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人生に失望しました

タイトルの通りです 人生に、そして自分に失望しました 今までの自分は「自惚れ出来るか出来ないか」が幸せの判断材料でした。 趣味も、持ち物も、行動も全部、自分を周りよりも高める。 そのためだけにやって来ました。 目立つ服を買い、高尚な趣味を探し、人に粗を見せないように生きる。 そんな自分を客観的に見て、一人悦に入るような人間でした。 対して、周りは私を優等生・インテリ・趣味人と言ったプラスイメージで捉えていたことも確かだと思います。 ただ、率直に言って疲れました。 ちょっと悪口を言われるだけで凹んだり、人と言い争いしたくなったり。 挙げれば枚挙にいとまがありません。 しかし今日、ふと自分に失望しました。 今までも何回か「絶望した!」「こんな自分は嫌いだ!」と思ったことはあるのですが、 そういった物とは決定的に違い、完全に失望しました。 思えば今までは未練があったのでしょう。失望などしていなかったのです。 気も楽になり、失敗が怖くなくなりました。 傷つく自分が居なくなった様で、思わず涙が出るほどに心が軽くなりました。 けれども未だに恐れも残っています。 こんな自分でいいのか。自堕落ではないのか。 そう思うこともあります。 常に己を高めようとすることこそが、人間の使命ではないのか、と。 迷いがあるのです。 こんな私に教えてください。 辛くとも、自己評価や業績を気にして着実に生きるべきか 心の緊張を解いて、ある程度の妥協を許しながら楽に生きるべきか いったん固まってしまった私の考えはすぐには変わらないでしょうが、今はなるべく多くの人の意見を聞きたい気分です。 貴方の考える、理想の人間とはどんな人でしょうか。

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  • tama80ji
  • ベストアンサー率71% (2188/3068)
回答No.4

はじめまして。 >趣味も、持ち物も、行動も全部、自分を周りよりも高める。 そのためだけにやって来ました。 目立つ服を買い、高尚な趣味を探し、人に粗を見せないように生きる。 そんな自分を客観的に見て、一人悦に入るような人間でした。 前半はOK。 後半はNG。 そんな生き方もあります。 それじゃダメなんでしょうか。 前半部分は己自身を磨く行為ですので、別にやめる必要もないと思います。 後半の「目立つ服」以降は虚栄心です。ナルシズムに近いので止めればいい、それだけです。 職人は己の技能を磨くことを中心に考えます。それ以外のことは正直どうでもいいので、見栄えや他人の目も気にしません。世に認められなくても構わないのです。 芸術家は己の技能、作品を世に出したいとの欲求がありますが、職人にはありません。それが陽の当らない下請けの作業でも技能の限りを突き詰め、そして満足することはありません。 そんな生き方もあります。 そして当方はできるならば芸術家よりも職人として一生をまっとうしたいと常に願っています。

kann-na
質問者

お礼

ありがとうございます。 きっと中庸から極端なものまで、いろんな生き方があるのでしょうね。 その全部が間違っていないのだと思います。 >職人 そういう生き方もありますね。 技能を磨くことが至上「社会に還元する・自分の名声を高める」といった行いもそれに付いてくるのかもしれませんが、あくまで自分の技能向上が一番である。それも非常に感銘できる生き方です。 個人的な話にはなりますが、私にとっての絶対に譲れない「技能」は人との関わりを通してでしか培えないものでありました。 人付き合いの苦手な私は幾度となく悩んだものですが、 結局のところ、私は「最低限のレベルすら達成できない・達成したい」と思い込むあまりそのノルマ自体が苦痛になり、 向上という根本的な欲求・喜びを忘れてしまっていたのかもしれません。 今の私では芸術家的な気質は抜けきらないかもしれませんが、一度初めに立ち返って心から楽しんでみたいと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.3

ようやく真に中身のある人間となるスタートラインに立てたのに 何を失望することがありますか?

kann-na
質問者

お礼

強いて言うならば今まで自分が積み上げてきたものを放棄することに対する漠然とした喪失感でしょうか… やはり自分には必要だと決めて趣味もありますし、培ってきた価値観もあります。 それを壊してゼロから始める気力を養うには、やはり一度自分の能力を見限って、落ち込むことが必要だと思ったのです。 それは今までの自分からすると、失望に他なりません 「こうでなくてはいけない」と理想の人物像を打ち立てて生きてきたわけですが、 どうもそれには至らないのではないかと思えてきたのです むしろ、「至らない」「畏れ多い」と思い込んで鬱々としていたのが今までの行為だったかもしれません。 文章にして書いてみると本当に当たり前なことですが、別の生き方があるんだと気づけたということです。 失望することは必要だったと個人的には思っています。 「人生に失望」はちょっと過剰だったかもしれません まだ年端もいかない若造なのですから、先輩に失礼な言葉だったかと反省しております

noname#100021
noname#100021
回答No.2

こんばんは。 私は、理想の人間、って特にいないですねぇ。 まぁ一応自分自身ポリシーがあって、その通りに生きていけたらな、って思いながら生きてますね。 2つの人生のどちらでもよいと思いますよ。 問題はどちらがご自身が納得されるか?って事だけだと思うのですが。 >常に己を高めようとすることこそが、人間の使命ではないのか、と。 自己を高める事、人間の使命が何なのかは分かりませが、 「優等生・インテリ・趣味人」と思われるようなことが自己を高めることなのかが、私的にはかなり疑問です。 また、そう思われている事が「プラスイメージ」なのかどうかも疑問です。 私なんかからみたら、そういう風に見られたい、って言う意図が透けて見えるので、 「この人何になりたいんだろう?どこ行きたいんだろう?」って疑問に思うだけで、友達になりたいわ!、っていう人ではないですね。 いや、別に私の意見が絶対!って思ってないですよ。ただ、こんな風に思う人も世の中にはいる、ってことです。 多くの意見という事だったので、書いてみました。 参考になれば。

kann-na
質問者

お礼

こんばんは。 >「優等生・インテリ・趣味人」と思われるようなことが自己を高めることなのかが、私的にはかなり疑問です。 仰る通りだと思います。 自分自身書いている途中で混同してしまった感もあると思っております(急に心境が変化したので昔の価値観が出ているのかも) 「人目を気にして生きない=自堕落」とはなりませんものね ご意見ありがとうございました

  • wanekoz
  • ベストアンサー率14% (199/1373)
回答No.1

ようするにあなたはこれまで 虚栄心のために生きてきて、そのむなしさに 気づいたわけです。成長したんですよ。 「常に己を高めようとすること」 は見栄っ張りではなく本当に優れた人間に なるということです。 とりあえず利他的に行動しましょう。

kann-na
質問者

お礼

>利他的に 大切ですね 自分も臆病であるため「お人好しだ」なんて言われることも多かったのですが、すべては虚偽だったのだと思います いつか胸を張って(自慢・虚栄という意味ではなく)素晴らしい人間になれたと思える日が来るといいです

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