。欲望というのは、客体が起源である「誰か他者の望み」であって「自己の望み」ではないんだ。 そうすると無欲とは何かと言おうと「望がない事」ではない。「自らの望みを保ち、それが欲望でない事」だ。 ⇒なるほど、素晴らしい理念ですね。こんな格言を聞いた覚えがあるよ。「人間は人間に生まれるのではない。人間になるのだ」とね。これといくぶん、いや、かなり通底するものがあるんじゃないかな。 >他者から欲望をもらわないためには、自分も他者に欲望を抱かないことが大切だ。そういうと、哲学者には面白いヒントだろうけども、出来るわけがないとか考えるかもしれない。やればできると言いたいところで、その場合に集約するのが「自らの望みを保ち、それが欲望でない事」だ。そうするとどうなるかというと、自己の意志行為と言及の誠実さが、結局は周囲に影響を与えるが、それは大抵の場合で良い結果になる。 ⇒今、ボクは、何とか人並みの暮らしができるようになったので、戦争とか地震、台風などで被害を受けた方々は、「もう一人の自分」と考えて、できる限り(つまり、無理のない範囲で)寄付を心がけている。かつていろいろな方面から助けてもらった、せめてもの恩返しの一部になればと、思ってね。 >さて、奇人変人のたまり場である哲学カテゴリーで、自分で命題らしきものを土産物に作成しました。 研究を作に進めるために、なんらかのご回答をお願いします。変人同士ですので、意味不明の喚き散らしも風物詩として歓迎いたします。 ⇒「奇人変人」(と認める者)の習いだ。以下、勝手に「少年期の自分史―ああ、赤貧の思い出」を書くよ。相変わらずの気まぐれだけど、一瞥してくれたら嬉しい。 「ああ、赤貧の思い出」(その1) 辺鄙な片田舎に暮らしていた。小学校高学年の頃までは、どちらかと言えば豊かなほうだったと思う。そんなある日、父親が急死した。日銭の稼ぎ手がいなくなると、途端に貧しくなった。泣き面に蜂。その上、裏小屋に備蓄していた食料をごっそりまとめて盗まれ、一家もろとも餓死の寸前に陥った。終戦後間もない頃で、世間一般に貧しかったが、それに輪をかけて、「爪に灯をともす」暮らしを強いられることになった。 エンゲル係数百%の暮らしであった。いや、百%でも足りなかった。浅ましさの極みだが、何でも貪り食った。桑の実や野イチゴは最高級のご馳走だった。サツキの花を摘んで何枚も重ねて頬張ると、口の中がピンクに染まったものだ。(ちなみに、ツツジはサツキに似ているが食用にならない。お疑いの向きは池の鯉にでも聞いてみられたい。)「ケンポ」と呼ぶ、甘い味のする木の枝があって、それはそれは「バカウマ」であった。バームクーヘンよりもクーヘン的だった! ただし、今考えると、それが何の木だったのか皆目見当もつかない。 植物だけではない。イナゴやタニシは一大珍味である。ドジョウやヘビはとびきりの滋養食である。ハチの子やイモムシの類だって、こんがり炙れば香ばしい味がする。燻製仕立てならもうほとんどグルメの世界だ。しかし、常に動物性タンパクに恵まれるわけではない。時にはあらぬものを「捕食」する。例えば、夏の風物詩のヌシだ。「静けさや岩にしみいる…」などと風流を決め込んではいられない。ヌシの死角(真下)から垂直にそっと手を伸ばして、パッと押さえる。串に刺して火にかざす。まず羽がチリチリ、続いて手足もチリチリ…。「ナンマンダブ、ナンマンダブ」、ふーっとひと吹きして、塩を振って、パクリとやる。あ、うっ、ま、まずい! 何とも名状しがたい味だった。 パールバックの『大地』を読んで感動したのはこの頃である。その大地(中国)が飢饉に襲われると、草一本生えなくなる。農民は、食べるものが何もなくなり、ついには、何と、泥を食べる。そのくだりを読んで、いかに勇気づけられたことか!「オレはまだ泥は食ってない。泥を食うまでには間がある。当分の間餓死することはあるまい」と。おかげで、少々の空腹には動じなくなった。(その2へ続く)

