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背理法と対偶証明の違いについて

B-jugglerの回答

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.20

しょうがない、あなたのプライドの部分なので これはやりたくは無かったけど。 >●この文の「・・・」は式にすれば(A∧¬B)→¬A≡A⇒Bです。 この式、あっていますか? 私指摘したはずだよ。ド・モルガンが、途中で違う。 ここにこだわりすぎてる。ちゃんと書き直したのに。 謝り認めて、訂正したのに。 多分、姿勢の問題。私は数学に対して純粋なだけ。 間違えているのなら、素直に認め、検証しなおす。 あなたはこだわっちゃったんですよ。 私はそこで (A∧¬B)⇒φ としました。 突然出した、(5),(6),(7)式ですよ。 これ検証してください。って、ちゃんと出してるのに、 しないのは誰? したくないのは誰? この式あってますか?検証してください。2回目ね。前回あなたは逃げたんですよ! 何回も書いてはいるから、チャンスはたくさんあったはずだけど。 <Proof> 命題(A⇒B) (≡¬Ψ)を考える。 その否定を取り、得られた帰結をφとする。 このとき、φは AにもBにも 関係のない ものとする。  #φR(A,B)≡ 偽 (関係が発生しないのを数学的に書けばこうなる)  #R もう少し大きく書きたいんだけど ¬(¬Ψ)⇒φ ≡ Ψ⇒φ ≡Ψ∧¬φ      ≡¬(¬Ψ∨φ) ≡Ψ∧¬φ (x)      (≡(A∧¬B)∧¬φ) (x)’        (x)式に(A⇒B)が入っていますか? ド・モルガンの定理を間違えたのあなたですからね。  #その場で気が付かなかった私も悪いけど。  #だけどちゃんとヒントは出してるのに。  #それに今は、関係のないφを出しているわけですしね。 このとき、同時に、相反する帰結、矛盾する帰結 ¬φ も得られた。  #ここで矛盾しているとします。 Ψ ⇒ ¬φ ≡・・・・≡Ψ∧φ  (y)          (≡(A∧¬B)∧φ) (y)’ (x)(y)式について、論理積を取る。{(x)∧(y)} {¬(¬Ψ)⇒φ}∧{¬(¬Ψ) ⇒ ¬φ} ≡(Ψ ∧ ¬φ)∧(Ψ ∧ φ) ≡Ψ∧(¬φ∧φ) ≡ ¬Ψ (z) Ψについてある矛盾した帰結が得られたのであれば、Ψは 偽 これをもって背理法とする。 フィーネ(fine)               ↑証明終わりの意味。   fine と使うのは、特定の人たちだけです。   ある、定着しなかった教授の弟子たちです。   フリーの人間には、結構なじみがあるんだけどね。    #誰でも関係ないでしょうが・・ 興味も無いでしょう? お好みなら、(x)’と(y)’ を使って、展開どうぞ。 これはとっくに終わっていたんですよ。 あなたのプライドのため、NO.17の時点で終わっていました。 検証してくださいと頼んだことを待っていました。 いつまでたっても、私の出した式に対して向き合ってくれないじゃないですか。 プライドを傷つけることになるから、こういうのは顔が見えないところではやりたくない。 議論でもない、講義でもない。 押し付けるつもりは毛頭ない。 ただ、「私の背理法を否定されるのに、ご自分の背理法を述べられない」ので、これ以上話す理由はありません。 そして、背理法と、対偶法の違いに対しての意見も無い。 これは理解されたものとしますよ。 明らかに違うと。  #あなたの背理法があっているのかどうか分からないから、  #これ以上言いようが無い。 どうしても式に納得がいかないのであれば、 質問の書き方を変えて、「(z)式について」か、何かで 再質問されることをおすすめします。 多分記号論理は、哲学でもやるでしょうからね、その分野でもありますから、そちらでも出されることをおすすめします。 数学で出されるのなら、「論理学」と明記されたほうが良いでしょう。 「集合論理」って書いちゃダメですよ。 実例が山ほど出てきますよ。 純粋に式を考えるのであれば、「論理学」のほうがいいでしょうね。 不完全性定理を理解している人と、付記しておくと、 論理記号だらけのお好みの形になると思いますよ。  #私は、いやだけどね。   

