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背理法と対偶証明の違いについて

B-jugglerの回答

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.15

はい。こんにちは。 みんな逃げるのは、申し訳ないですがケンカ腰に見えますよ もう少し丸く行きましょうね。 えっと、記号論理ですね。哲学的な考え方と数学の考え方が 異なっている可能性を感じたものですからね。 私も「数学の立場」で例の式を認められる、と言う立場です。 哲学が最高の学問だと、アリストテレスも言っていますね。 数学は、一つの柱でしかないのでしょうから、 哲学で通用するように、例の式を見つけ出せれば!と言うことになりますね。 数学では >[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 これで好いんですよ。[]の中の式を展開していくことは、証明をするためには敢えてやらない、と言った方がいいかな。 あくまで数学では。多分この辺は、数学的論理と哲学・記号論的論理では違ってきていると思うのです。 ついでに、数学の背理法は「命題が正しいことの裏付け」を取る作業に近いかと思います。 これをもって、途中で(A⇒B)がでてきても、構わない。 むしろ大事なのは、¬(A⇒B)で、命題に従わない帰結が得られないことが分かればいい(つまり矛盾が取れればいい)事だと。 なので、展開して行くことを、敢えてしないのですよ。  #数学的には、間違ってはいません。  #問題を解くことを最優先に考えますから。 前回挙げた例題ですが、趣旨はわかっていただけているものとして 進めていきますね。例題では該当する素数は4つですが、全て成立しています。ここに矛盾が無いことを証明すればいい、と言うことです。 例の式を、導き出すことにもう少し、専念してみましょう。 もしよければ、哲学のところに(記号論理は向こうのほうが強いかもしれません)、この質問持っていかれてください。 例えば、こういう風に持っていくのはどうかな?と、考えてみました。 CaperさんもKABAOKABAさんも数学の方ですので、 私と同じ考え方で、やはり問題を解くことを重視されていますよね。  #数学はそれが全てですから、仕方ないと言えば仕方ない。 縁もゆかりも無いφ って言うのがありますね。 KABAOKABAさんが書かれていますか。 これ使ってみましょうか。命題は A⇒B。 背理法で反証を取ります。¬(A⇒B) ですね ここから得られる帰結、「AならばB ではないのなら」を φとして見ましょう。 どうなるか・・。 ¬(A⇒B)⇒φ (5)  #φは「縁もゆかりも無いもの」です^^  #(1)は前に使っていますので、突然(5)番式としますね 再三書かしてもらっていますが、記号で式を展開していくことに自信は全くありません。手直ししてくださいね。お願いします。 (5)≡[(A∧¬B)⇒φ]≡{¬(A∧¬B)∨φ]≡¬A∨B∨φ これでいいかな。(5)式はトートロジーですよね。 φを演繹的に得られた結論とすれば。 ついでに、この式も考えておきましょう。 ¬(A⇒B)⇒¬φ (6) 展開の必要があるかどうかですが・・・。 (6)≡[(A∧¬B)⇒¬φ]≡{¬(A∧¬B)∨¬φ]≡¬A∨B∨¬φ この式は、(5)がトートロジーなので、「否トートロジー」(?)ですね (5)と(6)を論理積で取ってみます。 ここから得られるものは何か? 「否トートロジー」が得られますね、これは一体なんなのか? [¬(A⇒B)⇒φ]∧[¬(A⇒B)⇒¬φ] (7) (7)式で 背理法の根拠にはなりませんか? 哲学的にどうでしょう? ある命題の否定について、相反する結論が得られた。 このとき、その命題は「真」 と出来ませんか?  #自信全くありません。強引過ぎますし (7)⇒¬¬(A⇒B)≡(A⇒B) ¬(A⇒B)をΨとおけば、例の式になります。  #自信ないですよ。浅知恵ですから^^; 数学的な証明にどう使うか、全く見当がつきません>< 検証をお願いします。 ~~ この式が旧友との議論の中にも出てきて、その根拠を示せないままに終わっているのです。こんな式を書いている本は見たことがありませんし・・・。と言う事です。 ~~ 書籍では無いですが、CAPERさんが挙げてくださっています。 式そのものは載っていませんが、書いてある内容を式にすると、実は私がやったことです^^; ついでに 背理法の古い説明(記号論理を使った分かり難い説明):背理法により命題B 真を導く,後で示すように,命題X = ((¬B) ⇒(C ∧¬C))⇒ B が恒真(トートロジー)であり,しかも,命題X の前提である命題(Y= ¬B ⇒ (C ∧¬C) が真であることが背理法で矛盾が導けたことにより,明らかとなっている。したがって,X とY が両方とも真なら,X の結論であるB も真でなければならない(三段論法による)。 ここで命題X = ((¬B)⇒ (C∧¬C))⇒ B が恒真であることを示す。ただし,下記の(*) 式はX⇒B ≡(¬X∨B) と(C ∧¬C)≡偽 による。 ((¬B)⇒ (C∧¬C))⇒B ≡ ¬(B∨偽)∨B (*)            ≡B∨¬B ≡真  これ載ってましたが、同じことに見えますね^^; ってことは大丈夫なのかな?ダメかもね、本を鵜呑みにしちゃいけない

