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「せられさせ給え」???
「主の御名によりて来たりませる御者 祝せられさせ給え」 「聖マリアは 賛美せられさせ給え」 一体 誰が 誰を 祝福もしくは賛美するのですか? 敬語や受身が ごっちゃになって 頭の中をぐるぐる回っています! 解り易くお教え下さい!! よろしくお願いいたします!!
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文法的なことを少し辞書で調べてみましたところ、以下のようなことではないかと思われます(古典文法として調べてみました)。 「祝せ」の「せ」は、助動詞「す」(サ行下二段活用)の連用形で、「らる」とともに用いることで「最高の尊敬の意」を表す。 「祝せられ」の「られ」は、助動詞「らる」(ラ行下二段活用)の連用形で、やはり「尊敬の意」を表す。 「せ給え」の「給え」は、「給う」(古語では給ふ)という四段活用の動詞で、もちろん命令形。「せ給う」の形で、「最高の尊敬の意を」表す。 従って、「最高の尊敬」を表す形を鏡餅のように重ねた形であるといえるでしょう。 silitagali さんの知人の方は、鋭いところを突かれていると思います(私のようなへっぽこ回答者は、タジタジとなりそうです)。 > 1.「祝う」と「祝す」は違う 「祝う」には「めでたいことを喜ぶ」という意味と、「幸運であるように祈る」という意味とがあります。 「祝せられさせ給え」の場合は、「神さまがお喜びなさいますように」という、信者からの気持ちの表れではないでしょうか。 神道で「祝詞」をあげますが、あれも神さまを「お祝い」申し上げているわけです。 「ご祝儀」というのがありますが、あれも相手に対する「お祝い」の気持ちを表しています(「お小遣い」とは違うでしょう・・・)。 キリスト教の場合、英語の Bless という語を日本語に移したもののようにも思われます。 神道における「祝詞」のように、Blessed are ... という決まり文句があって、「~が祝われますように」という意味です。 論理的に見ると、神さまが人間を「祝う」のなら分るけれども、何で人間が神さまを祝わなければならないのだ、と思いますけれども、人間が「祝う気持ち」を「捧げる」ことが、神から人間への慈悲をも引き出すという、相互関係にあるのかもしれません(神を祝う者には、神としても「祝福」を与えないではすまないでしょうから)。 また、「祝」という文字には、「祈りの言葉」という意味もあるようです。 なお、辞書で見る限りでは、「祝う」と「祝す」は、同じ起源の言葉ですから、同じ意味であるようです。 > 2.「祝う」の対語は「呪う」 これも、なるほどな、と思いました。 実は、「祝」という文字と「呪」という文字とは、字形が似ているだけでなくて、兄弟みたいな関係にあるようです。 「祝」も「呪」も、「兄」みたいな部分の「口」の部分は、人間の口です。その下にある二本足みたいなのは、人間の足です。 人が跪(ひざまづ)いて「祈る」形を表しています。 人の「幸」を祈れば「祝」になり、人の「不幸」を祈れば「呪」ということになります(「呪う」場合は、相手の「口」に悪意を吹き込むために、余計に「口」という字がくっついているのでしょうか)。 だから、対語といえると思います。 > 3.「祝す」は神仏又は代理者が幸せを授ける事 これについては、上に書きましたように、神さまに「祈りを捧げる」という意味にもとることが出来るように思います。 人が人に対する場合には、「祝い」であり、「神の祝福」を感謝し、互いに喜びあうということになります。ついでに神さまにも、お礼を捧げるかもしれません。 > 4.「賛美する」は、我々が神仏又は代理者を讃える事 これは、その通りだと思います。 とっても多量の文字なので、何が何やら、訳が分からなくなってしまったかもしれません。 素人のにわか勉強でしたので、十分な回答にはなっていないかもしれません。 これ以上のことは、改めて質問を立てるなりされて、専門家か詳しい人の回答を得られるのが上策かと思います。
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- bakansky
