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だったり の乱用
最近、「だったり」という言葉が耳につきます。 タレントさんや、街頭インタビューなどでも、アナウンサーが使用することが、ここ数年多くなったように感じられます。 数年前、キムタクが、「~だったりい~」と引っ張ったしゃべり方をそていたのを記憶していますが、これも影響しているのでしょうか? ~とか、みたいな~ と同じくらい気になり美しく日本語から遠くなっていくと思うのは私だけでしょうか
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- marisuka
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回答No.4
「とか」「みたいな」「的な?」と同じく、ぼかしですね。自分の言いたいことを明瞭にできないので、ぼかして逃げ道を残しておくという手法です。NO2さんと同意見です。
noname#111034
回答No.3
No.2の誤字訂正。 事故防衛 → 自己防衛。 どうやら,おれのあたまも,キャベツに近くなってきたらしい。
noname#111034
回答No.2
「だったり」というのは,いくつもの事柄をならべたてるときに使う表現だと思います。そうではない場合にも多用されている,というご意見ですよね? ぼくなりの解釈は,「キャベツ同然のあたまからは,それ以上にましなことが出てこないが,<本当はさらに奥深い人間なんだぜ>といいたくなる,悲しい事故防衛なんだろう」とみています。
- ShowMeHow
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回答No.1
言語は時代と共に変化するもので、変化するのが文化です。 質問者様がそれに気づかれるようになったということは、 それなりに、経験が増えてきたということでしょう。 また、大人になると新しいものを受け入れる能力がだんだん 低下していくことが、違和感を感じる理由でもあると思います。 美しい日本語がいつの時代のものかは人それぞれによって 違うでしょうが、私も時折子供の話し方を訂正したくなります。