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キリスト教の「祈り」について。

祈りについて質問します。 祈りを始める時に「父よ、イエスの御名で祈ります。」と言ってから祈り始めるものがあります。 これは「イエスの名を通して天なる父に祈る。」という事だと思うのですが、私的にはイマイチ理解できません。 「イエスに対して祈る」のは何となく理解できるのですが「イエスの御名を通して父に祈る」という概念がわからないのです。 キリスト教は三位一体の神ですが、祈りの中で「三位」に対してどのような使い分けをして祈ればよいのでしょうか? アドバイスをお願いします。

みんなの回答

  • veradico
  • ベストアンサー率44% (11/25)
回答No.3

答えを見出す何かのお役に立てれば幸いです。ご質問は, (1)「イエスの御名を通して父に祈る」という概念がわからない。(「イエスに対して祈る」のは何となく理解できる) (2)祈りの中で(三位一体の)「三位」に対してどのような使い分けをして祈ればよいか の2つと思われます。  聖書はおもに聖書によって意味を洞察すべきである,と考えますので,聖書は何と言っているか,という観点から述べます。  結論を述べましょう。聖書から,「クリスチャンの祈りは,神と人との関係におけるイエスの権威を認めた上で,神にささげるものである」ことがいえる,ということです。  ですから,ご質問にある「イエスの御名を通して父に祈る」という表現については,以下に述べる聖書の事例に照らして判断なさるとよろしいと思います。(私は,上記の表現を直接聞いていませんので,その表現の当否をここでうんぬんすることは致しません。)  まず,イエス自身の言葉です。イエスは,(1)神に祈った。(2)崇拝は神にのみささげるべきだと言われた。(3)神に祈るよう人々に教えた,という事例が聖書に書かれている点です。たとえば,代表的な聖句では,  ルカ6:12,13では,「このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。 6:13 夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。」(口語訳1955)とあり,  マタイ26:36 (最後の晩,ゲッセマネでの祈り)では,「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」と命じ,「祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」(同)と書かれています。  また,マタイ4:10では「イエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。(「祈り」は,どう考えても崇拝の一部ですので,本聖句は重要な関係があります。)  そして,有名な「山上の垂訓」のうちマタイ6:9では,「このように祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。」(電網聖書:アメリカ標準訳)と書かれています。  そして,これらと同じ趣旨の聖句が,他にもあります。そうすると,上記の(1)から(3)のように判断するのは妥当ではないでしょうか。そうしますと,まず,「誰に祈るのが聖書的なのか」という点での答えを見つけやすくなるに違いありません。  次に,「イエスの御名を通して」という概念に関係がありそうな聖句を検討してみます。たとえば,  使徒4:24-30「そこでこれを聞いた者は、一致して、声を上げて言った、「天と地と海とそれらの中のすべてのものを造りたもうた主よ。…あなたの御手を伸ばし、あなたの聖なる僕イエスの名によって、癒しと徴と奇蹟とを行なわせて下さい」。(岩波翻訳委員会訳1995)  コロサイ3:17では「そして言葉であれ行ないであれ、あなたがたがなそうとするすべてのもの〔は〕、すべて主イエスの名において、イエスを通して父〔なる〕神に感謝しつつ〔なしなさい〕。」(同)  いかがでしょうか。「イエスの名によって,名において」とあります。それで,「名において」の意味ですが,参考として,例えば,Wikipediaの「人(法律)」の項目には「法律学の概念としての人は…生物学的なヒトである自然人とそれ以外の法人から成る。「人」であることの効果として、その名において私法上の権利・義務の主体となる一般的な資格(権利能力)が認められる。」とあります。また,英語の「in the name of…」という表現には,(1)…の名義で(2)…の名において, …の権威にかけて(in the name of the law 法の名において)New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha,1998) とありますから,「イエスの名によって(おいて)」とは,イエスの権限,権威を意味している,と考えられないでしょうか。  ですから,上記の聖句により,「聖書は,イエスの名において(イエスの権威や権限を認めて),神に祈るように教えている」といえないでしょうか。  まとめ:神が天と地球と人間を創造されたのですから,「人が神に祈る」ということは,上記の通り,そもそもシンプルであるはずです。しかし,聖書をよく読んで,神およびイエスが何とおっしゃっているか,を良く聞こうとすれば,誰に対して,どのように祈ればよいのかを理解していく助けになるのではないでしょうか。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.2

 ヨハネによる福音書第14章8節においてイエスに向かってピリポという人物が次の様に願っています。 >「主よ、私たちに父を示して下さい。そうして下されば、私たちは満足します」  それに対してイエスは9節~11節でこう仰っておられます。 >ピリポよ、こんなに長く貴方がたと一緒にいるのに、私が解っていないのか。私を見た者は、父を見たのである。どうして私たちに父を示して欲しいと言うのか。 >私が父におり、父が私におられることを貴方は信じないのか。私が貴方がたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父が私の内におられて、御業をなさっているのである。 >私が父におり、父が私におられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、業そのものによって信じなさい。 >よくよく貴方がたに言っておく。私を信じる者は、また私のしている業をするであろう。そればかりか、もっと大きい業をするであろう。私が父の御許に行くからである。  そして続けて13節~16節においてこう仰っておられます。 >私の名によって願うことは、なんでも叶えてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。 >もし貴方がたが私を愛するならば、私の戒めを守るべきである。 >私は父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでも貴方がたと共におらせて下さるであろう。  つまり、イエスの内には父なる主がおられる事を信じて、父なる主に対して願う様に、イエスの御名によって願う(イエスに対して願う)のであれば、父なる主は必ずその願いを叶えて下さる、という事をイエスが保証している訳です。  そのため、「父なる主に対して祈るのと同様に、イエスの御名によって祈ります」という意味を込めて >「父よ、イエスの御名で祈ります。」 と言っている訳です。 【参考URL】  GotQuestions.org > 祈りに関する質問 > イエスの御名において祈ると言うのはどういう意味ですか?   http://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-pray-Jesus-name.html  ヨハネによる福音書(口語訳) - Wikisource > 第14章   https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#.E7.AC.AC14.E7.AB.A0

naporeonn
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#212169
noname#212169
回答No.1

信仰基台と実体基台・・と言います・・

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