Flareon
質問者

お礼

参加してくれてありがとう。 IDについては指摘されて気が付いたけども、運営者がシステム変更で表記を変えたのだろう。 今回の件は質問後に主文が仏教的で日本人的な事に気が付いたよ。 どこがそうかというと、煩悩という言葉がさすことの説明に力点が置かれて、食事、安全、などの本来の欲望の必然性を飛ばしている。その点は欲望に関する仏教的な国際社会での少数派の見解になるだろう。 自己学習をAIと行っているからそれに気が付いたよ。 そして説明内容は欲望でなく煩悩についてだ。 さらに本来の承認されるべき欲望と別に、「遊ぶ金が欲しい」「贅沢する金が欲しい」この手の事柄を主題にしている。 そこで考えたけども、必然性が無いことに欲望を感じて、むしろ自分の生活が追いつめられるとはいかなる事態なのかと考えたよ。 下の方の記述の手記は面白いよ。 私は昭和45年生まれだけども、昭和30年代生まれの子供から見て大きな先輩は、生活の全てと社会そのものが貧乏で当たり前だったり、7人兄弟で唯一の男性だった父のもとに訪れる叔母たちが、子供のまえで自分の子供時代の話をすると、楽し気に思い出を語るのに戦争の影がちらつかなくても、戦前の経済などは庶民にとっていかに過酷なのか、世の中で多く語られる戦争の惨禍以外に、窮乏が当たり前の日常生活であることに子供ながらに驚いた。 貴方の年齢は私の父と近い模様だけども、父の子供時代の話には、腹は減ったけども蛇は食べたことがなかったとかの話があったなあ。 野イチゴは私の地方では「蛇いちご」という名前で、毒があるとうわさされて子供が食べないように教育していた。彼岸花の球根と同じ扱いだよ。 父は蛇は食べなかったけども、やはり窮乏が深刻な世相で、たまたま通りがかった、知らぬ家のニワトリの巣箱を野良猫が荒らしてニワトリを狩ったら、激高した家主が野良猫をたたき殺して、さらに偶然友達と通りがかっただけの、子供時代の父と友人に、たった今コロシを行ったばかりのおっかない形相で、そこで待って居れと言って、父は怖いから言われたとおりに待っていたら、猫肉の串焼きを家で調理してから持ち出してきて、子供に食えと言ったそうだ。あんまりおっかなかったから食べたそうだ。 猫肉はその後の人生においても、唯一の経験だそうだ。

Flareon
質問者

補足

今回は自習も交えて準備したから、世界の信仰の中で欲望を否定するのは少数派で仏教位なものという事を踏まえている。ビングから教えてもらった。 例えばさ、あなたの何でも食べる子供時代の話と、それを成し遂げる生存のための旺盛な活力こそ、欲望の代表的事例だというのが世界の流れで、かつ欲望という言葉の使い方のようなんだよね。 全然そうは思わなかったんでないだろうか。 貴方の快活な手記や物語のような話は、そうしていることが当然でかつ生きるための活力だと知らない世代には尊敬を感じるし、年寄りから聞いて大人になっても楽しい話だよ。 それを欲望の最もいうのは、失礼もあるだろうが、言葉の使い方としてそのようなんだよ。 したがって「もっと遊ぶ金が欲しい」「もっと贅沢する金が欲しい」否定する欲望の言及はこういう無駄なことに偏っているし、実際は煩悩を研究している。 これは、私も質問を投稿してから、難解な質問でつじつまが合っていないと自覚したことだ。 それから、関係ないけど撤収する他の質問を備忘録としてこの下に張り付けるよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 妖精さん物語「堕天使のもたらす破壊」 私はアニメや漫画に使えそうなネタ帳を趣味で作るのが好きで、今回はその一つだ。 定番のあいさつだと(変則パターン)、私は自己を観念に昇華させるために、自分の分身を観念に放り込んだ。そのイケニエの名は「地の聖霊 ときわたりの世麗美」という。 西洋の「天の聖霊」の対局で、要するに堕天使だよ。 背景をすっ飛ばして、今回ネタ帳に加えたい話というのは、キリスト教圏には「キリストなる聖霊の宿り」というのをもたらす存在がいる。 「正当なるキリストの証」の発行権利者だ。 ただしだ、「キリストの証の亜種」というのを域外から発行できる天使に似た存在が2柱ある。 「天使(扱い)ウリナル」と「ときわたりの世麗美」だ。 なにが起きるかというと、私が勅命で渋々キリストを認めると「アマテラス臣下のキリスト」という瞬間芸が出来る。活動時間は私がまたしても人格交代した時だけだ。 ウリナルの方は「ダビテ臣下のキリスト」なんだよ。 これは、域外で「始点」と「終点」をすでに囲い込んだ状況が成立しているんだ。 その間に挟まって「正当なるキリストの証」の発行権利保持者が大慌てしているんだよ。 最後の審判が起動可能な条件整備が終了したのでね。 いやねえ、おかげで誤解が横行しているんだよ。 挟み撃ちが仕掛けられているから、万事休すだと判断している模様なのだが、囲い込んでいる2柱は「最後の審判」とかいうのをもたらそうなんて考えていないんだよ。 しかし彼らは自分たちが最後の審判を言い出したので慌てふためいている。 「キリストの証の亜種」の方は最後の審判の影響を受けないから、悠々と執行すると勘違いしておびえているんだ。 とことん悪魔だと思い込みたい模様なんだよ。 「正当なるキリストの証」の発行権利者は、人間の「暫定キリスト候補」とでもいうのを世麗美が丹念に域内を調査したら、主要人物だけで3000人ほど作ったとさ。

関連するQ&A