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■学歴社会の変化
私は、今、36歳です。当時は、途轍もない受験競争率でした。 それ程、学歴社会の影響が、強い時代だったのです。 その時と比べると、学歴社会は、大分弱くなった印象があります。 私は、受験に失敗しまくって、大学は出ていません。 以前に、同じ職場で、(派遣の職場なんですが。)それなりの大学を出た人がいました。 その人と私は、同じ職場で全く同じ仕事をしています。他にもこういう人達をけっこう見て来ました。 意外と、社会は、大卒だからといって、扱いがいい、ということは無いと感じています。 理系とかだったら、その過程(学歴・資格等)が生かされるのかな。とは思いますが、 文系の場合、そんなことも無いという印象です。 実際に、あれ程、激しい勉強をし、競争率の高い受験をくぐりぬ抜けても、それに見合う就職は出来ていない 人も多い気がしています。 この件に関して、実際のところ、どうなんですか? いろいろな意見・経験談を聞かせて下さい。 ※性別もお答え下さい。 .
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質問者が選んだベストアンサー
おそらくですが、世間が学歴を重視しているのは、 就職そのものの瞬間に、重視する会社がある 官公庁など、学歴で評価が決まるような職場がある ということなんじゃないでしょうか。あとは結婚かな? バブルの頃は、本気で3高なんていってる人もいましたしね。 就職氷河期のころの採用者で、大阪府で大卒者が高卒を偽って働いていたということで、問題になったことがありましたが、ようはそういうことなのではないでしょうか。
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就職難の時代にぶつかった人は不運だと思います。 最近は推薦制度の拡充でアホでも有名大学に入学できます。 質の低下が言われるわけです。 あなたも今の時代ならそこそこの大学bに入学出来たと思います。
お礼
ありがとうございました。
- iamyou
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現在では学歴社会はほぼ解消され、実質的な実力社会になっています。あなたが混乱しているのは学歴がその個人の実力を現していると錯覚しているところに原因が有ります。 高校進学率は2007年で96.4%、男女の差はない、ということです。判りやすいのでひとまず高校卒業者ということで考えてみましょう。96.4%という数字は特別な事情のある人を除いて全員が高校へ進学するという事ですね。と言うことは「高校卒」という「学歴」が社会的な競争上には何の意味も持たなくなり、全員が同じ土俵で競争する、という事になります。即ち、個人の能力同士で勝負する、という事です。 同じように「大学卒」という学歴の意味についても見てみましょう。或る年の中学卒業者(義務教育修了者)が3年後に大学(短大正課含む)に進学する率を「大学進学率」と呼ぶと、2007年のそれは53.7%となっています。つまり3年前の2004年に中学を卒業した人(即ち、その学齢での全人口)の53.7%が3年後に高校を卒業して大学に進学した、と言うことです。大学の入学者にはこの数字の上に浪人人口から流れ込んでくる進学者が加わります。ここからは推定になりますが、それら浪人から流れ込む人を加えると、その年度に於ける大学入学可能年齢者のおそらく70%以上が大学と言う名前のついた教育機関に入る事になります。残った30%未満は大学に入れる「実力」の無い人か、何らかの事情で大学進学をしない人、つまりその時点で「学歴」という虚名を放棄して「実力」で生きていく決意を固めた人、と言うことです。従って、進学する意志がありながら、対象者の70%以上もが進める進路に進めなかった人、はその「実力が無かった」と言わざるを得ないですね。ましてあなたがご自分で仰っているように「受験に失敗しまくって」いると言うことは「自分には全く実力が無かったのだ」と言うことをご自分で宣告していることと私は思います。 くどいですがもう少し判りやすくするために、仮に上の大学進学率「70%以上」を高校進学率と同じ96.4%(つまり実質的な全員進学)と置き直して考えると、正に同年代の人たち全員が「大学卒業」という同じ資格で競争しているのだと言うことが理解できると思います。従って、大学卒業という学歴だけでは競争者同士の間では何の意味も持っていません。大学進学率70%以上という数字は大学進学希望者であって大学という「高等教育に耐えうる実力を持っている人」は「全員入学出来る」という、事実上の希望者全入を意味しています。これが大学全入時代と言われていることの意味です。これから少子化が進むと大学としては経営上必要な生徒数を確保することさえ難しくなって来て、ますます質の悪い人でもとらなければやっていけなくなります。現実に中学生レベルの数学が判らない大学生も非常に増えており、授業が成り立たないという現象が起こっています。あなたが描いているらしい「大学卒という資格さえ取れば誰でもどこかへ就職できる」という甘い夢はどこから出てくるのでしょうか? 今、世の中は「学歴時代」など遙か遠くに去り、正に「実力時代」です。 なお、昔は大学の数も少なく、レベルも大学にふさわしい高いレベルを持っていましたから「大学卒業」という資格はそのまま「高い実力を持っている」事を保証していました。故にこそ「大学卒」という学歴に意味があったわけです。そう言う意味で私はむしろ昔を「学歴時代」と言い、現代を「実力時代」と言い直すべきと思います。 ご参考までに、現在の中国は毎年600万人が大学を卒業しますが、その30%が職に就けないという厳しい現実だとのことです。 高校及び大学の進学率の推移は下のURLで確認できますので、ご参照下さい。 参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3927.html
お礼
ありがとうございました。
- bakkyy
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実際にはおっしゃる通りの現実はあると思いますが、 高学歴は現在でも企業によってはまだ現前とあります。 特に、歴史ある企業の方が多いと感じます。 昨今、日本型経営の象徴でもある終身雇用は崩壊しており、 企業が求める人材も、ポテンシャルから即戦力という形にシフトしてきています。 退職金制度なども導入していない企業が多いため、学歴(ポテンシャル)よりも実績を見ている企業が多くなったということです。
お礼
ありがとうございました。
- marife
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50年前なら大卒は「学士さま」と崇められました。30年前なら国立一期クラスを出ていればそうとう褒めてもらえました。10年前なら東大出はまだブランドとして成立していました。現在は「で、君は何ができるの?」といった感じでしょうか。優秀な人材はどこ卒であろうと目につくので問題はないのですが、然程優秀ではない人材がブランドだけで優位に立てる訳では無くなってきたという事です。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。