skoyan
質問者

お礼

●●今日は忙しいのでとりあえず、下記の誤り部分だけ返信しておきます。 >●この文の「・・・」は式にすれば(A∧¬B)→¬A≡A⇒Bです。 この式、あっていますか? >しょうがない、あなたのプライドの部分なので これはやりたくは無かったけど。 ●●この式あっていますよ!!ド・モルガンが怪しいですね。 ---------------------------------------------------------------- >私指摘したはずだよ。ド・モルガンが、途中で違う。 ここにこだわりすぎてる。ちゃんと書き直したのに。 謝り認めて、訂正したのに。 多分、姿勢の問題。私は数学に対して純粋なだけ。 間違えているのなら、素直に認め、検証しなおす。 あなたはこだわっちゃったんですよ。 私はそこで (A∧¬B)⇒φ としました。 突然出した、(5),(6),(7)式ですよ。 これ検証してください。って、ちゃんと出してるのに、 しないのは誰? したくないのは誰? この式あってますか?検証してください。2回目ね。前回あなたは逃げたんですよ! 何回も書いてはいるから、チャンスはたくさんあったはずだけど。 <Proof> 命題(A⇒B) (≡¬Ψ)を考える。 その否定を取り、得られた帰結をφとする。 このとき、φは AにもBにも 関係のない ものとする。  #φR(A,B)≡ 偽 (関係が発生しないのを数学的に書けばこうなる)  #R もう少し大きく書きたいんだけど ¬(¬Ψ)⇒φ ≡ Ψ⇒φ≡Ψ∧¬φ●●【←ダメΨ⇒φ≡¬Ψ∨φ】      ≡¬(¬Ψ∨φ) ≡Ψ∧¬φ (x)      (≡(A∧¬B)∧¬φ) (x)’        (x)式に(A⇒B)が入っていますか? ------------------------------------------------------------- ●●以下の式の検討は、この初めの段階の誤りかあるからには、意味がなさそうです。後で、・・明日になるか知れませんが、その他の素数の無限集合の事なども含み返信します。

skoyan
質問者

補足

 遂に謎が解けました。妙な理屈と思い込みで長々と付き合っていただいたお陰です。 かつて秀才の端くれだった旧友も、話題の例の式に拘り、その前は別のトートロジー ¬(A⇒¬B)⇒(A⇒B)≡T(トートロジー)で、A⇒Bを背理法で証明するというものでした。 これは¬(A⇒¬B)⇒(B⇒A)≡Tも成立するので間違いなのですが、その誤りを認めずいつの間にか、今話題の式に移りました。 何れも論理的というよりは、自己の主張を無理に擁護する屁理屈でした。結局は潜在意識下に(精神医学も趣味の一つなので・・・)原因があると思えるようになりました。しかし、他人の誤りの真因は容易には解明困難なものです。それが貴方との議論過程で解明できました。有難うございました。     【本論】・・・ 背理法は命題(A⇒B)を否定して矛盾に至り、つまり¬(A⇒B)≡¬(¬A∨B)≡(A∧¬B)を仮定して矛盾に至り、元々のA⇒Bの正しさを証明するという事です。その矛盾が「何に対する矛盾か」を顕在化していないから、以後の理論が混乱し誤っているのです。 A⇒B≡A(∧K1∧K2∧・・∧Kn)⇒B つまり A≡A∧K1∧K2∧・・∧Knなのです。 ここでのKiは暗黙の内に前提にされている、証明済みの定理、公理、定義です。 ∴ ¬(A⇒B)≡¬[¬(A∧K1∧K2∧・・∧Kn)∨B]≡[(A∧K1∧K2∧・・∧Kn)∧¬B] ¬Bから演繹推論し¬A.¬K1.¬K2・・・.¬Knのいずれかの矛盾に至ります。 これ(証明済みの定理、公理、定義)以外に矛盾する相手はないのです。 ∴ [¬B⇒(¬A∨¬K1∨¬K2∨・・∨¬Kn)] ≡[¬B⇒¬ (A∧K1∧K2∧・・∧Kn)] 従って対偶から、A(∧K1∧K2∧・・∧Kn)⇒Bとなり証明は終わります。 この式は、私の背理法に対する式として、再三このスレッドにも記載しています。ド・モルガン式で長いのが苦手では、少し込言っていますかも・・・  念のため・・すべての命題論理は論理積か論理和と否定で実現できます!! 以上

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