• ベストアンサー

国立安楽死施設の設立について

noname#143309の回答

noname#143309
noname#143309
回答No.5

>国がその人の望む形の死に手を貸す事が、なぜとんでもないのでしょうか? 自殺は罪ではありませんが、自殺ほう助は、自殺関与及び同意殺人罪として刑法第202条により罰せられます。 http://www.houko.com/00/01/M40/045.HTM#s390 自殺が罪でなく成立するのは、誰の手も力も援助も(仰るような設備や施設の提供も含めて)借りずに自殺した場合のみであり、それ以外の場合、係わった者は皆刑法第202条により罰せられる可能性があります。従って、仰るような施設の設立を望むのであれば、まずこの刑法を変えない限り実現は不可能です。 >自分の命は自分だけのもので、いつ死のうが自分の勝手です。 考え方はいろいろあるでしょうが仮に仰る通りだとして、なぜその「自分の勝手」のために国費(=我々の税金)が使われなければならないのでしょうか。どのような施設にしろ、建設・運営・維持、設置地元への補償など膨大な費用がかかることは容易に想定できるわけで、それが一部の個人の「勝手」のために使われることに、多くの国民の同意が得られるとは考えにくいでしょう。仮に臓器提供へ転用するとしても元々臓器売買とは違いますので、それで採算が取れるとも思えません。また、高額な利用料を設定すれば「誰でも利用出来る」に反します。 それと、仮にその「勝手」を「権利」に置き換えて考えたとして、確かに電車への飛び込みなどは多くの人へ迷惑がかかりますが、他人へ迷惑をかけずに自殺する他の方法が現状ないわけでもありません(例えば電車へ飛び込むのでなく、岸壁から海へ飛び込めばよいだけのこと)。自殺が権利だとしてその権利を成就したいが、多くの人へ迷惑をかける方法しか存在しない、だから国費で何とかせねば、という理論であれば、刑法が改正された後においては耳を貸す人もいるかもしれません。しかし方法があるのに「国が手を貸す」必要があるとは考えにくいでしょう。逆に、国の援助がなければ自殺できないくらいの人なら、もともと本当は生きたい(自殺の意志は薄い)のではないでしょうか。

kurunetto
質問者

補足

設立するとなれば刑法あるいは憲法を変更しなければいけない事は承知です。 しかしそこまでしてでもこの施設を作る事の意義はあると、私は思っています。 >自殺が権利だとしてその権利を成就したいが、多くの人へ迷惑をかける方法しか存在しない、だから国費で何とかせねば 私がこの施設の設立を望む一番の理由は、↑では無いんですよ。 どう書けば良いのか文章力の無い私には非常に難しいのですが、一言で書けば「自殺の権利の確立」ですね。国が公認したとなれば「生きていればいい事がある」「その苦しさは誰かに相談すれば乗り越えられる」などと言って、自殺を阻止しようとする馬鹿は幾分か減ると思いますしね。 自殺を止めるのならば、その人のその後の人生について責任を持つべきです。その人の苦しみを理解せずに無責任に希望を持たせるべきではないです。

関連するQ&A

  • 死の窓口なるもがあってもいいんじゃないでしょうか?

    死の窓口なるものがあってもいいんじゃないでしょうか?具体的に言いますと相談では無く判定です。死を望んでる人に対して国が死に場所を提供する。色んなとこで死なれても迷惑ですからね。人には死の選択権があってもいいと思います。この人は本当に死に値するか国が審査し決定すれば死に場所を与える。ある死刑囚は人を殺しておいていざ自分が死ぬとなると命乞いする者もいると思います。死刑制度がある日本ではそれは致し方ないと思います。死刑囚の中にはいざ自分が死に直面すると命の尊さや大切さ等理解できるかもしれません。それと同じで国は死の選択権と死に場所提供だけではなく付加価値として死の選択権を与え死に直面させる事で命の尊さ等を思い直し踏み留まらせる事もできるのではないでしょうか?しかし私は自分の命は大切になど綺麗事は言いません。人には命の選択権があってもいいと思います。周りに悲しむ人がいなければ...。