skoyan
質問者

お礼

『みんな逃げるのは、申し訳ないですがケンカ腰に見えますよ もう少し丸く行きましょうね。』 ●議論とは言葉による喧嘩みたいなものです。日本人の悪いところは徹底的にやれないところです。私は大丈夫ですよ。skoyanの相手は時間の無駄などとは、間違っても私は言いませんから・・・・。 『えっと、記号論理ですね。哲学的な考え方と数学の考え方が 異なっている可能性を感じたものですからね。 私も「数学の立場」で例の式を認められる、と言う立場です。』 ●哲学にも数学にも【論理】に違いはないでしょう。私の例の逃げた旧友も「言葉の論理」とか言っていましたが・・・。 『哲学が最高の学問だと、アリストテレスも言っていますね。 数学は、一つの柱でしかないのでしょうから、 哲学で通用するように、例の式を見つけ出せれば!と言うことになりますね。』 ●哲学も他の学問も最高とかの比較はないでしょう。【論理】には「言葉」にも「哲学」にも「数学」にも「物理学」にも違いはありません。  それぞれで、考えるときに【論理】だけでは解決できない、それぞれの学問方法があるだけです。 ●考えるとは、論理的なもの以外に、・・・簡単な例を示せば、新規の発明などをする時の、創造思考では論理は使えないし、人間について心の問題を考える哲学では、【論理】だけでは考えられないようなものです。 『数学では >[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 これで好いんですよ。[]の中の式を展開していくことは、証明をするためには敢えてやらない、と言った方がいいかな。 あくまで数学では。多分この辺は、数学的論理と哲学・記号論的論理では違ってきていると思うのです。』 ●何を持ってこのような発想になりますか・・・ (1)式がA⇒Bを証明する方法としての背理法の根拠かどうかがテーマです。 その時に、A⇒B[≡(A∧¬B)⇒¬A}を証明されたと仮定することに、違和感を感じませんか!??  この式[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒Bの≡の左辺は、貴方の理屈をご自分で式化したもので、右辺は同値な式です。まさか【同値】の意味にまで遡る必要はないでしょう。それならば最早議論や話の対象レベルでありません。

skoyan
質問者

補足

●(1)((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬Aが背理法の原理式かと言うのがテーマ。  (1)式は間違いなくトートロジーです。 トートロジーとは何でもありません。要素命題の論理値の真偽に無関係に全体が真になるだけです。当然要素命題には論理式の代入ができます。 『背理法の古い説明(記号論理を使った分かり難い説明):背理法により・・・・・』 ●・・・はどこが発生源か知りませんが、この文章全体は考える気にもならない理屈です。読む気にならないのでご勘弁を・・・。この文の著者は権威の代名詞にもなリませんね。 『・・・[¬(A⇒B)⇒φ]∧[¬(A⇒B)⇒¬φ] (7) (7)式で 背理法の根拠にはなりませんか? 哲学的にどうでしょう?』 ●突然新式が出てきましたね。(1)式とは違いますね。  元々のテーマから考えましょう。哲学と言うのがどれか分かりませんが、現代の分析哲学でならば、数学とも論理学とも同一ですよ。多少は流派によって書き方や微妙な異論はありますが・・・。 続き・・・  論理学と数学は区別できないと思っています。ラッセルやゲーデルは哲学者でもあり論理学者でもあり、ウィットゲンシュタインは哲学者に入りますが、論理学の基礎的な著作が有名です。 『CaperさんもKABAOKABAさんも数学の方・・・』 ●何を持って数学の専門家と言うのか知りませんが、関数解析学などに必須のルベーグ積分、線形代数などでは、この程度の論理知識では理解不能ですよ。現代代数学では当然背理法なしでは証明できない定理が山ほど出てきます。ご自分の根拠や理屈を自ら厳密に反省・検討すべきです。

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