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「再生させられた」と「再生された」の違いが知りたい

1.と2.の表現について質問があります。  1.自分の頭の中の曲を再生させられた感じ  2.自分の頭の中の曲が勝手に再生された “1.は使役の助動詞「させる」と受動の助動詞「られる」が組み合わさった形である。”という解釈と、“2.は受身の助動詞がついていない”という解釈は正しいかどうかを回答下さい。 よろしくお願いします!

noname#181272
noname#181272

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 言葉は文脈の中で意味を理解することが大切です。パターン化することに意味はありません。更に一つの文章を切り出した形で「これがこのパターンである」と決定思考には問題を感じます。ですから「この設問で題材とされている文章に限定して」との条件を付しての回答となります。    (1)自分の頭の中の曲を再生させられた感じ………「使役+受動」は文法的に正解といえますが、この様に分析的で回りくどい文章を書くことはお薦めできません。  (2)自分の頭の中の曲が勝手に再生された………この文章は受動構文です。以下その根拠についてお話しします。  この文章の「動詞」は何でしょうか?。「再生され」とお考えならば、残念ですが誤りです。「再生する」は「再生(名詞)+スル」です。ですから「動詞」は「スル」となります。  次にこの「スル」は自動詞でしょうか、それとも他動詞でしょうか?。結論からいえば「自他同型」と呼ばれる分類になります。これは一つの動詞であっても自動詞・他動詞両方の性質を有する動詞です。そして自動詞か他動詞かを見分けるには文章を辿るしかありません。  そして「構文」からいえば、この文章は受動構文と認めることができます。実際には「自分の 頭の 中の 曲が 勝手に 再生された」と文節に分解できます。するとこの文章の骨格が明確になります。「曲が再生された」です。これが文章の趣旨です。  「レル」と「ラレル」は本来同じものです。ラレルがラ抜き言葉としてレルになった形です。ここまでお話しすれば、結論がどの様な形になるか、説明は不要のはずです。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 補足にて質問などをするのでお手数ですが、再度回答よろしくお願いします!

noname#181272
質問者

補足

>分析的で回りくどい文章を書くことはお薦めできません。 : ‘分析的’および‘回りくどい’という言葉の意味がわかりません。これが1つ目の質問です。 それと、 >再生されたは感情を持たない、事実を客観的に述べる受け身、使役がついていない。 : このことについてが意味がわからないで回答してもらいたいと思いました。 客観的というのは「ありのまま(叙事)」という意味で合っているかどうかも知りたくなったし、わかりやすく説明してもらいたいと思いました。 これが2つ目の質問です。 最初、妥当かどうかが気になったところです。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4337)
回答No.1

1再生させられたは、使役の受け身 命令や指示を受けて仕方なくというニュアンス 接客の言葉づかいを覚えさせられた。 質問の場合心理的にそうなってしまう というときにつかわれる。 この記事を読んで考えさせられました。 2再生されたは感情を持たない、事実を客観的に述べる受け身、使役がついていない。 当選者は明日新聞に発表されます。 Iの解釈は正しいが2の解釈はまちがっている。するの受け身はされる 使役の助動詞がついていない。 以上だと思います。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ‘再生させられたは、使役の受け身’‘命令や指示を受けて仕方なくというニュアンス’ということに関してはおっしゃるとおりに思いました。 そうですね、‘接客の言葉づかいを覚えさせられた。’という文章も使役の受身ですね。 >再生されたは感情を持たない、事実を客観的に述べる受け身、使役がついていない。 : このことについてが意味がわかりませんでした。 客観的というのは「ありのまま(叙事)」という意味で合っているかどうかも知りたくなったし、わかりやすく説明してもらいたいと思いました。 >するの受け身はされる 使役の助動詞がついていない。 : その通りですね。 #2さんが2.の「再生された」は受動構文と言っている=するの受身はされるということですね。

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