  • 安楽死ができる国、臓器提供ができる国を教えて下さい

    安楽死ができる国、臓器提供ができる国を教えて下さい。 安楽死と臓器提供が同時に出来る国や機関を探しています。 情報提供お待ちしてます。

  • 安楽死について

    臓器提供ドナー・アイバンクドナーなので臓器を痛めず安楽死できる薬教えてください。飛び降り、首吊りは臓器が使用できなくなるので薬しかないかと思っています。リストカット、眠剤は死に至らないので有知識者・医療関係者の方教えてください。日本も海外のように自殺願望者の安楽死制度あればよいのに・・・そうしたら迷惑を残すような自殺者は少なくなる、綺麗に静かに逝けると思うのですが。

  • なぜ人間の「安楽死」は共感されないの?

    私は一回失敗者です。 日本の何だか「死」というものが異常にタブー視されている事に疑問を感じます。 他の質問掲示板では死について質問回答すると暫くして削除されます。もちろんマナーを守った内容でです。ここもそうかな? 悩み相談は言い方は悪いですがボランティアの素人で、国はある意味その方々に押し付けている格好。 精神科はハードルが高く、行っても医者は薬を出すだけ。心理士は大学出立てのおねーちゃん。 相談する場所がない…。 一方、終活とかいう気持ち悪い概念が定着し「本当の死」を知らない方々が理想的な死を夢想し、結局死に向きあうのではなく、死んだ後の世間体を気にしているにすぎません。 なぜ国は安楽死を認め、国が認定した安楽死施設を作らないのでしょうか? 命がー!という方々もいらっしゃるでしょうが、直ぐ処置される訳もなく、先ずは話を聞いて病院の様に適宜対応する訳で、処置は本人の強い意志を確認してからです。 こうすれば、行き場のない追い詰められた人達の受け皿にもなりますし、認定施設なら最後の瞬間も安心だと思うのです。 現実では、ニュースで報じられる度に「迷惑だ!」というコメントを見かけますが、行き場がないからそうなる訳で、ボランティアに愚痴を聞いてもらって解決するならこんな事にはならないですよね。 真面目に「死」を語れる国になったら生きやすいのに、と思うのですが…。

  • 安楽死が合法なら

    日本安楽死センターを作ればいいと思います。 死にたい人は誰でも苦痛無く死ねます。 費用は無料もしくは実費程度。 その代わり臓器などは提供してもらいます。 保険金はおりないようにします。 硫化水素や電車が止まるなどの二次被害も防げます。 どう思いますか?

  • 脳死を人の死とするか

    こんにちは。 今度、脳死を人の死とするかしないかで 講義内でディベートを行うことになりました。 私は「脳死を人の死としない」という立場で、 それに伴い、今脳死に関して事前リサーチをしています。 相手である「脳死を人の死とする」チームは 脳死を人の死とし、臓器移植を行えばより多くの命が救われる ということをメインにしてくると思います。 そこで、その根拠をひっくり返すのがわたしの役割になりました。 ですが、厚生労働省による、 「脳死下での臓器提供事例に係る検証会議  150例の検証のまとめ」では、 確かに臓器移植を行い社会復帰を果たした人は6割程度いて、 臓器移植後も拒絶反応などにより入院している人は1割にもいきません。 (1)脳死を人の死とし、臓器移植を行えばより多くの命が救われる という根拠をひっくり返すには、どのような視点から攻めればいいのでしょうか? (2)攻める際に、こちら側の意見に説得力をもたせるためには 具体的にどの調査結果を提示すればいいのでしょうか? 長くなりましたが、上記2点についてお答えいただけると助かります。 一週間ほど考えてみましたが、まったくいい案が浮かばず とても困っているので、どなたかよろしくお願いいたします。

  • 尊厳死について

    ちょっと疑問に思ったのですが、尊厳死とは、本人の希望により延命治療を行わないと言うことですよね?で、もし、家族とかも承知で「脳死状態での臓器移植を希望する」ようなカードを持っていたとすると、植物状態になってしまった時は、本人の意志確認はカードを持っていると言うことで確認されて、延命治療は行われないということでしょうか?ということは、そのカードは、「植物状態になった時は、延命治療を行わず、臓器を提供します。」というような遺書と言うことになりうるのでしょうか。 ちょっと、気になったものですから。お答えいただければ、嬉しく思います。

  •  改正臓器移植法により尊厳死が自由にできる?

