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背理法と対偶証明の違いについて

B-jugglerの回答

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.19

文学みたいに書かれているのはあなたですよ。 あなたは、問題に向き合っていない。解こうとしていないでしょう。 > 帰謬法 どうでもいいことでしょう。 議論でしょう、ディベートでしょう? 同じ土俵に立ってないじゃない。 何故認めようとしない。 認めようとしないから議論じゃないと言っている。 だから言いようが無いっていっているのが分かりませんか。 わたしね、自分でいうのはおかしいけど、教えるのうまいっていわれるほうです。 何でだと思います? どこが分からないかしっかり探るからです。 分からないことを補っていくんです。 あなたと話をしていても、何が分かっていないのか、何を知りたいのか、見えないんですよ。ごまかしてばかりで。  #NETだから顔が見えないハンデはあるけど。 結局、証明しようとしないわけでしょう。 本当に知りたいのなら、聞こうとしてください。 されてない。だからみんな逃げるんです。 0元の例ですか? 今度は。 何をしたいのかが見えない。 ~~~ 異なる零元が2個あると仮定して、それを0と0#します。 0+0#=0#=0#+0=0で、その零元0と0#は同一になり証明されます。 乗法が許されるものなら単位元でも同様です。各種テキストで良く出ていますが、背理法で・・・と書いてあり、上記のように簡単な証明です。  これは私見ではなく、共通したテキストの記述です。 ~~~ これが何? 背理法に反していますか? 背理法そのものでしょう。 ~~~ A⇒Bが成立しているのです。しかし、この矛盾の相手がAを有限と仮定したことか、つまり¬B⇒¬Aでなのかは、『素数は無限集合である』とした文ではAをどう定義するかで、微妙だろうと言うだけです。  ちょっと微妙な例を以後に出しすぎましたかね。無限が含まれるとかなりややこしい事が絡みますよ。(一文字修正・言うたけ→言うだけ) ~~~ なぜ? 無限が絡むと、ややこしい? だからダメだって言っているんです。 何の問題がそこにありますか。 もう一つ修正するべきなのか、わざとか分からないけど、 素数に対してどう定義するだの、素数全体の集合をどう定義するだの無いでしょう。そんなのは関係ないの。 素数全体の集合を有限と仮定すれば、 素数のAは 有限の集合¬B に入っている。 (A∈¬B) また前述の通り背理法で否定できるわけでしょう。 素数の集合の外にAがあるんですか? 分かってないからそんなこといえるんでしょうね。 A∧¬B って、どういう意味です? ¬B に反しているっていえるんですか。 ¬Bは素数が有限。 じゃぁ、Aは入れてもらえないんだ。 へぇ~~~。 明らかに違うでしょう。 何を持って、対偶と同じだと言えますか? 分かってないどころか分かろうともしてないじゃない。 「有限な素数全体の集合の外に、素数が存在する」これが矛盾以外の何? ~~~ 『2直線とその交点以外で交わる1直線とでなす、一対の錯角が相等しいならば其の2直線は平行である』等と言うのが適当な例です。これを並行でないと仮定して背理法で証明します。この場合直線の公理に矛盾が出ます。この場合はA⇒B≡¬B⇒¬Aからではなく、A∧K1∧K2・・・∧Kn⇒BのKiの一つの直線の公理への矛盾から、 ¬B⇒(¬A∨¬K1∨¬K2・・・∨¬Kn)≡¬B⇒¬(A∧K1∧K2・・・∧Kn) として背理法で、形式は対偶として証明されます。これが私が背理法とは対偶で行うものだという説です。  ~~~ これもそうです。 (2直線とその交点以外で交わる1直線とでなす、一対の錯角が相等しい)∧¬(其の2直線は平行である) これも直線の公理に反しますよ。平行線の公理と言ってもいいか。  #平行線の公理だと、また同論って言うんだろうな。 対偶法使う必要も無いじゃない。 元のテーマ式。 ちゃんと根拠も言っている。 『ある命題において、その命題を否定したことによって得られた帰結が、命題の否定に矛盾するものであれば、元の命題は真である』 立派に式の根拠になっている。 あいまいにしなきゃいいんだね。 ((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ  これをもって、背理法の根拠としていい。 上記『』内による。  #何度も書いているけど、 φと¬φ が同時に帰結する   #これを矛盾意外になんと言いますか? そして、この質問のタイトル、あなたの聞かれていることはこれでしょう? 「背理法と、対偶法は違う」 明らかに違うのは、分かったでしょう。 論理がどうの言う前に、学問に対する姿勢が違いすぎる。 そりゃみんな逃げるよ。  #NETだからどうしても、面と向かって話できないから、  #どこまで分かっているのか理解できない。  #その上、書き方が、おちょくっているようにしか見えないんですよ  #妄信的に否定されますね。信じられるところは、肯定して。  #ご自身で書いていて、こういう認識ありますか?  #読んでいる私たちは、そう思っているんですよ。  #よくもまぁ、ここまで付き合ったもんです。

skoyan
質問者

お礼

●No.10からの引用です。・・・  -------------------------------------------------------------- ところで、背理法によって、仮に、 2) (A∧¬B)→¬A が証明されたとします。つまり、「 A が真であって、B の否定が真であるときに必ず A の否定が真となる 」ことが証明されたとします。   2) という合成命題は・・・・・ 、2) という命題が常に真であることを証明したとします。 ・・・・・・・ ---------------------------------------------------------- ●この文の「・・・」は式にすれば(A∧¬B)→¬A≡A⇒Bです。  この引用は、今テーマになっていて逃げた方kabaokabaさんが、背理法の根拠として書いたものに対して、貴方が理由づけの説明中に出ています。  テーマの式((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ = ((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬Aは(A⇒B)と言う命題を証明する方法(背理法)としてのものです。 ●という事は、引用文にあるように『・・・真であることを証明したとします。』と仮定してます。A⇒Bを仮定してA⇒Bを証明することです。  これは「同語反復」と言う間違いです。と指摘したところから議論が大きくずれています。貴方が数論のおかしな例を出して、つられて私も素数の無限についての例を書いたとこで、さらに混乱しています。

skoyan
質問者

補足

続き・・・ ●従って、私の経歴がどうであろうと、哲学系であろうが何系の知識であろうが、議論の本質は論理学の問題として、具体例にも関係のない、テーマ式が背理法の根拠の説明になればいいのです。 ●その説明の貴方のものが、同語反復なので了解できないだけです。実は論争していた旧友も、同語反復的な説明を指摘されて以来、答えがありません。 ----------------------------------------------------- 『あいまいにしなきゃいいんだね。 ((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ  これをもって、背理法の根拠としていい。 上記『』内による。  #何度も書いているけど、 φと¬φ が同時に帰結する   #これを矛盾意外になんと言いますか?』 ----------------------------------------------------------- ●今回のこの部分も、背理法テーマ式から、純論理式の展開で(数学的に、数学専門家らしく)(A⇒B)に導くことができれば、『矛盾以外になんといいますか?』等と、感情的な主観的な文章でなく論争の余地が無くなります。  式などは文章で解釈すれば、主観的になる可能性が出ますが、論理学ではその必要もないし、具体例もかえって誤解のもとになります。 ●量子力学などは、未だにアインシュタイン以来論争し、一致していない基礎分野があるのです。それが私の専門なので哲学的でもあるのですが。

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