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本当は、その部分もお答えしたかったのですが、私は宗教に関する特別の知識も持ち合わせない者なので、誰か他の方がお答えになられるかもしれないと「当てに」しておりました。 「賛美」するのは、普通に考えると「人間」とか「信者」とかになるだろうと思います。 「祝う」というと、私などは「お祭り」とか「結婚式」とか、そういう方に連想がいってしまいます。 ですから、やっぱり「人間」なのかなぁという感じは持っています。 「お祝い」は、「人間」がするでしょうから。 しかし、そう断定してしまうと、「ありがたい」気持ちも、半減してしまいそうな気もします。 神と人間とが出会うのが、「祝い」というものなのかもしれません。 キリスト教になると、それが個人的な色彩も帯びてきますから、どうも説明しにくいものに感じられます。 「祝せられたまえ」という祈りの言葉をつぶやく人は、おそらく、「ありがたや~」という気持ちを言葉にしているのではあるまいか、と想像します。 何しろ外来の宗教ですし、日本における受容の歴史も浅いので、私などにはよく分からない面もあります。
お礼
重ねての御回答 有難うございます! 御回答を何度も読み返すうちに、 「誰が 誰を」については 仰るとおり 「せられさせ給え」の文法的疑問というよりは 「賛美」と「祝す」の単語の意味の違いのような気がしてきました。 傍から 知人が 1.「祝う」と「祝す」は違うと思うよ 2.「祝う」の対語は「呪う」だと思うよ 3.「祝す」は神仏又は代理者が幸せを授ける事だと思うよ 4.「賛美する」は、我々が神仏又は代理者を讃える事だと思うよ と 言っています。(本当かな?) ただ 「せられさせ給え」の文法的疑問については 品詞 語尾変化 尊敬と受身の区別などについて もう少し教えて頂きたいと思います!!! どうかよろしくお願いします!!
- bakansky
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> 主の御名によりて来たりませる御者 祝せられさせ給え 「主の御名によりて来たりませる御者」は、イエス(イエズス)を表すということは説明の必要はないでしょう。 「祝せられ給え」の「祝せられ」は、「祝す」+ 助動詞「らる」で、この「らる」は「受身」でもあり、「敬意」の表現でもある。 「させ給え」は、この形で「尊敬」を表します。 「イエスさまが祝されますように」という意味になります。 > 聖マリアは 賛美せられさせ給え 「~させ給え」は、上に記したように「尊敬」の表現。 「賛美せられ」の「せらる」は、「す」+ 助動詞「らる」で、これも「尊敬」を表す。 「マリアさまが、賛美されますように」という意味でしょう。
お礼
御回答 有難うございます!! >「せらる」は、「す」+ 助動詞「らる」で、これも「尊敬」を表す > 「イエスさまが祝されますように」という意味になります。 > 「マリアさまが、賛美されますように」という意味 納得しました!!! 有難うございます。 ただ まだ ふに落ちないのは 『誰』が「祝し」たり、「賛美し」たりするのでしょうか? 「賛美」については 「我々」でも良いかとは思いますが 「祝す」については 「神」それとも「我々」でしょうか???
お礼
とても詳しい御回答!本当に有難うございます!!! いろいろと調べて頂き、教えて下さって 心からお礼申し上げます!! 文法的には >「最高の尊敬」を表す形を鏡餅のように重ねた形である まだ松の内! 感覚的にピッタリの御回答に 思わずニッコリしてしまいました!! 「せられさせ給え」には 受身が入っていなかったのですね! 敬語ばかりとなりますと 上下関係(目上と目下)に留意すれば良い訳で、 「賛美」は関係が単純で解りやすいのですが 「祝せられ」の方は >「神さまがお喜びなさいますように」という、信者からの気持ちの表れ としますと 「神」と「御者」と「信者」との三者の立場からの敬語でしょうか! >Blessed are ... という決まり文句があって 文法の「敬語」の問題とばかり考えて 国語のカテゴリーに質問を出しましたが 「祝せられさせ給え」は おっしゃる通り 元々はヨーロッパ言語を翻訳したものだったんですね!! (全く「目から鱗」のご指摘でした!) これからボツボツ聖書も読んでみようかと思っております。 度重なる御回答、心から厚くお礼申し上げます!!