     改正臓器移植法により尊厳死が自由にできる?    現行では、脳死の患者がいて、治る見込みがまったくなく、家族も希望しているのに尊厳死は認められていないと思います(そのように理解しているのですが、もし尊厳死が認められる方法があればあわせて教えてください)。したがって、患者もそのままだし、家族も治療の精神的、経済的負担はそのままずっと続いていくと思われます。  ところが改正臓器移植法により、患者が明示的に臓器移植を拒否していなければ、家族の同意で臓器移植が認められるようになりました。これにより、尊厳死が自由にできるようになったと思われます。  すなわち、家族側にしてみれば、「治らないなら、さっさと治療を中止したい。でも尊厳死をお願いすると医者から同意されない」という場合、同法により治療中止の要件が整ってしまうことになります。「そういえば、父親は大昔に、自分が死ぬときは臓器を提供したいといっていたような気がしないでもない、証拠はないけど。」といえば、それだけで実質的に当初希望していた尊厳死が実現できてしまうことになります。  何かとても怖い気がします。家族が脳死患者をもう不要だと思えば、家族の意思で患者を生かすも生かさないも判断できるように法律が変わってしまったとしか思えません。臓器提供しなければ尊厳死が認められないのに、本人の明示的な意思がないのに、家族の一言で(臓器を提供することにより)尊厳死が認められるというのは違和感を感じますが。かなり直接的な言い方をしていますが、家族も患者も臓器提供にはなんら関心は無い、でも早く延命治療を中止したいので、臓器提供を理由にするということにつながらないでしょうか?  それとも、脳死患者の場合、今まで尊厳死が認められなかったが、家族の負担、治療に要する国庫負担など総合的に考え、やむをえないということなのでしょうか?  もちろん、今回国内初の例となった方々のことを言っているわけではありません。ただ、今回の事例をみていて、今後、臓器提供を理由に延命治療中止件数が急増するのではないかと素朴に思っただけです。  

  • 臓器の所属

    先日、臓器売買が発覚して騒ぎになりましたが、フランス、オーストリアなどでは臓器提供拒否のカードを肌身離さず身につけていない場合、「本人の意思不明は提供に同意」とみなしてさっさと臓器を取ってしまうそうです。これは旅行者にも適用されるとのことで、以前ドイツ人の大学生がアルプス登山中に滑落死(脳死)というケースがあり、親が駆けつけたときには既に臓器から皮膚、角膜、骨にいたるまで取り尽くされていたという事実をテレビで報じていました。 人権に敏感なはずの国で本人の意思不明は承諾とみなすなんて荒っぽい ことをして勝手に臓器を取るなんてことがどうして許されるのでしょうか?しかも旅行者にまで適用なんて!旅行者がその国の意思表示カードなんて身に着けているわけがないでしょうに。しかもその国の人でも常時提供の有無カードを身に着けていない限りは承諾ということになるなんてまるで臓器泥棒としか言いようがないように思えます。 臓器はたとえ死んでも本人の意思を尊重して処理されるべきではないかと思いますが・・・ この制度は国民が議論して決めたことでしょうか?どうしてこんなことがまかり通るのか理解に苦しみます。そのドイツ人大学生の親御さんは とても憤慨して悲しんでいらっしゃいました。許せないとおっしゃって泣いていらっしゃいました。それが普通の感覚だと思うのですが・・・ この勝手に人の臓器を取ることを許している国の論理とはいかなるものでしょうか?

  • 死にきれません、死にたいです。

    自分の信頼出来ない医療機関に家族に入院させられ、施設に通い楽しいことなど何もありません。 待っているのは、周囲の喜ぶ私の死のみです。 死にたいです。 どうしたら出来るだけ迷惑かけずに死ねますか。

専門家に質問してみよう