キリスト教の礼拝に関する異なる要素とは?

このQ&Aのポイント
  • キリスト教の礼拝には「崇拝」、「礼拝」、「崇敬」、「超崇敬」という要素があります。
  • 三位一体への礼拝は、キリストと聖霊とは異なるものとされています。
  • 聖人への崇敬と聖母マリアへの超崇敬は、異なる形態の敬意を表しています。
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キリスト教の礼拝に関して

キリスト教、特にカトリックにおいては、神へは「崇拝」、三位一体へは「礼拝」、聖人へは「崇敬」、聖母マリアには「超崇敬」を行うとされていますが、実際には、「崇拝」・「礼拝」・「崇敬」・「超崇敬」は、どのような点が異なるのでしょうか? 不通に祈っている時に、意識して分けているのでしょうか? また、三位一体へは、「礼拝」となっていますが、「父なる神」へは、崇拝をするべきであり、それが、「礼拝」となるのは、なぜなのでしょうか? 父なる神、子なるキリスト、そして聖霊が一体であるのですから、神への礼拝、キリストへの礼拝、聖霊へも礼拝でよいのではないのでしょうか? 三位一体への礼拝は、キリストと聖霊とは、同じものでよいのでしょうか? また、聖人への崇敬と、聖母マリアへの超崇敬とは、どのように異なるのでしょうか?

  • nacam
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回答No.2

#1の回答者です。 あまりに崇高なご質問。私のような若輩者には答えよ うがありません。 今あまり聖書研究出ていないので、突っ込まれるとそ こまで考えていない私が恥ずかしくなります。 よくカトリックではクローバーで例えて「父と子と聖 霊」にします。 父なる神に祈る時とキリストに祈る時の違いは 「主よ、哀れみたまえ」 又キリストに祈る時は 「キリスト、哀れみたまえ」 となります。 又聖霊についてはとても難しく、特に我々日本人には 理解しにくい部分があって、私は勝手に亡き両親とか 知人に祈る時、その洗礼名を唱え、 「聖ペトロ、われらのために祈りたまえ」で日本式 先祖崇拝にしてしまいます。 その点、カトリックとはあまり教義にガチガチでなく 勝手な私には都合が良いのです。 聖霊はその人一人ひとりの上に守り神のように宿って いると解釈しています。 ですからやっぱり私の中でも区別しているのですね。 もし詳しいことがお知りになりたかったら、いまの 教会の神父様が神学者なので聞いてまいりますが。 若い頃のうろ覚えでは、トレントの公会議で聖母マリ アの無原罪を決めたような気がしますが、調べる必要 ありますか?

nacam
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございました。 今私は、キリスト教とイスラム教に関しての、プログをやっています。 そのため、色々調べていますが、分からない事が、多々でてきます。 今回の質問も、そのうちの一つです。 回答が付かないかと思っておりましたが、有意義な回答をいただきまして大変ありがたく思っています。 これ以上は、神学の領域に入ると思いますので、わざわざ調べていただく必要はありません。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.1

神へは「崇拝」三位一体は礼拝」 実際にそういわれるとそうですね。 ここまでは、神に対する崇拝ですね。 聖母マリアはあくまで人間。無原罪の御宿りといいま して、これはあくまで後生の人が、信仰上キリストの 母だから無原罪。我々が死んだ時は「帰天」ですが 「被昇天」になりました。キリストは「昇天」 被昇天とは人間ながら、清いまま天にのばられたと 解釈してください。又聖人は人間ですから「帰天」 マリア様、聖人はあくまでも人間なのです。ですから 「崇敬」というのでしょう。マリア様はさっき申し上 げた通り別格なので「超崇敬」になりますね。 普通に祈っている時はあまりそのことは気にしません。 ただ、「神よ私達を哀れんでください」と祈りますが 「聖母マリア」、または「聖人には」「わたしたちの ために祈ってください。」と祈ります。 三位一体へは「礼拝」神は「崇拝」はちょっと私にも 分かりません。 そもそもキリストは厳密に言えばユダヤ教徒だった わけですよね。 ユダヤ教は砂漠の神だから非常に厳しい「父」なのです。 でもその厳しい父をキリストは「アッバ、父よ」と仰った。そして「私は父から遣わされた」とも「私は あなた達に聖霊を送る」とも聖書の中では仰ってま す。 キリストが磔になり、お亡くなりになった時は弟子 は全員逃げてしまった。女性を除いて。 彼らは皆貧しい人たちで、キリストをこの世で自分 たちを救ってくれる力のある人と思っていたのです。 ところが3日の後、先ず、マグダラのマリアに現れ た。そして次々に御あらわれになったのです。 でもそれは、今までの姿ではなかった。ここが誤解 の元と思いますが、いつも別の姿だったのです。 そこから又弟子達が一緒になり、布教が始まるのです。 聖霊降臨は使徒行伝に出てきてからですよね。 それからそういう教義ができたのです。 父と子と聖霊は三位一体という教義が正式に認められ たのは、大分後のことと思います。 それまでは、混沌としていて迫害受けてあっちの教義 こっちの教義が出て、やっとコンスタンティヌス帝 の時「ニケヤの公会議」ですったもんだの末、統一 されて異端は排除されたのだと理解していますが。 聖人と聖母マリアの関係はさっき申し上げたように 聖母マリアは特別な存在なのです。 又、私達は「父と子と聖霊」は一緒に考えています。

nacam
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 大変お答えしにくい問題かと思いましたが、こころより感謝いたします。 まだよく分からないのですが、「神」への祈り、「聖母や聖人」への祈りとは別に、「神の子キリスト」へは、どのような祈りをするのでしようか? また、トリエントの公会議で、「神には崇拝、三位一体には礼拝、聖人には崇敬、聖母マリアには超崇敬を」とされましたが、それ以前は、わけていたのでしょうか? カルケドンの公会議(451年)から、トリエントの公会議(1545年)まで、1000年も放置されていたとは考えにくい問題だと思うのです。 それとも、誰も疑問に思わなかったのでしようか。 また、 >私達は「父と子と聖霊」は一緒に考えています のであれば、神、キリスト、聖霊ともに、崇拝ということになり、トリエントの公会議での決定は、否定されるべき事だと思いますが、否定されている様子はありません。 また、「父と子と聖霊」が、完全に一体であれば、単性派の考えが正しい事になり、あえて三位一体を主張する必然性がなくなります。 三位一体は、一体の部分と、それぞれ別の部分が有るために、言える事だと思っていました。 つまり、本質は一つですが、それぞれの役割が異なるために、3つの身になっていると考えたのですが、この考えは、おかしいのでしようか。

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