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EUが発足した要因というのはずばり何でしょうか?

EUが発足した要因というのはずばり何でしょうか? 「ヨーロッパ経済の活性化」というだけで習ったのですが、どういう利点があって通貨統合となったのか詳しい流れを知りたいです。 又確認ですがこれは通貨統合だけで、各国の政治体制は保護されているということでいいですよね?

質問者が選んだベストアンサー

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  • DDRSDRAM
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回答No.2

 きっかけはEECですが、その後ECとなりました。  当初は植民地を失ったヨーロッパ諸国が自由貿易を標榜して作った組織です。当初は独仏を中心とした組織で対抗したイギリスがEFTAを作りました。その後イギリスも加盟して発展してEUとなりました。元々植民地との間のブロック経済で成り立っていた国々が横のつながりを重視して貿易障壁を順次撤廃する中で往来の自由化、関税の撤廃、そして、通貨統合となりました。  元々は経済の自由化、現在では「ヨーロッパ連合」を目指しているといったところでしょうか。

aokikouji
質問者

お礼

イギリスが作ったEFTAというのは何でしょうか?

その他の回答 (3)

  • DDRSDRAM
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回答No.4

リンク先より  最初に設立されたヨーロッパ石炭鉄鋼共同体は、1950年5月、第二次世界大戦後の西ヨーロッパの復興をめざすフランス外相ロベール=シューマンの提唱によって企てられた石炭と鉄鋼の共同市場設立の構想で、その設立を通して長年にわたるフランスとドイツの対立を抜本的に解消し、ヨーロッパの経済統合からさらに政治統合の実現への基礎固めという信念に由来する発想の成果であった。  フランスとドイツを中心に欧州経済共同体(EEC)が設立されると,イギリスはこれを脅威に感じ,スウェーデン,ノルウェー,デンマーク,オーストリア,スイス,ポルトガルとともに欧州自由貿易連合(EFTA)を結成した。EFTAはEECと異なり,工業製品の貿易自由化をおもな活動目的とし,域外諸国からの輸入品に共通関税をかけることはなかった。これはかつての植民地と密接な関係を保っていたイギリスの意向を反映したものであった。しかし,EFTAはその後,EECの後身である欧州共同体(EC)の勢力に押されつづけた。その結果,イギリスをはじめとしてEFTAを脱退する国が相次ぎ,現在の加盟国数は4にまで減少している。 ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC) http://www.tabiken.com/history/doc/S/S371R100.HTM EEC http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-5/ad1958e.htm EC http://www.tabiken.com/history/doc/S/S370C100.HTM EFTA ヨーロッパ自由貿易連合 http://homepage1.nifty.com/yk/intorg/efta.htm リンク先参照ください。流れは、ECSC→EEC→EC→EU です。 目的的には、戦後復興→経済自由化→経済統合→政治統合? です。

aokikouji
質問者

お礼

有難うございました。大体分かりました。

  • akik
  • ベストアンサー率33% (93/277)
回答No.3

第2次世界大戦後の欧州。 古代ローマ帝国が崩壊してから以降、欧州に単一国家が 存在していない。このことが欧州での通商や外交面での 摩擦が戦争という悲劇に発展したという反省があったから です。 このことを相互理解するの時間がかかりました。ベルリンの 壁が出来上がった頃に、徐々に相互に理解することが深ま り、ベルリンの壁の崩壊と共に、皆が進む方向が合致した のです。 旧ユーゴ紛争以外に、紛争処理としての戦争行為が皆無 となりました。

aokikouji
質問者

お礼

なるほど、そういう事だったのですか。

回答No.1

ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体 という組織で始められたように 産業上重要なエネルギーと鉄鋼生産に関する諸問題調整を目的 に創設されました。それが経済全般に広がり通貨にも及ぶ事になり 経済体としてのEUが生まれました。これに共同防衛の進行が続きます 国家主権はそれぞれの国に在りますから政治統合は始まりの段階です

aokikouji
質問者

お礼

単一民族ではないのに、共同防衛など政治統合にまで話が進んでいるのですか?

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